そして韓国に脱北した元高の証言などが放映された。番組では信憑性があるから報道したという。弾道ミサイルが日本に向けているという。
私個人ではそうだろうと思ってみている。
しかし北朝鮮の政治事情を把握し切れていないので発言を控えなければならない。
ただ言えることは日本もアメリカも北朝鮮に対して甘く楽観視していることである。そんな甘いものではない。手段を選ばなかった北朝鮮の体制そしてそれを支援した朝鮮総連はそんな甘いものではない。
北朝鮮に対してイエスマンで通してきた人たちの根底に流れているものはそんな簡単なものでない。
政策に不安を持った人は韓国籍に切り替えたが組織で働く人はそれができない。
1度でも万景号に乗り北朝鮮の人たちと接触した人たちは確固たる北朝鮮のイエスマンだろう。
日本人拉致は日本列島を震撼させた。
この問題解決なしに日朝国交正常化はそう簡単にいかないだろう。
長い間、核を作っていたという今日のテレビの証言をきいてまた生前、父親が言っていた言葉を思い出した。
「お前らはウリマル(母国語)の勉強なんかしていない。お前ら爆弾をつくる勉強をしている」と言っては朝鮮総連の人たちを追い返した。
なぜ父親はこんなことを知っていたのか死ぬ前にこの情報源をきいたが父親は日本の新聞と言っていっさい口をわらなかった。
そして朝鮮総連・民団関係者の組織で活動している娘の縁談は全部断った。それなりの資産家の縁談が多かったのにすべて断った。
そして政治活動していない普通の在日韓国人、中立の在日韓国人の男性の縁談話に父親は娘を託した。
「お金はないが真面目な人だから」と父親が娘の私に言った。
私が結婚してからでも民族団体の出入りは禁止した。しかし帰化も反対した。
しかし私が「日本人のふりをして日本人の記事を書きたくない」と葛藤していたときに民団奈良県本部の韓国語教室に通いだした時に韓国語の発音の仕方は積極的に教えてくれた。
それでも政治的に関係する取材は必ず私に一言言った。
「いい加減に仕事しておきや」と在日韓国人の日刊紙で走り回っている頃は何度もそうして注意をした。深くはまり込むのかハラハラしていたように思う。
現在の機関紙の記者に代わってからはそんな言葉を一言も聞かなくなったが父親の生き方、日本社会の共生と分断国家の中では意見を言わない中立の生き方を私がしらずしらずに影響を受けてきたようだ。
いつのまにか私も朝鮮半島の政局には発言をひかえている自分がどこかにいる。
テレビで語っている人たちはそれなりの肩書きがあるので日本の国益の立場から語っていたが私から見るとまだまだ楽観視しているように思う。
北朝鮮の指導者はそんなものではない。
まだまだ激しい綱引きがあるだろう。
在日コリアンの願いはただ1つ、平和的に安定して朝鮮半島の体制が1つになること。赤化しないで1つになることである。
1につになったとき日本から北朝鮮に帰国した同胞たちの往来が自由にできることである。こんな在日コリアンの痛み、日本人はどれほど知っているだろうか。日本植民地支配から解放されてもずっと心の中に石が詰まったような苦しみでこの日本で暮らしていることをしってもらいたい。
しかし現状の北朝鮮、楽観視はできない。
どうすればいいのか。世界が頭をかかえているのが現状である。
私個人ではそうだろうと思ってみている。
しかし北朝鮮の政治事情を把握し切れていないので発言を控えなければならない。
ただ言えることは日本もアメリカも北朝鮮に対して甘く楽観視していることである。そんな甘いものではない。手段を選ばなかった北朝鮮の体制そしてそれを支援した朝鮮総連はそんな甘いものではない。
北朝鮮に対してイエスマンで通してきた人たちの根底に流れているものはそんな簡単なものでない。
政策に不安を持った人は韓国籍に切り替えたが組織で働く人はそれができない。
1度でも万景号に乗り北朝鮮の人たちと接触した人たちは確固たる北朝鮮のイエスマンだろう。
日本人拉致は日本列島を震撼させた。
この問題解決なしに日朝国交正常化はそう簡単にいかないだろう。
長い間、核を作っていたという今日のテレビの証言をきいてまた生前、父親が言っていた言葉を思い出した。
「お前らはウリマル(母国語)の勉強なんかしていない。お前ら爆弾をつくる勉強をしている」と言っては朝鮮総連の人たちを追い返した。
なぜ父親はこんなことを知っていたのか死ぬ前にこの情報源をきいたが父親は日本の新聞と言っていっさい口をわらなかった。
そして朝鮮総連・民団関係者の組織で活動している娘の縁談は全部断った。それなりの資産家の縁談が多かったのにすべて断った。
そして政治活動していない普通の在日韓国人、中立の在日韓国人の男性の縁談話に父親は娘を託した。
「お金はないが真面目な人だから」と父親が娘の私に言った。
私が結婚してからでも民族団体の出入りは禁止した。しかし帰化も反対した。
しかし私が「日本人のふりをして日本人の記事を書きたくない」と葛藤していたときに民団奈良県本部の韓国語教室に通いだした時に韓国語の発音の仕方は積極的に教えてくれた。
それでも政治的に関係する取材は必ず私に一言言った。
「いい加減に仕事しておきや」と在日韓国人の日刊紙で走り回っている頃は何度もそうして注意をした。深くはまり込むのかハラハラしていたように思う。
現在の機関紙の記者に代わってからはそんな言葉を一言も聞かなくなったが父親の生き方、日本社会の共生と分断国家の中では意見を言わない中立の生き方を私がしらずしらずに影響を受けてきたようだ。
いつのまにか私も朝鮮半島の政局には発言をひかえている自分がどこかにいる。
テレビで語っている人たちはそれなりの肩書きがあるので日本の国益の立場から語っていたが私から見るとまだまだ楽観視しているように思う。
北朝鮮の指導者はそんなものではない。
まだまだ激しい綱引きがあるだろう。
在日コリアンの願いはただ1つ、平和的に安定して朝鮮半島の体制が1つになること。赤化しないで1つになることである。
1につになったとき日本から北朝鮮に帰国した同胞たちの往来が自由にできることである。こんな在日コリアンの痛み、日本人はどれほど知っているだろうか。日本植民地支配から解放されてもずっと心の中に石が詰まったような苦しみでこの日本で暮らしていることをしってもらいたい。
しかし現状の北朝鮮、楽観視はできない。
どうすればいいのか。世界が頭をかかえているのが現状である。
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