鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は空が晴れているが寒い。

2007-03-20 08:02:13 | 直言!
18日は奈良で故池田正枝さんの追悼式が行なわれた。
気になりながらも出席できなかった。
行く気になれば行けたかもしれないが他の現場の方に行った。
池田さんこそ純粋で正直者である。律儀で日本植民地時代、朝鮮半島にいて朝鮮総督府に人生を携えて生きてきた。日本が敗戦になって朝鮮総督府のしていた様々に事柄に勇気を出して世論に発表することで謝罪行脚の人生行路になった。
ちょうど1982年に日本で難民条約が批准されて1988年には韓国ではソウルオリンピックが開かれるということで分断国家の韓半島(朝鮮半島)が世界からも日本国内からも韓半島という分断国家を背景にした事柄、やり残したもの、あいまいのままできたものに注目されて市民活動者は動き出した。
この1つが従軍慰安婦問題だった。
在日同胞女性たちが大阪で在住する女性たちが中心にこの問題についての活動団体を発足することになった。
記者会見が行われると言うので私は取材で釜山にいたが日本にあわてて戻ってこの会見場に駆けつけた。
当時私は在日韓国人の新聞社でも日刊紙だったので毎日の発刊に記事取りが必死だった。女性たちの活動なので歴史背景の知らない私が現場担当になった。
担当デスクに教わりながらの現場だった。
しかし日にちが過ぎてくると周りから雑音が聞こえてきた。
韓日国交正常化のときに解決に織り込まれたものだからという。この現場に入ることに対して躊躇する声が聞こえだした。
それでも上司から言われると現場に入っていた。
この雑音に私は実家に帰ったときに日本植民地時代の歴史を知っている父にこのことを聞いた。
父は当時の歴史背景を語りそして言った。
「その問題の取材はしないほうがいい」
と言い「お前の能力では取材できるようなものではない」と言った。
幸いに日刊紙の新聞記者をやめて韓国系の民族団体の機関紙の記者になった。この現場にはいるということはなくなった。

しかし池田正枝女史はすごいエネルギーを持っておられた。あのエネルギーはなんだっただろうか。
朝鮮半島で育った気候風土がそうさせたのだろうか。
そして真正直に生きてこられた。
晩年もパワーがあったがかわいい高齢者になっておられた。
体が動くかぎり証言者として演台にたち朝鮮半島で行なわれた事実を話してこられた。もう充分その役目は果たされたというのにずっと懺悔行脚だった。
追悼式に参席出来なかったが心の中で「今ごろもう行なわれているだろうな」と時々時計を見ながら池田さんを偲んでいた。
遠くからもこられたというが池田さんに1・2度あっただけでもそのエネルギーを頂いてそして元気を貰った。元気で活動できる「気合」を貰ってきたことかみしめて寒い底冷えのする奈良に来られたのだろう。
ご冥福を祈ります。 合掌
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1 コメント

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Unknown (a)
2007-04-02 14:02:57
とにかく慰安婦問題については、小林よしのり著「戦争論2」の「総括・従軍慰安婦」を読んでみてほしい。
あらゆる関連本の中で一番良い。
この問題の全容も把握できる。


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