鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

11月5日(金) もう今日は夕方の4時過ぎたところです。

2010-11-05 17:04:48 | 直言!
朝からメールの受信と送信の雑用で時間は過ぎていく。
それに新年号の特集も入ってきた。
その対応にしばらく考えていたが仕事の優先順位は3日の現場の原稿作成を先にしなければならない。
原稿を作成して終わるともう12時、急いで昼食の支度をした。
12時半から新聞を横になって読んでいる。
2紙、もう少しで読み終わるのに眠たい。
ウトウトと寝てしまった。
携帯電話で1度、目は覚める。
取りに行くと切れていた。
また居眠りをした。起きると2時45分。
それから3日の現場の写真を9枚送信すると今度は3日の現場のゲラが入ってきた。急いで作成した原稿はやはり確認のために問い合わせの電話をしないといけない。また資料を見て間違いがないか確認した。
何箇所か訂正して傍線を引いて削除しないといけない。
この作業をして終わると今度はまた大分前に取材した原稿の写真の再度の送信の要請が入る。送信トレイを探して写真5枚を送信した。
こんなことで今日は1日、雑用にも追われていた。

思い出した。
朝、原稿を作る前に年賀状の裏の文面を作っていた。
今朝、6時10分に取った朝焼けの写真がきれいでこの写真を入れて作ってみた。写真は夫も私の同じ、しかし文面が違うので2種類作った。
この間は奈良の鹿の入った写真で作ったがこれは正月らしくないのでやめた。
頭の中では来年の干支、ウサギの置物を買ってきてそれをデジカメで撮影して年賀状に入れる予定をしていた。
しかし今朝の朝焼けはきれいで写真に思わずおさめた。
生きているという実感をした。
若いとき心の病をしてこんな朝焼けに夕方の夕焼けはどれほど生きる力をもらったことだろうかと、また朝焼けを見ながら若いときの在りし日を思い出していた。
周りはまさか不安神経症の病気になったとは思えない今の私はにぎやかなキャラクター、しかしこの明るいにぎやかなキャニクターが結婚してから災いになった。
どれほど嫁ぎ先の家族と摩擦があったことか。
女は話さない。黙っている。在日韓国人の家庭に生まれて在日韓国人の家に嫁いだことが心底、嫌になった。なぜ女は発言したらあかんの。悶々と悩むこと、実家は父親によく怒られ結婚しても皆に嫌がられた。
世間ズレしていない私は素直なそのままの性格、人の心を斜めから見ることも知らなくてどれほど心は傷をついたのか。
それが度重なって人も車も恐くなって外に出られなくなった
電車にも車にも乗れなくなった。
その苦肉の策として50CCのバイクの免許を取りに行ったのである。
おかげさまで多くの人に助けられて6・7年苦労したが病気は治癒した。
病気で苦しんだことを思い出すたびに今、心身ともに健康で暮らしていることにとても感謝をしている。
けれどこのにぎやかなキャラクターは今度は仕事の中で生かされてきた。
この仕事をするようになって実家の父親は私に「女は黙って」ということをいわなくなった。この明るいにぎやかなキャラクターは仕事に役立っていると父親は言葉に出さなかったが理解していたと思っている。

ブランドの服もほしいとも思わない。質素な暮らしでも心身とともに健康であることが生きていく中で大事なものであるということをいつのまにか私は身についてしまった。
人と比べることも昔からしなかったが今も比べて人を批判することも苦手である。いつのまにかくそまじめな私になっている。
融通のきかないところもあるが昨日、書いたような女性を見ると唖然として2度と口も聞きたくないほど苦手な存在になってしまう。
私はこれまで日本で生まれて日本で生きてきた。考え方は日本人的志向である。
私は仕事を通してこれまで何度も人のご相伴になったが個人レベルでの付き合いはけっして人の懐を当てにする人生を送ってこなかった。
個人的な付き合いやサークル活動は公平に皆と同じようにしてきた。
ここは日本です。
日本の文化的思考のよさを見習ってほしいものだと心から願っている。
さてもう遅くなった。夕食の支度です。
写真は今朝6時10分、若草山から春日山そして高円山に連なる山の上の朝焼け、東の空に太陽が昇りはじめている。
晩秋の朝焼け、今日も晴れると予測している日の出でした。
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