鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

1日があっという間に過ぎていく。

2007-07-26 16:03:06 | 直言!
さっき夕立になった。パソコンの前に座っていると雨の音がした。大降りの雨にあわてて洗濯物を入れに行った。
今は雨がやんで晴れている。
あれが通り雨というのだろう。
雨の音、自然の音はやはり心が落ち着く。
マンション暮らしになってこうした自然の音が我が家から聞かれなくなった。あるのは車が走行する音や救急車や消防車、パトカーが急走行している音などすべて人工的に作られた音の中で暮らしている。
テレビもラジオも携帯も電話もすべて人工的に作ったものである。

子どものころ過ごした実家、隣の家の木々の葉ずれの音が聞こえていた。
我が家と隣の間にあった溝、雨がふると溝が流れる音がした。
暮らしの中に自然の中でできる音があった。
向かいのおばさんの道を掃く音、水をまく音、暮らしの中にそんな音があった。
そして子どもたちのかけまわる子どもたちの声があった。

今は町の中から子どもの歓声も聞こえなくなった。
車が行き交う町、町の中は大人たちが歩いている。
騒がしくもあり静かでもある。
今、マンションのベランダに時々鳩が降り立っているがこんな光景も見ることが少なくなった。時々鳩がフンをしているので適当に私はおっぱらっている。
通り雨の音、ほっと気が休まる。
こんな自然の音がなくなった都会、子どもたちにも自然の音にふれることが少なくなった。こんなところから子どもたちの感性が変化していっているのだろうか。
どこかで自然と対峙する暮らしそして自然の音が耳に伝わり肌に伝わる。そしてやがてそれは人づくりで大切なものと気がついて子どもたちはゲームで遊ぶことより自然の風の音、水のせせらぎ、葉ずれの音、どこかで鳥が鳴いている。息子が育った奈良市佐紀町は村的志向の強い集落だったが自然環境に恵まれていた。
広大な平城宮跡、そして家の近くには瓢箪山古墳があり小高い丘があった。ここで息子たちはいろんな遊びを考えて遊んでいた。池には息子たちの好きなエビガニにもいた。
自然に囲まれたところで育った。
幼稚園も小学校も遠くてスクールバスを利用しての通学だったが息子たちは元気に通学していた。自然がたっぷりある環境で育ち自然の音がいっぱい聞きながら育った。

その息子が今は沖縄に住んでいる。日本なのに日本ではないその景色、韓国と中国の文化が入り混じったエキゾチックな町である。
そんな町に魅せられたのかそこで暮らしている。
しかし四季がない。雪がふることはめったにない。
霜柱がたつなんてめったにない。
息子は奈良の景色は「枯葉色になった冬の山を時になつかしく愛しく思う」と言っていた。子どもたちに奈良の四季を伝えて日本列島の織り成す自然の音を教えてもらいたい。
自然の音はやがて人間の感性を育んでいる。
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