鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

3月7日、月曜日 夕べから雨が降ったようだ。

2011-03-07 12:12:27 | 直言!
朝はよく降っている。
目覚めた鳩たち23羽が向かいのマンションの広告塔にとまっている。
28羽、とまっているときもあった。
雨が降る日、鳩たちは何を相談しているのだろうか。
朝7時半ごろの鳩たちである。
8時半過ぎるととまっているのは数羽、皆思い思いに飛んでいくのだろう。
近場のJR奈良駅前の広場に行ってたいていは高齢者の男女が持ってくる餌さをあてにしているのだろう。
何かを持ってきて撒いている。
寂しいから鳩たちと会話しているのだろう。
しかし餌は撒いてはいけない。
自然の中で生きている鳩に餌まで人間が干渉してはいけない。
鳩の糞でやっかいなことになったので餌はやってはいけないと私は思っている。
1度、卵を産んだ鳩に懲りて今はベランダには何も置いていない。
たまに鳩がきて糞をしていく。みつけるとすぐに拭き取っている。

このメールを書いているとFAXで文書が流れる。
例の前原誠司国会議員に対することで編集局から----。
しかし私なりの考えを編集局に話して仕事することは検討することになった。

それで30分ばかりの時間が過ぎていく。

この間、大阪のある現場での祝賀会、日本の歌、「思い出アルバム」に言葉を変えて歌を歌ってお祝いをした。
そのメロデイーは久しぶりに聞いて懐かしい。
さて題名はなんだったのか。
「思い出してごらん」の言葉でインターネットを検索すると題名は「思い出のアルバム」だった。
この歌は1981年、NHKのみんな歌で放送された。
その年の3月に息子は奈良市立都跡小学校を卒業した。
この卒業式でこの歌が歌われた。
今まで聞いたこともない歌、しかし心に響くメロデイーである。
涙がぽろぽろと出た。
それから息子は中学に進む。中学2年になってから私は専業主婦から働く女性になった。月刊奈良編集局で記者と編集の仕事をし始めた。
子どもは1人っ子だったのでそれから学校に行く回数も少なくなった。
中学は1年のとき役員に選出されても1度も役員会に出席しなかったので2年から役員に選出されることはなかった。また息子の入学式には一緒に行ったが卒業式は出席していない。もう親が来ることを喜ばなくなった。
それから長いこと「思い出のアルバム」の歌を聞くことがなかったがしばらくしてテレビで思い出の歌で聞くことになった。
歌詞はまったく知らなかったのにテレビの下にでる歌詞でようやくこんな歌だったのかとわかった。
「いつのことだか 思い出してごごらん あんなこと こんなことあったでしよう」という歌詞から始まる。
作詞は増子としさん、作曲は本多鉄麿さん。
2人はきれいな心の持ち主で透き通った子どもの心を見えるのかきれいな歌詞に曲である。
普段、日常に使っている言葉を表現しておられる。
1度、また聞いて見て下さい。
なんともいえない懐かしさがこみ上げてきます。
歌が流れるホームページは
http://www.youtube.com/watch?v=DP68_ZaB5BE
この歌のメロデイーが頭に入ってつい布団の中に入ってもこの歌を歌っている。
そういえば息子の下の娘はこの3月、幼稚園を卒園する。
はたしてこの歌が歌われるだろうか。
孫の成長に自分も年を取っていく。
息子は自分たちが小学校卒業する時に「思い出のアルバム」の歌を歌ったことは覚えているだろうか。
また近日、息子が巣立った小学校のPTAたちの有志OB会がある。
皆年を取ってしまったが-----。お母さんになって出会っているので大人の付き合いである。
自分自身の小学校の同級生たちと会うとまったく童心にかえって楽しいひと時を過ごしている。つくろうこともなく-----。本当----。
親はものすごく苦労して子どもたちを育てた。
そんな親の生き方に大人になった小学校の同級生たちは理解している。
それだけでも苦労した母親の苦労が報われていると思っている。
母親は桜井市朝倉にある墓場できっと喜んでいると思っている。
父親も苦労したが家計のために稼いだのは母親だった。
父親は京都にあった日本の会社でずっと勤務していたが当時の世相に合わした月給だった。わずかだけ母親に入れて後は自分好きなように使っていた。
子どもには食べさすことはなかったが会社の部下を連れてあちらこちらと飲み歩いていた。そんなことで和食の美味を知っていた。韓国料理を作る母親にいつも文句を言っていた。父親にはそんなことを思い出してしまう。
しかし町では京都の会社に勤めていた人になっているらしいが-----。
母親の苦労の何分の1ほどしかしていない。
しかし母親はいつも言っていた。
「おとうさんがいないとこの家は持たないのやで」と父親を立てていた。
女の子を嫌いという父親にそんなことが理解できなかった。
それでも学校に関することはすべて父親が見ていたのでやはり父親もどこかで子育てをしていたのかと思うことにしている。

私の時代の卒業式は小・中・高校とも「仰げば尊し」だった。
これが卒業式の定番だった。卒業式らしい歌である。
しかし今は「仰げば尊し」を歌うのが少なくなってきた。
歌詞に問題があるとか---。私はそう思わないが----。
今、歌われている卒業式の歌の数々に違和感がある。

韓国系民族学校、金剛学園では韓国で歌われる卒業式の歌が歌われる。
この歌もいい曲だがなかなか私は覚えられない。
建国学校と京都国際学校は蛍の光を韓国語で歌っている。
それぞれ卒業式にあった歌を歌っているが日本の学校も変わった歌が歌われ、日本で生まれた在日韓国人3世4世になると日本の学校で歌う歌謡曲を歌われたりして驚いたことがあった。何年前からかそうなった。
どこの学校とはいわないが------。
金剛学園も国際化教育をされている。日本人子弟の入学も多いがここは式典、きちんと韓国で歌われる卒業式の歌が歌われている。
さて教育担当の領事も2月の末に韓国に帰国された。
新しい教育担当の領事が赴任しておられるだろう。
初仕事は卒業式の挨拶が入っている。
それが私は10日、所用があって卒業式の現場にはいらないので----。
また難波に出かけたときには立ち寄って挨拶をしないといけないかな-----。
もうすぐまた新総領事の歓迎式があると思うのでそこでお会いできればと思っている。
赴任されて3年経つと国に戻っていかれる。
少し親しくなったなあと思ったら---韓国に帰国される。
これが外交官の仕事なのだろう。

もう12時です。休憩します。
朝、パソコン1時間ほど開いて閉めて新聞を読むために休憩したがゲラの確認作業があるのでパソコンを開いた。
あれこれ雑用してブログを書くともうこんな時間です。



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