鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今朝、夫の朝食の準備、10分寝過ごしたのであわてて冷蔵庫から保存食をだしていた。

2006-11-13 08:40:49 | 直言!
冷蔵庫の下に落ちたちりめんじゃこのびん、無残に粉々にわれて私はちりめんじやこよりも後始末に「しまった」と思った。割れたことは仕方がない。かたけるしかない。まず大きいガラスの破片を拾ってビニール袋にいれた。それから掃除機を持ってきて先で少しずつかけていく。時間がかかるけれど破片がのこっていれば怪我につながる。
ゆっくりそろそろとかけた。
丁寧にかけていてもあとで3つのこっているのが掃除かけた後でも気がつく。気がついてよかった。だれかの足にささらなくてよかった。
寝過ごして急いでいるときにも一瞬、納豆をだそうかと悩んでいた。
大豆もやしの汁、昨日作ったのでそれを食べれば納豆はいいかとかんがえていてちりめんじゃこが手前にあるのにその奥のものをだして手元がくるってしまった。

今朝はパソコンの前に座らないで他の雑用をしょうとおもっていた。
名刺入れがいっぱいになって新しいのをかってきた。その間の名刺は小さな缶にいれてある。日付と現場を書き込んで差し込んでいかなければならない。
連日、現場に走り家にいると原稿作成に追われて交通費を金銭出納帳に書き込んでいなかった。人間の記憶は3日もすればすっかり忘れてしまう。
幸いに11月のカレンダーに現場が書き込んであるのでこれを見ながら今日は整理しなければならない。
そして今日あたり、女友達から昼ランチの誘いがあるかもしれない。今日でなかったら明日かもしれない。
明日は夫が午後早く自宅に戻ってくる。
まあいい。そのときはそのときに考えることにしよう。
その整理ができれば今週は電話取材をしなければならない。
メールの要請が楽なのに関係者のメールアドレスが2・3人しかわからない。
がんばってしていこう。

今朝の高円山の上の空は晴れている。
昨日、「日本ハム」がアジアで1番になったような爽やかな晴れの天気である。
「日本ハム」だから応援をしようという気になった。
ただ韓国の「サムスン」が負けたので残念である。
このとき私は韓国を応援している。
韓国の野球は日本から大分遅れての立ち上がりになった。
日本植民地時代が終われば分断国家になった。
統一という中立を訴える指導者、そして韓国の建国、朝鮮民主主義人民共和国の建国の狭間で半島は揺れに揺れていた。
そして北の指導者は一挙に共産国にしようとけしかけてきた戦争が6・25動乱である。
このとき子どもだった韓国の人からこの戦争時、釜山まで何日も何日も歩いて歩いて逃げていった辛い話をしたことがあった。どの人も辛い動乱の体験をもっている。
休戦ラインが引かれたものの物資不足だったという。
韓日国交正常化されるまで在日同胞は故郷の発展のために船を使い人に頼んで不正ルートだっただろう。韓国に残る家族のために物資を運んだ。生きることにせえいっぱいだった。
この間、日本は動乱の軍需景気で経済成長をしていく段階だった。
韓日国交正常化されて日本から有償、無償の経済支援を受けたことで韓国の国民たちの生活はすこしづつ上に向いていた。
それでもまだ1970年当時に留学した在日韓国人の人たちは日本では米のご飯をたべていたのに韓国に行くとひえやあわの入った麦ごはんだったという。何が辛かったといえば食事が辛くて留学したものの途中で日本に戻ってきた人も多くいたとも聞いている。
大統領が朴正煕になって国民の生活向上に力をいれて経済産業の構築を熱心に取り組んだ。すべては国民のためだった。分断国家という韓国、当時の情報収集は電波も電子も乏しく人の力に頼らなければならなかつた。
北も同じだっただろう。
双方の人間が情報収集のために熾烈な人間関係になっていただろう。
そうといって日本人拉致も韓国人拉致も許されるものでない。
双方のリーダーは独裁的に政治の舵取りをしなければ国家体制は崩壊していただろう。
その恐怖にさいなされたリーダーたち、しかし朴正煕は国民の生活が豊かになることだけ考えて経済構築に情熱を傾けた。自分は質素な暮しをしたと聞いている。やがて経済はすこしづつ豊かになっていくがここに在日韓国人の資本がどれたけ投資されたことは日本人の多くはしらない。
有名なのがロッテ百貨店にホテルである。そしてそのあと、在日韓国人もホテル経営に乗り出して行った。私が宿泊するニュー国際ホテルの経営者は神奈川県の出身である。またロイヤルホテルもそうと聞いている。
ブサンにも多くあると言われている。
在日韓国人の経済投資でロッテホテルは朴正煕が呼びかけての事業だった。あそこまで成功するのに並々ならぬ資本が投資されたと聞いている。
ようやく経済成長が見えてきたところで「ヘッテ」という野球球団が作られた。ロッテ系列の球団である。そして他にも野球球団ができていった。1980年代のことである。日本よりはるかにはるかに遅れての野球球団のたちあがりである。それでも巨人の李承(イ・スンヨップ)選手のような人も多くでてきている。
「サムスン」は負けたが私は野球を見ながら日本植民地時代、動乱を越えてきた歴史があるのだからそんなに悲しい顔をしないで堂々として次のときにがんばってと心の中で声援を送っていた。
この乗り越えた数々は人に負けないパワーを培ってきた。バネにして磨きをかけてほしいと願っている。

「日本ハム」は「中日」に勝ったから。そして「中日」は選手がよくても監督が気に入らん。何がどうとはいえないが何かしら。気に入らん。
そんなことで「日本ハム」が勝った。よかった。
今朝、高円山にかかる空のように気分がさわやかである。

今朝からビンを割ってこれで大難を小難にしてもらったことにしておこう。
ちりめんじゃこは割と大きいビンにいっぱいはいっていたのに。もったいないが割れた後の掃除がもっと大変だった。
話しがあちらこちらに飛んでしまった。これから雑用をしなければならない。
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