私は息子が1人、彼女は男の子2人で彼女の下の息子が小学校2年に奈良市内の小学校に東京から転校してこられた。転勤族で大阪、東京という転勤を繰り返していた。
彼女のご主人は奈良が好きで奈良を終の棲家にしょうと大阪の転勤を機会に住居は奈良市佐紀町という平城宮跡の近くに引越しをしてこられた。奈良の町は当時まだまだ閉鎖的で転勤族はよそ者扱いで国籍の違う私は1つ間違えば阻害されてきた。そんなよそ者どうしが近所に住むようになってお互いに助け合ってきた。
そして引越しをした現在の場所も相談したわけではないのにまた偶然に近くになった。こんなことで大方30年、彼女と仲よくしてきた。
若い頃は子どもの学校の話だった。
彼女の子どもは2人とも優秀で上の子は公立中学校が通学していた。学年で1番という成績だった。下の子どもは中学から奈良市内の私立有名進学校に入学したので私の子どもは離れ離れになったが親の私たちは中がよかった。
(うちの息子は地域の中学そして県立高校に行き沖縄の大学に行ってしまった)双方の子どもの学校のことを話した。
やがて彼女は学習塾の講師になり私は雑誌記者になった。仕事の中の不満はいつも双方でこぼしあってそこで話は終わってきたので長い友だち付き合いになった。
世間知らずの私、彼女も世間知らずのお嬢さんだがさすがそのへんは独身時代、証券会社に勤務していたので人を見る目は早い。直感的なものがよく当たる。
地方紙の職員たちと私と親しくなると彼女は一緒にコーヒーを飲む機会などを作ってその人間性を見た。
そして後で彼女は「気をつけたほうがいい」というとその直感があたった。
そして彼女の一言は私が親しくする友人になった人がいる。
韓国からこられていた韓国政府派遣教師、韓国語を習いに行って知り合うことになった。私は当時雑誌記者だったので奈良県や奈良市の行政機関を日本語のまだよくできないこの教師を案内することがあった。時にはまたとちらりと不満に思うこともあったが仕事の途中を抜けてお世話していた。日本語の知らない男性教師のことも考えてお世話をした。そして彼女にも紹介した。
彼女は私に言った。
「あの人は人柄のいい人で人格者、けっして人を裏切らないから離したらあかんよ。大事な友達の1人にすればいい。離したらあかん」と言った。
それから韓国と日本の文化の違いで双方、摩擦のおきることがたびたびあったが影で彼女が助けてくれた。
今は家族ぐるみの友人になった。いったん韓国に帰国されてまた2度目の赴任も終えて帰国された。韓国では家族ぐるみであったりする大事な友人の1人である。
そんな40代のときは息子の学校、50代になると大学進学、そして結婚としていく中で話題はその都度変わっていったが私は62歳、彼女は65歳になった。
昨日の話は双方の夫の「古希」の話になった。
彼女は今年「古希」を迎えるご主人のことで「宴席」の話になった。
私は近場の温泉を2つ候補に上げた。そしたら1つが気にいった。自分も行ったことがあるのでここはいいということになった。次のお祝いまで元気にしてくれることにこしたことがないが70歳の古希はしてあげないといけないと考えて息子に先日話したと言っていた。
それが私も偶然、先日、やがて迎える夫の古希に「もうすぐ古希になる。身内だけでするか。親戚を呼ぶか。もうそろそろ考えないとあかんな」と話した。夫は「そんなまたお金がかかるやんか」と一言言ったが私は「お金のかからない方法を考えがえないとあかんな」と言ってその話は終わった。
そしたら偶然に彼女のところのそんな話を息子さんにしたという。
昨日、コーヒーランチを終えて喫茶店を出た時に彼女は言った。
「こんなに長いこと友だち関係ができたのはよかった。古希の話しまでする付き合いになった。私も友達が多いが1対1で何も気を使わないで話のできる友人は限られている」と話した。
相性があったのか。お互いに長く友人を続けるのにそれなりのルールは持ってきた。
双方の息子たちには孫がいて今は孫の話題と古希の話題になるまで年を重ねた。
これからも大切にしたい友人の1人である。
彼女のご主人は奈良が好きで奈良を終の棲家にしょうと大阪の転勤を機会に住居は奈良市佐紀町という平城宮跡の近くに引越しをしてこられた。奈良の町は当時まだまだ閉鎖的で転勤族はよそ者扱いで国籍の違う私は1つ間違えば阻害されてきた。そんなよそ者どうしが近所に住むようになってお互いに助け合ってきた。
そして引越しをした現在の場所も相談したわけではないのにまた偶然に近くになった。こんなことで大方30年、彼女と仲よくしてきた。
若い頃は子どもの学校の話だった。
彼女の子どもは2人とも優秀で上の子は公立中学校が通学していた。学年で1番という成績だった。下の子どもは中学から奈良市内の私立有名進学校に入学したので私の子どもは離れ離れになったが親の私たちは中がよかった。
(うちの息子は地域の中学そして県立高校に行き沖縄の大学に行ってしまった)双方の子どもの学校のことを話した。
やがて彼女は学習塾の講師になり私は雑誌記者になった。仕事の中の不満はいつも双方でこぼしあってそこで話は終わってきたので長い友だち付き合いになった。
世間知らずの私、彼女も世間知らずのお嬢さんだがさすがそのへんは独身時代、証券会社に勤務していたので人を見る目は早い。直感的なものがよく当たる。
地方紙の職員たちと私と親しくなると彼女は一緒にコーヒーを飲む機会などを作ってその人間性を見た。
そして後で彼女は「気をつけたほうがいい」というとその直感があたった。
そして彼女の一言は私が親しくする友人になった人がいる。
韓国からこられていた韓国政府派遣教師、韓国語を習いに行って知り合うことになった。私は当時雑誌記者だったので奈良県や奈良市の行政機関を日本語のまだよくできないこの教師を案内することがあった。時にはまたとちらりと不満に思うこともあったが仕事の途中を抜けてお世話していた。日本語の知らない男性教師のことも考えてお世話をした。そして彼女にも紹介した。
彼女は私に言った。
「あの人は人柄のいい人で人格者、けっして人を裏切らないから離したらあかんよ。大事な友達の1人にすればいい。離したらあかん」と言った。
それから韓国と日本の文化の違いで双方、摩擦のおきることがたびたびあったが影で彼女が助けてくれた。
今は家族ぐるみの友人になった。いったん韓国に帰国されてまた2度目の赴任も終えて帰国された。韓国では家族ぐるみであったりする大事な友人の1人である。
そんな40代のときは息子の学校、50代になると大学進学、そして結婚としていく中で話題はその都度変わっていったが私は62歳、彼女は65歳になった。
昨日の話は双方の夫の「古希」の話になった。
彼女は今年「古希」を迎えるご主人のことで「宴席」の話になった。
私は近場の温泉を2つ候補に上げた。そしたら1つが気にいった。自分も行ったことがあるのでここはいいということになった。次のお祝いまで元気にしてくれることにこしたことがないが70歳の古希はしてあげないといけないと考えて息子に先日話したと言っていた。
それが私も偶然、先日、やがて迎える夫の古希に「もうすぐ古希になる。身内だけでするか。親戚を呼ぶか。もうそろそろ考えないとあかんな」と話した。夫は「そんなまたお金がかかるやんか」と一言言ったが私は「お金のかからない方法を考えがえないとあかんな」と言ってその話は終わった。
そしたら偶然に彼女のところのそんな話を息子さんにしたという。
昨日、コーヒーランチを終えて喫茶店を出た時に彼女は言った。
「こんなに長いこと友だち関係ができたのはよかった。古希の話しまでする付き合いになった。私も友達が多いが1対1で何も気を使わないで話のできる友人は限られている」と話した。
相性があったのか。お互いに長く友人を続けるのにそれなりのルールは持ってきた。
双方の息子たちには孫がいて今は孫の話題と古希の話題になるまで年を重ねた。
これからも大切にしたい友人の1人である。
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