鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月3日、テレビのニュース速報にテロップが出た。

2007-05-05 19:13:13 | 直言!
75歳だったという。そして翌日4日の新聞の朝刊には多くの人のコメントが掲載されていた。私は横山ノックさんと仕事の中で3回か4回、お会いしている。どんな時も日本人記者と同様わけ隔てなく対応して下さった。当時は知事としてはそれが当たり前と思っていた。
しかし後日の知事との現場でそうではないことに気がついて傷心で家路に向かったことがあった。
横山ノックさんに対して様々な意見はあるだろう。まことに漫才師のように最後は思わぬ気持ちの油断で最後の顛末は自分で落ちを作ってしまった。
それは感心できなもので新聞記事の中で評価できないとコメントする人も多かった。
しかし私は仕事で現場に入ったが在日韓国人の報道関係者にもきちんと対応して下さりいつも丁寧に対応して下さった。
新聞記事のコメントで天才的な明るさだったと言われている。
仕事の中だったのでそんな場面は1度もみたことはないが人柄のよさそうな人だと訃報をきいてあらためてそう思った。
私は30代の後半は猛烈な落合恵子さんのフアンだった。
ある日、落合恵子さんの自宅に電話すると家族が大阪で「『ノックは無用』に出演されるのでそのテレビの楽屋に訪ねて下さい」と言って下さった。そして私は転勤してこられたばかりの今も仲のいい女友達と一緒にテレビ局を訪ねて落合恵子さんの控え室に行った。待っている間、ケーキとコーヒーを用意して下さった。
私は当時日本式の名前を名乗っていたが「金」がついているのですぐに在日韓国人だと分かったはずだ。
それでも快く応対して下さった。もちろんテレビ局の配慮もあるだろうがやはり横山ノックさんの人柄でスタッフにも気配りができていたのだろう。
あのときの落合さん。真っ白のスーツにブルーのスカーフが映えてキラキラと耀いていた。ホンマモンの落合恵子さんに会ってもっとフアンになって私は当時専業主婦だったが洋裁を習いにいっていたのでさっそく白のスーツを作った。長い間重宝していたがさすが加齢になりまた時代の流れで今のファッションにあわなくなった。それでも自分で作った洋服はどれも大切に取っていたが昨年の大掃除で全部捨ててしまった。
そして横山ノックさんの訃報である。
「ノックは無用」からずいぶんの年月が流れた。
仕事の現場でお会いしてもその話は別のものだったので若いときの話は一切しなかったが横山ノックさんはどこかに記憶にあっただろうか。
ほんとうに分け隔てなく対応して下さった。
女性は女性のすることをよく見ている。わずかな隙間だから見ていないと思っているだろうが突然の取材で駆けつけたがあの時の在日韓国人に対する冷たい態度は忘れていない。
だから今もまだ好意的にみられない。
今は変わっておらるかもしれないが------。その現場に今は若い記者が入っている。もうそんなことはないだろうと思っている。
そんな現場の日々に横山ノックさんの誰にでも同じように対応して下さったことが今も記憶に残っている。
しかし漫才師だからとって最後の落ちの顛末は残念である。
男性は幾つの年になっても好色男子なのだろうか。はたと思ってしまう。
とりあえず人柄のよさそうな人だった。
合掌。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 疲れて何もしないでテレビを... | トップ | 風邪をひいている。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

直言!」カテゴリの最新記事