父親は天皇陛下が生まれたとき小学生で京都市立東和小学校に通っていた。
当時、父親は優秀で級長もしていたという。
なかなか当時の天皇陛下、昭和天皇に男子が生まれないので周りがやきもきしていたという。
そしてやっとできた男子、現在の天皇陛下に日本国内は大喜びとなった。
父親は小学生だったが小学生は先生と一緒に夜、提灯をもって御所までお祝いに駆けつけたという。すごい提灯行列になったという。
こんな話を天皇陛下(当時、話を聞いている頃は4月29日の祝日)の誕生日になるとこの話を聞いた。級長だった父親は前に並んで御所にいったという。このときの父親はどんな気持ちだっただろうか。今となって父親の気持ちが複雑な思いだつたのか---。小学生だったからそんな複雑な気持ちはなかったのだろうか。名前は鄭、テイと名乗っていたという。ということは創始改名前だったのか。
子どもの私たちに自分の子どもの頃に元天皇が誕生した当時をよく話してくれた。
妹が12月22日生まれだったので妹は「明日は皇太子の誕生日や」とよくいっていた。
今日はこれから身支度して息子家族に送るものがあって出かけないといけない。
昨日は忙しかった。
朝は10時半に行きつけの喫茶店に入った。
西大寺から橿原神宮行きの特急は12時49分、喫茶店は12時前に出た。
出る前に家でご飯1膳かき込んできたが西大寺駅校内にショッピングするところができたらしいので今日はゆっくり歩いて見ることにした。
飲食店は洋物ばかりで入る気がしない。
やっと見つけたのが道頓堀で有名な「たこ焼き」屋があった。
ここでたこ焼き8個食べた。有名な店とあって美味しかった。
しばらくして12時49分の橿原神宮行きの特急に乗って橿原神宮に向かった。
着いたのは1時11分、西出口に出て橿原市立畝傍南小学校に向かった。
事前に学校に電話して所要時間を聞いた。5分程度なので歩いた。
この学校に着くと橿原市で活躍する在日韓国人の子どもと保護者らにあった。
少し早い目に入ったので在日の保護会の創立当初から活動しているお母さんに話を聞いた。みんな昔から知っているお母さんはきちんと応えてくれたので大変助かった。人間性が出るのか皆、優しいし温かい。
行事は3時半に終わって3時半に出た。
京都行き特急が3時53分、これに合わして出ることで急いで学校を出た。
駅に行く途中で大通りの向こうから挨拶をする人がいる。
タウンジャケット着て折られる。顔は見たことがあるが名前が思い出せない。
私はまた失礼なことをしている。
「どちらさまですか。顔はよく見ていますが」
そしたら「猪熊です」とおっしゃる。いつも背広姿を見ているので場所と服が変わると分からなくなってしまう。
これで思い出した。歴史学者で有名な猪熊兼勝先生だった。
私は「また失礼なことしてすみません」とお詫びをした。
そして駅まで一緒に行った。
「僕はここに住んでいます」と話された。
大阪か京都に住んでいるとばかり思っていたのは私の見込み違いだった。
京都の橘大学に勤務しておられる。橿原市からだったら通勤がしやすい。
それで奈良新聞で猪熊兼勝先生の名前をよくお見かけすることがやっとわかった。私は四天王寺ワッソの本祭でよくお会いしている。本祭の実行委員長をしておられる。
駅近くで分かれて私は奈良行き改札口に向かった。
3時53分の特急券を買ってホームに行った。
西大寺に着くと4時18分、急いで駅構内のショッピングセンターの惣菜屋にいって揚げたての天ぷらを買ってこんにゃくの煮たものを買って奈良行きホームに急いだ。奈良に着くと40分、市内循環で自宅に戻ると5時、顔を洗って足を拭いて着替えて夕食の支度。夫に食材、韓国料理を作ることをいっていたので急いだ。セリを湯がく。イカも掃除して湯がく。
どちらも適当な大きさに切って韓国の食材にする。
酢、味噌、砂糖、味醂、韓国のニンニク唐辛子を入れて混ぜる。
調味料の量加減が上手くいかないと味がおかしくなる。
慎重に丁寧に味付けして美味しい食材ができた。
やれやれ----。
1日が終わっていく。
さてこれから身支度して外出です。
当時、父親は優秀で級長もしていたという。
なかなか当時の天皇陛下、昭和天皇に男子が生まれないので周りがやきもきしていたという。
そしてやっとできた男子、現在の天皇陛下に日本国内は大喜びとなった。
父親は小学生だったが小学生は先生と一緒に夜、提灯をもって御所までお祝いに駆けつけたという。すごい提灯行列になったという。
こんな話を天皇陛下(当時、話を聞いている頃は4月29日の祝日)の誕生日になるとこの話を聞いた。級長だった父親は前に並んで御所にいったという。このときの父親はどんな気持ちだっただろうか。今となって父親の気持ちが複雑な思いだつたのか---。小学生だったからそんな複雑な気持ちはなかったのだろうか。名前は鄭、テイと名乗っていたという。ということは創始改名前だったのか。
子どもの私たちに自分の子どもの頃に元天皇が誕生した当時をよく話してくれた。
妹が12月22日生まれだったので妹は「明日は皇太子の誕生日や」とよくいっていた。
今日はこれから身支度して息子家族に送るものがあって出かけないといけない。
昨日は忙しかった。
朝は10時半に行きつけの喫茶店に入った。
西大寺から橿原神宮行きの特急は12時49分、喫茶店は12時前に出た。
出る前に家でご飯1膳かき込んできたが西大寺駅校内にショッピングするところができたらしいので今日はゆっくり歩いて見ることにした。
飲食店は洋物ばかりで入る気がしない。
やっと見つけたのが道頓堀で有名な「たこ焼き」屋があった。
ここでたこ焼き8個食べた。有名な店とあって美味しかった。
しばらくして12時49分の橿原神宮行きの特急に乗って橿原神宮に向かった。
着いたのは1時11分、西出口に出て橿原市立畝傍南小学校に向かった。
事前に学校に電話して所要時間を聞いた。5分程度なので歩いた。
この学校に着くと橿原市で活躍する在日韓国人の子どもと保護者らにあった。
少し早い目に入ったので在日の保護会の創立当初から活動しているお母さんに話を聞いた。みんな昔から知っているお母さんはきちんと応えてくれたので大変助かった。人間性が出るのか皆、優しいし温かい。
行事は3時半に終わって3時半に出た。
京都行き特急が3時53分、これに合わして出ることで急いで学校を出た。
駅に行く途中で大通りの向こうから挨拶をする人がいる。
タウンジャケット着て折られる。顔は見たことがあるが名前が思い出せない。
私はまた失礼なことをしている。
「どちらさまですか。顔はよく見ていますが」
そしたら「猪熊です」とおっしゃる。いつも背広姿を見ているので場所と服が変わると分からなくなってしまう。
これで思い出した。歴史学者で有名な猪熊兼勝先生だった。
私は「また失礼なことしてすみません」とお詫びをした。
そして駅まで一緒に行った。
「僕はここに住んでいます」と話された。
大阪か京都に住んでいるとばかり思っていたのは私の見込み違いだった。
京都の橘大学に勤務しておられる。橿原市からだったら通勤がしやすい。
それで奈良新聞で猪熊兼勝先生の名前をよくお見かけすることがやっとわかった。私は四天王寺ワッソの本祭でよくお会いしている。本祭の実行委員長をしておられる。
駅近くで分かれて私は奈良行き改札口に向かった。
3時53分の特急券を買ってホームに行った。
西大寺に着くと4時18分、急いで駅構内のショッピングセンターの惣菜屋にいって揚げたての天ぷらを買ってこんにゃくの煮たものを買って奈良行きホームに急いだ。奈良に着くと40分、市内循環で自宅に戻ると5時、顔を洗って足を拭いて着替えて夕食の支度。夫に食材、韓国料理を作ることをいっていたので急いだ。セリを湯がく。イカも掃除して湯がく。
どちらも適当な大きさに切って韓国の食材にする。
酢、味噌、砂糖、味醂、韓国のニンニク唐辛子を入れて混ぜる。
調味料の量加減が上手くいかないと味がおかしくなる。
慎重に丁寧に味付けして美味しい食材ができた。
やれやれ----。
1日が終わっていく。
さてこれから身支度して外出です。
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