鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

「根性西瓜」の言い訳

2008-08-22 07:44:35 | 直言!
盆あけに知人の会社に行ってみると会社の横に西瓜ができていたという。
小さい西瓜に会社の人も驚いて誰かが1人、その小さな西瓜を触りたくったという。夫は言う。
「あいつが触ったから西瓜はもう育たへんわ」
そしてまた2・3日して西瓜を見るとまだ西瓜は野球ボールぐらいになっていた。
また私に話す。
私は「そんなやったらあんたの携帯のカメラでその西瓜の写真を撮ってきて」と頼んでいた。それから私はもう西瓜のことは忘れていた。
そして昨日、西瓜の写真を撮ってきた。
今はソフトボールより小さい。野球のボールより大きい実のついた西瓜になっているという。
コンクリートの割れ目に種が入ってそこから西瓜の種が芽を出した。
今、ふっと思った。
鳥が西瓜の種を落としていったのかと思ったりした。
国道24号線からバイパスに入ったすぐのところである。
前にはカラオケなどの店もあり多くの人が行きかっている。誰か西瓜を食べて種を捨てたのだろうか。
1つの種から西瓜ができる。
自然の摂理の不思議さを思う。
会社の人はあまりにも不思議な西瓜に触ったりして慈しんでいるが夫は触ったらあかんと言っている。黙って西瓜がどんなふうになっていくのか見守っている。
西瓜ドロボウに合わないように願っている。
小さな西瓜、自力で生きてきた西瓜、すごい生命力である。
命あるものはすごい。
今、実家にあるびわの木、あれも妹がびわを食べて種を裏庭に捨てたものがびわの木になった。これも自力で命を繋いで1本の木になった。
土のある生活はこんな風なのかとおもった。
しかし西瓜はコンクリートの割れ目から芽がでて育ち西瓜の実をつけた。
西瓜の実は「見て見て。こうして命をつないでいるよ」といわんばかりである。
文章のタイトルにまよったが結局「根性西瓜」になった。
秋が1日1日近づくとどうなるのだろうか。

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