朝から「電車の中--」を1本作っていると9時半になった。
パソコンを閉じてテレビ番組「建物探訪」を見た。この後、「ぶったま--」という番組、阪神の新監督などの話があると思って見ていたがそんな面白くなかった。ぼんやりとあちらこちらとチャンネルをまわしてテレビをつけながら新聞を1紙読んだ。11時、昼にはまだ早いが昼食をとった。
そしてまた11時半頃からバソコンの前に座るがまだしていない仕事が残っていた。取材活動の明細をノートにつけていなかった。
領収書を整理してノートをつけ終わると1時半、これをパソコン入力するがまた火曜日に仕上げよう。
そのまえにすることがあった。
「あの日---」の連載原稿を作成した。明日も明後日も現場の仕事が入っている。
ある程度仕上げておかないと明日は遅くなる。明後日は早い。
仕上げると3時過ぎていた。
昨日は猛烈に忙しくしたので今日は休養しないといけないと思っていたがもう夕食の支度をしないといけない。
空は秋の空、カラリと晴れている。
晴れた空で今日は土曜日、多くの人が正倉院展に来ていて奈良は混雑しているだろう。
弟夫婦は墓参りの後、国立奈良博物館に立寄って見て行くという。
見たいときに見ておいたほうがいいと言った。
私はもうバスが遅れていつもイライラしていると余計なことを言ってしまった。
この間、木津は第4土曜。日曜に秋の祭だった。つい最近まで10月20日・21日だったがサラリーマン化した現代、祭にかかわる人のことを考えて祭の日が変わった。
嫁さんが鯖寿司を届けてくれた。
木津のあるところで買ってきたものだったが美味しかった。
夫婦でペロリと食べてしまった。
鯖寿司を食べていると少し祭りの気持になった。
フトン太鼓を叩く音が聞こえてきそうだった。
なんともいえないあの太鼓の音は昔、日本が何もなかった時代を思い出す。
この時は学校も2時間で終わりだった。
自宅の前を御輿が通っていく。
2時間の授業を終えて帰ってくると御輿が自宅のずっと手前でとまっている。そしてしばらくすると御輿が自宅の前を通っていく。
ここを通って今度はすぐ側にある祇園神社にとまっていた。
国道163号線にとまっていた。
当時は車もそんなに通らない。のどかな祭だった。
それから今度は163号線を御輿は歩いて行き木津駅前でとまってそして御霊神社に御輿は入る。
ここには長老たちや町の有力者たちが昼食を頂きながら御輿の拝ぜんまわりを楽しんだ。一般ものものは立って遠くから見学したものだった。
そんな祭を思い出すが今はどうなっているのかわからない。
そして今、思い出した、御輿に乗る男の子の学校に当校ができない。
あれは特別の許可をもらっていたのかな。
昔はそんなことにいちいち口出す人もいなかつたが今は町も新興住宅になって様々な考えかたの人がいる。そんなことも理由になって土・日になったのだろうかとふと思った。
もう長いこといっていない。
もう4時前、夕食の支度をしないといけない。
パソコンを閉じてテレビ番組「建物探訪」を見た。この後、「ぶったま--」という番組、阪神の新監督などの話があると思って見ていたがそんな面白くなかった。ぼんやりとあちらこちらとチャンネルをまわしてテレビをつけながら新聞を1紙読んだ。11時、昼にはまだ早いが昼食をとった。
そしてまた11時半頃からバソコンの前に座るがまだしていない仕事が残っていた。取材活動の明細をノートにつけていなかった。
領収書を整理してノートをつけ終わると1時半、これをパソコン入力するがまた火曜日に仕上げよう。
そのまえにすることがあった。
「あの日---」の連載原稿を作成した。明日も明後日も現場の仕事が入っている。
ある程度仕上げておかないと明日は遅くなる。明後日は早い。
仕上げると3時過ぎていた。
昨日は猛烈に忙しくしたので今日は休養しないといけないと思っていたがもう夕食の支度をしないといけない。
空は秋の空、カラリと晴れている。
晴れた空で今日は土曜日、多くの人が正倉院展に来ていて奈良は混雑しているだろう。
弟夫婦は墓参りの後、国立奈良博物館に立寄って見て行くという。
見たいときに見ておいたほうがいいと言った。
私はもうバスが遅れていつもイライラしていると余計なことを言ってしまった。
この間、木津は第4土曜。日曜に秋の祭だった。つい最近まで10月20日・21日だったがサラリーマン化した現代、祭にかかわる人のことを考えて祭の日が変わった。
嫁さんが鯖寿司を届けてくれた。
木津のあるところで買ってきたものだったが美味しかった。
夫婦でペロリと食べてしまった。
鯖寿司を食べていると少し祭りの気持になった。
フトン太鼓を叩く音が聞こえてきそうだった。
なんともいえないあの太鼓の音は昔、日本が何もなかった時代を思い出す。
この時は学校も2時間で終わりだった。
自宅の前を御輿が通っていく。
2時間の授業を終えて帰ってくると御輿が自宅のずっと手前でとまっている。そしてしばらくすると御輿が自宅の前を通っていく。
ここを通って今度はすぐ側にある祇園神社にとまっていた。
国道163号線にとまっていた。
当時は車もそんなに通らない。のどかな祭だった。
それから今度は163号線を御輿は歩いて行き木津駅前でとまってそして御霊神社に御輿は入る。
ここには長老たちや町の有力者たちが昼食を頂きながら御輿の拝ぜんまわりを楽しんだ。一般ものものは立って遠くから見学したものだった。
そんな祭を思い出すが今はどうなっているのかわからない。
そして今、思い出した、御輿に乗る男の子の学校に当校ができない。
あれは特別の許可をもらっていたのかな。
昔はそんなことにいちいち口出す人もいなかつたが今は町も新興住宅になって様々な考えかたの人がいる。そんなことも理由になって土・日になったのだろうかとふと思った。
もう長いこといっていない。
もう4時前、夕食の支度をしないといけない。
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