私の仕事は会う日程がきめられない。予定は未定になり決定事項が履行できないことはしばしばである。
彼女はおよその予定がきまっている。午後の3時ごろから学習塾の講師にいくためにその時間までを多く利用してきた。それが近年、月・火に講師の仕事を入れなくなった。日曜日から3連休にした。
ご主人が定年退職されて自宅におられるようになってテニス以外の習い事を組み入れた。毎週、水曜日から金曜日までギターと英語が入って午前中は詰まっている。
テニスも何年来続けておられるがギターも英語も大方10年近くの習い事になった。よくやっているなと感心する。
月謝も大変だがそんな月謝ぐらいは彼女の講師の仕事で賄えるのだろう。
そして遠く離れた故郷には駐車場もしている。親が残した土地の1つを活用して駐車場にした。
彼女を見ているとお金のあるところはまたお金を生んでいくという現実を見せつけられるようだ。
双方の子どもが小学校2年のときからの友人である。
村的志向でよそ者をいれない町の人の閉鎖的なところにも借家が何軒も建った。1970年代の後半、バブル時代に入るころだった。
そんな借家に転勤族が住み始めた。
私はそれより以前に建てられた借家でもう築15年ほどだったが安普請だったので家は傾き沼地の後の建物はいつもじめじめしていて湿気の多い家だった。
この家には長く住みたくない家だと思っていた。女友達の家は新築されたばかりの借家で社宅として借りられていた。私の家から歩いて5分もかからないところに住んでいた。子どもが同学年で同じクラスでスクールバスも同じで帰る道も一緒だった。
子どもたちの仲良し組み何人かのグループになっていた。
それでも保護者や近所の人はよそ者扱いだった。
そんな私と女友達は仲良しになった。お互い助け合いながらその閉鎖的な学校でPTA役員をしてきた。
申し合わせたわげではないのに女友達はJR奈良駅の分譲マンション、私はそれから少し行った市内循環バス道路沿いの「綿町」の分譲マンションに時期はおおかた同じにして引越しをした。
これも今考えると誰か目に見えないものが運んでくれたように思う。
引越しをしても近所になったので双方、連絡をとってよく会うようになった。
雑誌記者時代は女友達の時間に私があわしていたが私が新聞記者になって猛烈に忙しくなった。それで私の時間に合わせてくれた。
取材現場に入る前によく会った。
この数年前から講師の仕事の日が変わってたいてい月曜日か火曜日になった。
この秋の行楽シーズン、女友達もまわりに友だちが多いのでゴルフにいったのかなと思った。
でかけることがないとわかると電気毛布を出して干した。寒くなってきてもうそろそろ必要になってきた。
テレビの気象情報では午後から雨がふると言っていたが空は晴れている。
安心した。さっき布団の中で新聞を読んでいて居眠りをしていたても電気毛布のことが気になって寝られない。
これまで天気のいい日が続いたのに仕事で外に出てしまうので干せない。今日10時になると外にでる用事はないとわかってあわてて電気毛布を干した。
さっき少し曇っていた空が今は晴れわたっている。
もうそろそろ夫が帰ってくる。
昨日、大根の薄切りやシメジや豆腐、菊菜など入れてしゃぶしゃぶをした。少し大根とシメジが残っている。出汁昆布も残っている。出し昆布は細く千切りにしよう。そうめんをゆがこう。ホットプレートに水と出汁をいれて味付けして入麺にして食べよう。
明日は大阪で仕事がある。そしてまたうちあわせが多くなる。
いっときの休養である。
部屋から見える民家の間から見える木々が少し紅葉している。もう山々は赤く染まる頃に近づいてきた。
私が印象に残っている紅葉の美しい所は雑誌記者時代に訪れた奈良市内の郊外にある正暦寺である。県道から大分離れた山あいの中にあるお寺、大小の紅葉、真っ赤に染まったその景色に自然の織り成す不思議さに魅了した。
もやもやとしていた心がすーと解けるようだった。
今度は在日韓国人の日刊紙の新聞記者になって民団京都右京支部だったと思う。当時どこも渡来文化めぐりの学習会が盛んだった。団員たちが湖東三山に行った。私は同行取材だった。
バス貸切りで湖東三山めぐり、三井寺にもいった。湖東には渡来文化として石塔寺がある。石塔寺の帰りだったのか。三井寺の参堂を歩いた。秋の行楽シーズンで多くの人たちが訪れていた。
紅葉した木々のアーチの下を歩いた。仰ぎながらみる紅葉、遠くからみる紅葉、手に取ってみる紅葉、紅葉に満喫した。
三井寺の紅葉に宇宙が作り出す神秘、人間でははかりしれないものが動いていると実感した。
そしてもう1つ、御堂筋の銀杏並木、黄色に色づく銀杏並木は荘厳そのものである。明日は在日外国人高齢者の無年金訴訟で大阪地裁に行くが大阪市役所前にある歩道に植えられた桜などどんなに色づいているのか楽しみである。仕事の合間に触れる季節感、心を和ませてくれる。
奈良公園もそろそろ紅葉の時期になるだろう。いつもバスの中から見るだけで歩いてみたのはいつのことだろう。
彼女はおよその予定がきまっている。午後の3時ごろから学習塾の講師にいくためにその時間までを多く利用してきた。それが近年、月・火に講師の仕事を入れなくなった。日曜日から3連休にした。
ご主人が定年退職されて自宅におられるようになってテニス以外の習い事を組み入れた。毎週、水曜日から金曜日までギターと英語が入って午前中は詰まっている。
テニスも何年来続けておられるがギターも英語も大方10年近くの習い事になった。よくやっているなと感心する。
月謝も大変だがそんな月謝ぐらいは彼女の講師の仕事で賄えるのだろう。
そして遠く離れた故郷には駐車場もしている。親が残した土地の1つを活用して駐車場にした。
彼女を見ているとお金のあるところはまたお金を生んでいくという現実を見せつけられるようだ。
双方の子どもが小学校2年のときからの友人である。
村的志向でよそ者をいれない町の人の閉鎖的なところにも借家が何軒も建った。1970年代の後半、バブル時代に入るころだった。
そんな借家に転勤族が住み始めた。
私はそれより以前に建てられた借家でもう築15年ほどだったが安普請だったので家は傾き沼地の後の建物はいつもじめじめしていて湿気の多い家だった。
この家には長く住みたくない家だと思っていた。女友達の家は新築されたばかりの借家で社宅として借りられていた。私の家から歩いて5分もかからないところに住んでいた。子どもが同学年で同じクラスでスクールバスも同じで帰る道も一緒だった。
子どもたちの仲良し組み何人かのグループになっていた。
それでも保護者や近所の人はよそ者扱いだった。
そんな私と女友達は仲良しになった。お互い助け合いながらその閉鎖的な学校でPTA役員をしてきた。
申し合わせたわげではないのに女友達はJR奈良駅の分譲マンション、私はそれから少し行った市内循環バス道路沿いの「綿町」の分譲マンションに時期はおおかた同じにして引越しをした。
これも今考えると誰か目に見えないものが運んでくれたように思う。
引越しをしても近所になったので双方、連絡をとってよく会うようになった。
雑誌記者時代は女友達の時間に私があわしていたが私が新聞記者になって猛烈に忙しくなった。それで私の時間に合わせてくれた。
取材現場に入る前によく会った。
この数年前から講師の仕事の日が変わってたいてい月曜日か火曜日になった。
この秋の行楽シーズン、女友達もまわりに友だちが多いのでゴルフにいったのかなと思った。
でかけることがないとわかると電気毛布を出して干した。寒くなってきてもうそろそろ必要になってきた。
テレビの気象情報では午後から雨がふると言っていたが空は晴れている。
安心した。さっき布団の中で新聞を読んでいて居眠りをしていたても電気毛布のことが気になって寝られない。
これまで天気のいい日が続いたのに仕事で外に出てしまうので干せない。今日10時になると外にでる用事はないとわかってあわてて電気毛布を干した。
さっき少し曇っていた空が今は晴れわたっている。
もうそろそろ夫が帰ってくる。
昨日、大根の薄切りやシメジや豆腐、菊菜など入れてしゃぶしゃぶをした。少し大根とシメジが残っている。出汁昆布も残っている。出し昆布は細く千切りにしよう。そうめんをゆがこう。ホットプレートに水と出汁をいれて味付けして入麺にして食べよう。
明日は大阪で仕事がある。そしてまたうちあわせが多くなる。
いっときの休養である。
部屋から見える民家の間から見える木々が少し紅葉している。もう山々は赤く染まる頃に近づいてきた。
私が印象に残っている紅葉の美しい所は雑誌記者時代に訪れた奈良市内の郊外にある正暦寺である。県道から大分離れた山あいの中にあるお寺、大小の紅葉、真っ赤に染まったその景色に自然の織り成す不思議さに魅了した。
もやもやとしていた心がすーと解けるようだった。
今度は在日韓国人の日刊紙の新聞記者になって民団京都右京支部だったと思う。当時どこも渡来文化めぐりの学習会が盛んだった。団員たちが湖東三山に行った。私は同行取材だった。
バス貸切りで湖東三山めぐり、三井寺にもいった。湖東には渡来文化として石塔寺がある。石塔寺の帰りだったのか。三井寺の参堂を歩いた。秋の行楽シーズンで多くの人たちが訪れていた。
紅葉した木々のアーチの下を歩いた。仰ぎながらみる紅葉、遠くからみる紅葉、手に取ってみる紅葉、紅葉に満喫した。
三井寺の紅葉に宇宙が作り出す神秘、人間でははかりしれないものが動いていると実感した。
そしてもう1つ、御堂筋の銀杏並木、黄色に色づく銀杏並木は荘厳そのものである。明日は在日外国人高齢者の無年金訴訟で大阪地裁に行くが大阪市役所前にある歩道に植えられた桜などどんなに色づいているのか楽しみである。仕事の合間に触れる季節感、心を和ませてくれる。
奈良公園もそろそろ紅葉の時期になるだろう。いつもバスの中から見るだけで歩いてみたのはいつのことだろう。
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