今日はパソコンの前で時間に追われてする仕事がない。
こんなことは久しぶりです。
「奈良おんな物語」も1昨日に粗方、仕上げてゲラ確認作業をしてもらっている。ただ夫が家にいて風邪でゴンゴンと咳をしている。
病院に行ったらというが市販の風邪薬を飲んで寝たり起きたりしている。
私もまだ咳がでるとゴンゴンと激しい咳をしている。
それで市販の咳止めの薬を飲むと眠たい。
朝から1時間程度寝ている。
午後からも1時間程度寝ていた。
3時に起きて家事をして夕食の支度をして食卓に並べて私は風呂に入った。
風呂から出て4時、まだお腹が空いていないのでパソコンの前に座った。
5時になったらパソコンを閉めることにしよう。
テレビのニュースは中国で起こっている反日デモの様子が伝えられている。
何もここまでしなくてもいいのにと見ている。
けれど日本が満州に攻め込んだ日が、今日、満州事変は9月18日という。
こんなこと学校で少し習ったが全部、忘れてしまった。
たしか中学に入ると日本史の中で日本が攻め込んで満州を日本の領土にして鉄道を作った。これが満州鉄道というらしい。いわゆる満鉄です。
そして多くの日本人が中国にわたっていった。
第2次世界大戦で日本は戦争に負けてその後の歴史は今も語り継がれている中国から日本に戻る時の悲惨さを伝えてきた。
中国残留孤児も日本植民地支配したときの残像です。
私の中学時代は1957年から3年間です。
アメリカナイズムされた教育も入ってきた。
フォークダンスを習った最初の中学生だったかもしれない。
男性と手をとって踊ることはそれまでの教育の中ではご法度だった。
運動場に出てオクラホマの音楽に合わせて踊った。
男子と手をつなぎたくないとワアワアいっている女子生徒もいた。
今の高校生、こんな話を聞くとアホかいなと思うほど現在の中学生、高校生の男女の距離は接近してしまった。
運動会で旗体操を1年の時かしたことがあった。
それが翌年から禁止された。
当時はその理由がわからなかったが軍国の日本を思わせる体操だったのだろう。
この授業にアメリカからクレームのついたのだろう。
教育の中は少しずつ、男女共学の制度に浸透させていった。
私は田舎で育ち町の暮らしは知らないで育った。
田舎から見るとそう簡単に行くことができない東京は憧れの都会だった。
女の子はそう簡単に実家を出て1人暮らしはさせてもらえなかった。
結婚するまで実家で過すことが親の責任だった。
生まれ育った家から嫁に出すのが親の責任だった。
一昔前の中国と違って今は想像がつかないほど発展している。
1986年に見た中国・北京の町はまだまだ貧しくて汚れた町だった。
あれから30年近くたっている北京は発展しているだろう。
けれど私の記憶の中は夜になると暗闇の北京の町を思い出してしまう。
外国人がよく泊まるといわれていた建国飯店に何人かタクシーで駆けつけた。
仕切っていた奈良新聞の報道デスク(今は故人)は料金のぼったくりに嘆いていたことも思い出した。
若かったから知らない国に行って知らない町をタクシーで行き歩いた。
今はもうそんなことはできない。
寄る年端に考えてしまう私の高齢者です。
その中国で反日デモが起きている。
尖閣諸島問題だが-----。
漁業問題に発展するとあって中国も凌ぎを削っている。
はてさて-------。
私の先祖は土地を奪われて食べられなくなって日本に渡ってきた。
日本植民地支配が始まった時に大地主だった先祖の土地は1町だけ残して全部、日本に没収された。留置場に入れられた祖父のお父さん。土地を渡すことで留置場から出ることができたがこの後に亡くなっていることはいかに日本の憲兵の拷問が激しかったことかである。
プライドを持って日本に渡日した祖父や父たち、その一族が我が先祖です。
1番嫌な創始改名、創始改名にも先祖のプライドを持った。
先祖が集っていた「平川書院」、この書院の名前をとって一族の創始改名は「平川」とした。その末裔の子孫が京都、奈良、大阪など多方面にわたってくらしている。
こんな歴史を父親から聞いて育っている私は日本で生まれているが韓国も私のルーツです。韓国も好き、日本も好き。領土問題がでると無口になってしまう私です。
さてこれから夕食をします。
また明日-----。
こんなことは久しぶりです。
「奈良おんな物語」も1昨日に粗方、仕上げてゲラ確認作業をしてもらっている。ただ夫が家にいて風邪でゴンゴンと咳をしている。
病院に行ったらというが市販の風邪薬を飲んで寝たり起きたりしている。
私もまだ咳がでるとゴンゴンと激しい咳をしている。
それで市販の咳止めの薬を飲むと眠たい。
朝から1時間程度寝ている。
午後からも1時間程度寝ていた。
3時に起きて家事をして夕食の支度をして食卓に並べて私は風呂に入った。
風呂から出て4時、まだお腹が空いていないのでパソコンの前に座った。
5時になったらパソコンを閉めることにしよう。
テレビのニュースは中国で起こっている反日デモの様子が伝えられている。
何もここまでしなくてもいいのにと見ている。
けれど日本が満州に攻め込んだ日が、今日、満州事変は9月18日という。
こんなこと学校で少し習ったが全部、忘れてしまった。
たしか中学に入ると日本史の中で日本が攻め込んで満州を日本の領土にして鉄道を作った。これが満州鉄道というらしい。いわゆる満鉄です。
そして多くの日本人が中国にわたっていった。
第2次世界大戦で日本は戦争に負けてその後の歴史は今も語り継がれている中国から日本に戻る時の悲惨さを伝えてきた。
中国残留孤児も日本植民地支配したときの残像です。
私の中学時代は1957年から3年間です。
アメリカナイズムされた教育も入ってきた。
フォークダンスを習った最初の中学生だったかもしれない。
男性と手をとって踊ることはそれまでの教育の中ではご法度だった。
運動場に出てオクラホマの音楽に合わせて踊った。
男子と手をつなぎたくないとワアワアいっている女子生徒もいた。
今の高校生、こんな話を聞くとアホかいなと思うほど現在の中学生、高校生の男女の距離は接近してしまった。
運動会で旗体操を1年の時かしたことがあった。
それが翌年から禁止された。
当時はその理由がわからなかったが軍国の日本を思わせる体操だったのだろう。
この授業にアメリカからクレームのついたのだろう。
教育の中は少しずつ、男女共学の制度に浸透させていった。
私は田舎で育ち町の暮らしは知らないで育った。
田舎から見るとそう簡単に行くことができない東京は憧れの都会だった。
女の子はそう簡単に実家を出て1人暮らしはさせてもらえなかった。
結婚するまで実家で過すことが親の責任だった。
生まれ育った家から嫁に出すのが親の責任だった。
一昔前の中国と違って今は想像がつかないほど発展している。
1986年に見た中国・北京の町はまだまだ貧しくて汚れた町だった。
あれから30年近くたっている北京は発展しているだろう。
けれど私の記憶の中は夜になると暗闇の北京の町を思い出してしまう。
外国人がよく泊まるといわれていた建国飯店に何人かタクシーで駆けつけた。
仕切っていた奈良新聞の報道デスク(今は故人)は料金のぼったくりに嘆いていたことも思い出した。
若かったから知らない国に行って知らない町をタクシーで行き歩いた。
今はもうそんなことはできない。
寄る年端に考えてしまう私の高齢者です。
その中国で反日デモが起きている。
尖閣諸島問題だが-----。
漁業問題に発展するとあって中国も凌ぎを削っている。
はてさて-------。
私の先祖は土地を奪われて食べられなくなって日本に渡ってきた。
日本植民地支配が始まった時に大地主だった先祖の土地は1町だけ残して全部、日本に没収された。留置場に入れられた祖父のお父さん。土地を渡すことで留置場から出ることができたがこの後に亡くなっていることはいかに日本の憲兵の拷問が激しかったことかである。
プライドを持って日本に渡日した祖父や父たち、その一族が我が先祖です。
1番嫌な創始改名、創始改名にも先祖のプライドを持った。
先祖が集っていた「平川書院」、この書院の名前をとって一族の創始改名は「平川」とした。その末裔の子孫が京都、奈良、大阪など多方面にわたってくらしている。
こんな歴史を父親から聞いて育っている私は日本で生まれているが韓国も私のルーツです。韓国も好き、日本も好き。領土問題がでると無口になってしまう私です。
さてこれから夕食をします。
また明日-----。
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