冬眠していた虫たちが地上に出てくる。
そしてこのころから山々の山菜も芽がでだす。
そろそろ土筆も出始めるころである。
こんなこと朝、新聞の活字「啓蟄」で夫に話していると「土筆たべたかったら自分で行って来たら」と言うので私は「そんなタクシーでいかなあかんわ」といったら「タクシーで行ったらいい」というので「アホと違うかといわれそうや」というと「そんなことはタクシーの運転手はいわない」という。
いくらなんでもタクシーで土筆をとりにいくほどの虜でもない。
今朝は7時に起きた。
10時に家電量販売店が開店するのでパソコンのインクを買い込みに行かないといけないので7時に起きた。夫に頼むのは仕事が入ったりしてどうしてもいかれないときである。
仕事は昨日に仕上げた。日曜日で仕事がない日を作らないといけないと思って昨日がんばって原稿を仕上げた。
金曜日の現場の原稿、午前中は原稿を書いた。
終わったのが1時前、それから昼食をして1時半ごろ、この後、夫が買ってきた焼肉の食材を洗って切ってボールに入れて冷蔵庫に入れた。
そして新聞を読むのに横になった。1紙を読んで2紙、あと数ページというのに眠たい。ウトウトと寝ている。起きると3時45分。急いで風呂に湯を入れる。湯を入れながら家事をしていく。
湯が入ると風呂に入った。
風呂から上がってから夕食の支度をした。
夕食の支度が終わると次は午前中に作成した原稿の写真を20数枚送った。
メールで送信していく。ADSLの時は送信が遅くて難儀したがフレッツに変えてから早くなった。それでも新聞用の大きいサイズの写真送信なので1枚1枚の送信なので時間がかかる。
昨日のブログは朝方に作って画面構築したので夕方は写真送信の仕事をすればよいだけなのに枚数が多いので焦る。
焦ると送信番号をいれるのを忘れたりしている。
土曜日と日曜日の夜9時から、私も夫も見たいテレビドラマが出てきた。
最初、夫は見ていなかった。私がそのドラマを見ていると早くから寝たのにトイレを行った後、テレビを見ると面白そうで夫も土曜と日曜の夜9時から1時間、楽しみのドラマになった。
KNテレビ(韓国テレビ)の韓国のSBSテレビ制作の「ジャイアント」というドラマ、1980年前後、時代は全斗煥元大統領と企業そして当時の安企部と国会議員、企業のオーナー、さらに金貸し、成功してのし上がった社長の人生の裏側を暴いていく復習のドラマ、社長のオーナーに殺害された子どもたち、そのために兄弟離れ離れで暮らすがやがて大人になって再会して兄弟力をあわせてオーナーに対する復讐は会社のっとりである。
この時代のドラマを見ていると当時の安企部の恐さがわかった。
韓国では「泣く子も黙る」という。
当時の私は専業主婦をしていて韓国にまったく関心がなくて帰化するために高畑町にある法務局に申請用紙を貰いに行っている。
まわりにもそんなことをいっていて、知人の議員にその申請でお世話になろうとしていた。そしてペングループの役員をしていてやがて雑誌記者として社会人の第1歩踏み出していたころの話してある。
テレビでは韓国の民主化で動く学生たち、デモの様子を放映していたが他所事のようにして見ていた。それが私の人生が42歳から180度変わった。
何も関心のなかった在日韓国人の中で仕事するようになった。
これは私の意志で動いたものの見えない何かが手繰り寄せて私を韓国語教室に連れて行ったと行った。足を向かせた。
たぶん祖父の力だったと思っている。
本家の1番先に生まれた私が女だった。男だったら祖父はものすごく喜んだのに女だった。それでも1番始めに生まれたので本家の長女としてのたしなみを厳しくされて育った。
祖父は何もいわなかったが私に対する愛情があった。
小学校に入学するとき桜井からランドセルを持って入学祝いをしてくれた。
これも1番始めに生まれた何かがあっただろう。
さて私が帰化したら私の後の従兄弟も全部、日本人になっていく。そんな危惧を天界から見ていたのだろうか。
背中を押されるように民団奈良県本部に韓国語を習いに行った。
しばらくは父親に隠し通した。民団にも総連にも出入り禁止だったので隠し通した。そしてしばらくして在日韓国人の新聞社に転職するがずっと父親には隠し通した。
それが1年ほどして知れることになった。
天理市内の夜間中学に通う1世の人から母親に知れることになった。
1世は私の近所に住んでいて桜井市に引越しをしていた。
木津に知り合いがたくさんいたのであるところに集っては話をしていた。
夜間学級に行く前に立ち寄っていたらしい。
そんなことで父親に知れることになった。
けれど朝鮮総連関係の新聞ではなかったので父親は何も言わず黙った。
息子を大学に行かせ卒業させるまでのことは仕方ないと思ったようだ。
それと住宅ローンも抱えていたので父親は何も言わず黙った。
そして韓国語の発音の仕方を教えてくれた。
ここまで来たのは祖父母のなんらかのものがあったと思っている。
目に見えない何かで引っ張ってもらったと思っている。
人の出会いも祖父母が天界からしてくれたと思っている。
私は何もしていないと思っている。
そんな時代を経て今日の私がある。
ドラマは本当に私の知らないことばかりで楽しみにしてみている。
今夜も9時から1時間、放映されます。
恋愛やホームドラマ、韓国テレビは卒業していてあまり見る気がしないが政治がからんだドラマは発展途上国から経済構築をしていく韓国の政治・経済がわかって面白い。人間たちのドラマがいっぱいある。
脚本をした人は当時のことを知って書いているのだろうか。
これから身支度をして家電量販売店にいってきます。
そしてこのころから山々の山菜も芽がでだす。
そろそろ土筆も出始めるころである。
こんなこと朝、新聞の活字「啓蟄」で夫に話していると「土筆たべたかったら自分で行って来たら」と言うので私は「そんなタクシーでいかなあかんわ」といったら「タクシーで行ったらいい」というので「アホと違うかといわれそうや」というと「そんなことはタクシーの運転手はいわない」という。
いくらなんでもタクシーで土筆をとりにいくほどの虜でもない。
今朝は7時に起きた。
10時に家電量販売店が開店するのでパソコンのインクを買い込みに行かないといけないので7時に起きた。夫に頼むのは仕事が入ったりしてどうしてもいかれないときである。
仕事は昨日に仕上げた。日曜日で仕事がない日を作らないといけないと思って昨日がんばって原稿を仕上げた。
金曜日の現場の原稿、午前中は原稿を書いた。
終わったのが1時前、それから昼食をして1時半ごろ、この後、夫が買ってきた焼肉の食材を洗って切ってボールに入れて冷蔵庫に入れた。
そして新聞を読むのに横になった。1紙を読んで2紙、あと数ページというのに眠たい。ウトウトと寝ている。起きると3時45分。急いで風呂に湯を入れる。湯を入れながら家事をしていく。
湯が入ると風呂に入った。
風呂から上がってから夕食の支度をした。
夕食の支度が終わると次は午前中に作成した原稿の写真を20数枚送った。
メールで送信していく。ADSLの時は送信が遅くて難儀したがフレッツに変えてから早くなった。それでも新聞用の大きいサイズの写真送信なので1枚1枚の送信なので時間がかかる。
昨日のブログは朝方に作って画面構築したので夕方は写真送信の仕事をすればよいだけなのに枚数が多いので焦る。
焦ると送信番号をいれるのを忘れたりしている。
土曜日と日曜日の夜9時から、私も夫も見たいテレビドラマが出てきた。
最初、夫は見ていなかった。私がそのドラマを見ていると早くから寝たのにトイレを行った後、テレビを見ると面白そうで夫も土曜と日曜の夜9時から1時間、楽しみのドラマになった。
KNテレビ(韓国テレビ)の韓国のSBSテレビ制作の「ジャイアント」というドラマ、1980年前後、時代は全斗煥元大統領と企業そして当時の安企部と国会議員、企業のオーナー、さらに金貸し、成功してのし上がった社長の人生の裏側を暴いていく復習のドラマ、社長のオーナーに殺害された子どもたち、そのために兄弟離れ離れで暮らすがやがて大人になって再会して兄弟力をあわせてオーナーに対する復讐は会社のっとりである。
この時代のドラマを見ていると当時の安企部の恐さがわかった。
韓国では「泣く子も黙る」という。
当時の私は専業主婦をしていて韓国にまったく関心がなくて帰化するために高畑町にある法務局に申請用紙を貰いに行っている。
まわりにもそんなことをいっていて、知人の議員にその申請でお世話になろうとしていた。そしてペングループの役員をしていてやがて雑誌記者として社会人の第1歩踏み出していたころの話してある。
テレビでは韓国の民主化で動く学生たち、デモの様子を放映していたが他所事のようにして見ていた。それが私の人生が42歳から180度変わった。
何も関心のなかった在日韓国人の中で仕事するようになった。
これは私の意志で動いたものの見えない何かが手繰り寄せて私を韓国語教室に連れて行ったと行った。足を向かせた。
たぶん祖父の力だったと思っている。
本家の1番先に生まれた私が女だった。男だったら祖父はものすごく喜んだのに女だった。それでも1番始めに生まれたので本家の長女としてのたしなみを厳しくされて育った。
祖父は何もいわなかったが私に対する愛情があった。
小学校に入学するとき桜井からランドセルを持って入学祝いをしてくれた。
これも1番始めに生まれた何かがあっただろう。
さて私が帰化したら私の後の従兄弟も全部、日本人になっていく。そんな危惧を天界から見ていたのだろうか。
背中を押されるように民団奈良県本部に韓国語を習いに行った。
しばらくは父親に隠し通した。民団にも総連にも出入り禁止だったので隠し通した。そしてしばらくして在日韓国人の新聞社に転職するがずっと父親には隠し通した。
それが1年ほどして知れることになった。
天理市内の夜間中学に通う1世の人から母親に知れることになった。
1世は私の近所に住んでいて桜井市に引越しをしていた。
木津に知り合いがたくさんいたのであるところに集っては話をしていた。
夜間学級に行く前に立ち寄っていたらしい。
そんなことで父親に知れることになった。
けれど朝鮮総連関係の新聞ではなかったので父親は何も言わず黙った。
息子を大学に行かせ卒業させるまでのことは仕方ないと思ったようだ。
それと住宅ローンも抱えていたので父親は何も言わず黙った。
そして韓国語の発音の仕方を教えてくれた。
ここまで来たのは祖父母のなんらかのものがあったと思っている。
目に見えない何かで引っ張ってもらったと思っている。
人の出会いも祖父母が天界からしてくれたと思っている。
私は何もしていないと思っている。
そんな時代を経て今日の私がある。
ドラマは本当に私の知らないことばかりで楽しみにしてみている。
今夜も9時から1時間、放映されます。
恋愛やホームドラマ、韓国テレビは卒業していてあまり見る気がしないが政治がからんだドラマは発展途上国から経済構築をしていく韓国の政治・経済がわかって面白い。人間たちのドラマがいっぱいある。
脚本をした人は当時のことを知って書いているのだろうか。
これから身支度をして家電量販売店にいってきます。
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