鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は風が強い。

2008-05-29 17:54:06 | 直言!
そのときは雨がやんでいたがまた降るかもしれないと思って今日は普通の柄の長い傘を持って出た。
それが雨は降らない。
銀行での所用を済ませて文房具屋さんに行って50数枚のコピーを取った。
携帯に電話が入る。取材要請だった。
とりあえず現場に入ると言うことは返事した。資料のFAX送信を依頼した。
そして行きつけの喫茶店にいく。
新聞を読む。話をしたそうな人が1つ置いて隣に座っておられるが私はしらん顔して新聞を読んだ。美容院の予約は12時、喫茶店11時半にでてまた銀行によって100円玉を両替しないといけない。
急いで新聞を読んでいく。
そして携帯にメールする人がいたので急いでメールを打つ。そうすると11時20分、トイレにたって喫茶店を出たのは11時45分、銀行で小銭に両替して美容院に向かう。
風がきつい。
またトイレがしたい。途中の道にあるホテルによってトイレだけをして出た。ここは11時半から昼ランチをしているところ。かつて私は50代の半ばまでよく利用していたが夫が定年退職してからはもうここの昼ランチをすることがなくなった。友人とここで昼ランチをしてもコーヒーが飲めても落ち着かないのでまた下の喫茶でコーヒーを飲むことになる。昼ランチにしては高くつくので利用することがなくなった。
適当な値段で食べられるところで昼ランチにしている。
喫茶店で軽食するのが近年の昼ランチになった。

2ヶ月ぶりの美容院、ここのとしころ何かしら忙しかった。
ネットの原稿も週3本持っていたので何かしら忙しかった。
やっと2本になったので少し落ち着いた。しかし忙しくても紹介して記録に残しておく価値のあるものだったのでネットで紹介をした。
在日コリアンの1世の語り部がいなくなる。語り部の記録をとって文章化したものを私が紹介しただけだった。
それでもバソコン入力をしていくので少しは時間をとっていく。

12時前に美容院に入ってカラーリングとカットしてもらって2時、今日はコピーも先に取ってきたのでそのままどこにもよらず自宅に戻ることにした。自宅近くのスーパーに寄って買物をした。
パン屋さんで働くある主婦、食パンを買っているときに見ている気配を感じたが買う物を忘れてはいけないと思ってさっさと野菜売り場に行った。スーパーの籠に当分の惣菜を入れてレジに行こうとしたら彼女は私の顔を見て「こんにちは、久しぶり、元気にしているの」と声をかけてくれた。
私は「まあまあ元気」と言った。
そしてもうスポーツクラブをやめていると思っていると考えていたが「まだ行っているの」と聞くと「まだ行っている」という。私は「わあすごいやんか」といいながら「また」と言って立ち去った。
私より1歳下だったのかな。1歳上だつたのか。
彼女と同時期ぐらいに近鉄奈良駅近くのスポーツクラブに通いだした。スポーツクラブで知り合った。彼女やその連れたちはいつもエクササイズのダンスを目的に来ていた。私はみんなと一緒に合わせてするのは苦手、まして運動は苦手、1人でスポーツ機械を使ったりプールで歩いたりしていた。唯一サウナで一緒になった。
小さな部屋で数人が入っているのでなんとなく世間話をして入っている。
私が1年間、通ったのは1年間仕事を休んだからだった。
このまま記者の仕事はやめてもいいとは思っていたが書くのは好きだったので雑誌の記事を少し書いていた。時間は結構あった。それで時間があったのでスポーツクラブに通っていた。
しかし1年後、またもとの職場に復帰することになってまた忙しい生活のスタイルになった。スポーツクラブに行けなくなってとうとう1年後会員から退くことにした。それからそこのスポーツクラブに行くことはなくなった。
その後はいつも忙しい日課で追われている。
それにしてもパン屋さんの勤務は3時前まで。そして一目散にスポーツクラブに自転車で来る。4・50分のエクササイズのダンスをしてサウナに入ってシャワーを浴びてするとかれこれ2時間半から3時間はかかる。この時間を苦にならないで使いスポーツクラブに通っている彼女をはじめその連れに感心する。
根気よく通っている人は絶対に太りたくないのである。
それだけ努力をしておられる。
私は太りかけたので通ったがそんなに体重は減らない。そして1年後また職場に復帰すると老化とともにストレスも抱えていくのでやせることなく増えていくばかりである。
スポーツクラブに1年間通っていて不思議なことがあった。
20代や30代の若い母親は子どもが帰ってくる時間に平気でサウナにおられた。そしてサウナで教育論など話していたが私はこのお母さんたちは口先だけと心の中で軽蔑していた。
今頃、子どもが帰ってくる時間、本来、母親は家にいて子どもを迎えてやるのが子どもに対する母親で躾と思っていたので私は心の中で「この人、よく平気でええ格好しているわ」と心の中で軽蔑。子どもたちの行く末を案じていた。そしたら今の社会で起こっている子どもたちの社会現象である。
母親を教育しなければならないと当時痛切に思ってものだった。
その結果の今日をうんでいる。

またある人は子供を作ると太ると言って結婚生活が長いのに子どもを作らないでスポーツクラブに来ている人がいた。この人も変わった人で人の選り好みが激しくて自分が気に入った人しか話さなかった。
私には一言も口を聞かなかった。話している人は美人系かそれとも個性豊かな何をしているか分からないような人と話していた。
平凡な質素な生活をしている私なんか口も聞かなかった。
もう私もいい大人だったので私も知らん顔していたがこんな女性たちがたとえば子どもを作って子育てをしていると言う現実が今日の日本社会の教育問題になるように子どもに育っていると当時、この人を見て行く末を案じたものだった。この人の消息は聞いたことがないので分からない。
またある人は子供が欲しくてたまらないのにできない。息抜きにスポーツクラブにきている人もいた。
また私より年輩の人は昼間運動することで夜がよく眠れるといってきている人もいた。
そしてここで知り合った中国からの女子留学生、双子姉妹が来ていた。中国ではかなり裕福の家庭のようだった。父親はアメリカに赴任しているという。
1人の方は日本が好きになって日本人と結婚した。私のマンションから見える新築のマンションを購入してこられた。もう1人は中国人と結婚してアメリカに渡ったという。
1年に1・2度、バス停で一緒になることがある。
彼女は言った。
「若いときは親も若かったので母親のことは気にならなかったが今は年をとってきた母親のことが気になる」
私はなぜ日本に来たのか。聞いたことがない。聞く必要もないと思って聞かないようにしてきた。
ただ日本語に訛りがあったので聞くと中国の留学生、京都の私立大学に通っていた。国が違うことで裕福な留学生でも苦労はあると私は分かるので私はできるだけ話しかけて日頃の話を聞いていた。
そんな私に安心したのか今でもバス停で会うと「1度遊びに来て下さい」と話してくれる。
もし韓国系の新聞記者をしていなかったら1度は訪問したかもしれないがやはり仕事をしている以上は躊躇する。
そして何より訪問できないのが料理である。
私は食べ物に神経質で身内以外が作った家庭料理が食べられない。私の欠点である。だから高校時代、昼の弁当になるとおかずの交換をしていたが私は絶対に食べられないのそれができなかった。
夫に聞くとこんなこと平気でできるという。そして私に「お前は変わっている」と変人扱いされている。
そして韓国は資本主義、中国は社会主義、韓国に1年に1・2度訪韓するのでやはり躊躇する。スポーツクラブで話すことはなんともなかったが家庭訪問には躊躇する。
そして私より5歳も6歳も年輩の人がある日、突然来なくなった。
そしたら後日入ってきた便りはすい臓がんで亡くなったという。
人生、いろんなことがある。その先がわからないと痛感したものだった。
私は50歳から51歳の1年間通ったがあれからやめないで続けている人のエネルギーに驚いている。すごいとしかいいようがない。

そして雨はやんでいる。
甲子園で阪神対ロッテの試合はあるだろう。今日は変な負け方をしないで勝ってほしい。奈良からもテレビを観戦しながら応援しているのです。
朝、傘を持ってでたのに1度もささなかった。何のために長い傘を持ってでたのだろうか。今日は1日大雨と天気予報は言っていたのだが。
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