韓国ではまた道を尋ねるときや人に声をかけるときに「ヨボセヨ」と言う。
夫婦で呼び合うときには「ヨボ」「ヨボ」と呼び合っている・
日本で生まれて育った私には最初耳にしたときすこし違和感をもったが近年、韓国テレビが我が家で見られるようになってホームドラマで呼び合っている光景に見慣れてきたので違和感がなくなった。
もう1つ、夫が他人に自分妻のことを丁寧語では日本語の家内と同じで「アネ」と言う言葉遣いをする。妻は夫のことを「家の人」と言う意味で「ナンピョン」という。
しかし韓国の人と親しくなってくると男性たちは時には妻のことを「マヌラー」と言う。
これは他人に話すときは照れもあるのだろう。
この言葉を在日韓国人からも聞いていたが本国の若い韓国人の男性から聞いたときちょっと私は驚いた。
韓国語は難しい。けれど発音や言葉の多さに多くの感性が培われたのだろう。
ポジャギ文化は無駄にしない文化でその技術は日本にはないものだった。
優雅な文化の裏には女性たちの苦労も多い。
しかし儒教文化の中で女は言葉が出せない。心に秘めた思いを韓国伝統文化に心の言葉を語りかけて作った。これがポジャギである。
何も理屈もない。言葉も出さない。ただひたすら心を縫ってきたのである。
そんなきめ細かな韓国伝統文化を知る人たちが日本人の中でも増えている。
「韓流」もあるだろう。
ただ私は在日韓国人、在日韓国人の立場から見ていると韓日の過去の歴史をしらないで韓国の現代文化に関心をもって騒いでいる。
日本社会と関係の深い国、韓国・北朝鮮との関係、分断国家がもたらした悲惨な歴史の上に今日の日本があるということも知ってもらいたい。
「ヨボセヨのヨさん」
いつもコメントありがとうございます。私のつたないブログを読んで頂きありがとうございます。私の励みになっています。ともすれば疲れて遅く帰宅したとき今夜は書き込みできないと思うときがあります。しかし1人でも読んでいただく人がいるかもしれない。時には書き込みのネタのないときもあります。そんなときは自宅の東側にある高円山、若草山を見ます。
昼間だったら季節の変わり目が見えます。山の稜線が見えます。
山の稜線を見ると雲という宇宙と山の木の茂みに現実の社会のけじめを見るようで心が癒されていく。
そして山の稜線に季節感を感じて何かを書き始めると言葉がでてくる。
山の稜線に助けられて書き込みをしているようです。
夜は闇夜の中に点滅するネオンの灯りに光と影を連想、世の中の裏と表を見るようで矛盾した世の中にふと書き込みが愚痴っぽくなりながらもネタをもらっています。
広い心にはなかなかなれない未熟な私です。
まだまだ世間を知らないところがたくさんあります。
しかし私のできる範囲を見極めて一生懸命に生かされています。
こうして元気に仕事をして友だちが周りにいて美味しいものが食べられて今が1番いいときです。
若いとき、結婚してまもなく結婚生活の環境の変化で私は神経の病気になりました。そのときの苦しさは言葉にできません。
命もいらないと思ったことがありましたが家族が気長く見守ってくれて病気は治りました。
それから私は生かされていることに日々感謝をして生活ができて時には美味しい物が食べることができればいい。真面目に欲を出さないようにしてコツコツと生きてきました。無理をしないで自分のできる範囲でしていく。これが私のいき方になりました。
たいしたとりえもなく生きてきた人生ですが真面目と正直だけを忘れずきたようです。親の血筋を受け継ぎ親に感謝しています。
若いときには見えなかった人間としてのおぞましさ、あつかましさ、嘘をつく人などが見えるようになりましたが未だに近寄れなく自分の殻の中にいます。
もっともっと貪欲になればと思うときもあるがひたと私は思い直すのです。
今ある自分を大事にしよう。
だから私は働いた報酬はほしいがそれ以上の意味のない何がしのものは頂く気になれない。こんな私を理解してもらうのに時間はかかったがこれでいいと思っている。
だから私は宝石もブランド物にも興味がない。私の女友達もそんなことに関心のない人があつまっている。
毎日、積み重ねた心が自分のブランドだと思っている。
着飾ったりはしないが心のブランドがあればそれでいいと考えて失敗しながらも何がよくて何がいけないのか。その判断のけじめを大切にしている。
時には私には判断できないこともある。
そんなときはなるようになるしかないとおもっている。
たいしたものの何もない私、いつも心の中で「もしや」と問いかけている。
在日韓国人なのに「ヨボセヨ」と韓国語で心に問いかけられないが在日韓国人の気質はもっている。
「ヨボセヨのヨさん」どこで思いついたのかいいネーミングですね。
夫婦で呼び合うときには「ヨボ」「ヨボ」と呼び合っている・
日本で生まれて育った私には最初耳にしたときすこし違和感をもったが近年、韓国テレビが我が家で見られるようになってホームドラマで呼び合っている光景に見慣れてきたので違和感がなくなった。
もう1つ、夫が他人に自分妻のことを丁寧語では日本語の家内と同じで「アネ」と言う言葉遣いをする。妻は夫のことを「家の人」と言う意味で「ナンピョン」という。
しかし韓国の人と親しくなってくると男性たちは時には妻のことを「マヌラー」と言う。
これは他人に話すときは照れもあるのだろう。
この言葉を在日韓国人からも聞いていたが本国の若い韓国人の男性から聞いたときちょっと私は驚いた。
韓国語は難しい。けれど発音や言葉の多さに多くの感性が培われたのだろう。
ポジャギ文化は無駄にしない文化でその技術は日本にはないものだった。
優雅な文化の裏には女性たちの苦労も多い。
しかし儒教文化の中で女は言葉が出せない。心に秘めた思いを韓国伝統文化に心の言葉を語りかけて作った。これがポジャギである。
何も理屈もない。言葉も出さない。ただひたすら心を縫ってきたのである。
そんなきめ細かな韓国伝統文化を知る人たちが日本人の中でも増えている。
「韓流」もあるだろう。
ただ私は在日韓国人、在日韓国人の立場から見ていると韓日の過去の歴史をしらないで韓国の現代文化に関心をもって騒いでいる。
日本社会と関係の深い国、韓国・北朝鮮との関係、分断国家がもたらした悲惨な歴史の上に今日の日本があるということも知ってもらいたい。
「ヨボセヨのヨさん」
いつもコメントありがとうございます。私のつたないブログを読んで頂きありがとうございます。私の励みになっています。ともすれば疲れて遅く帰宅したとき今夜は書き込みできないと思うときがあります。しかし1人でも読んでいただく人がいるかもしれない。時には書き込みのネタのないときもあります。そんなときは自宅の東側にある高円山、若草山を見ます。
昼間だったら季節の変わり目が見えます。山の稜線が見えます。
山の稜線を見ると雲という宇宙と山の木の茂みに現実の社会のけじめを見るようで心が癒されていく。
そして山の稜線に季節感を感じて何かを書き始めると言葉がでてくる。
山の稜線に助けられて書き込みをしているようです。
夜は闇夜の中に点滅するネオンの灯りに光と影を連想、世の中の裏と表を見るようで矛盾した世の中にふと書き込みが愚痴っぽくなりながらもネタをもらっています。
広い心にはなかなかなれない未熟な私です。
まだまだ世間を知らないところがたくさんあります。
しかし私のできる範囲を見極めて一生懸命に生かされています。
こうして元気に仕事をして友だちが周りにいて美味しいものが食べられて今が1番いいときです。
若いとき、結婚してまもなく結婚生活の環境の変化で私は神経の病気になりました。そのときの苦しさは言葉にできません。
命もいらないと思ったことがありましたが家族が気長く見守ってくれて病気は治りました。
それから私は生かされていることに日々感謝をして生活ができて時には美味しい物が食べることができればいい。真面目に欲を出さないようにしてコツコツと生きてきました。無理をしないで自分のできる範囲でしていく。これが私のいき方になりました。
たいしたとりえもなく生きてきた人生ですが真面目と正直だけを忘れずきたようです。親の血筋を受け継ぎ親に感謝しています。
若いときには見えなかった人間としてのおぞましさ、あつかましさ、嘘をつく人などが見えるようになりましたが未だに近寄れなく自分の殻の中にいます。
もっともっと貪欲になればと思うときもあるがひたと私は思い直すのです。
今ある自分を大事にしよう。
だから私は働いた報酬はほしいがそれ以上の意味のない何がしのものは頂く気になれない。こんな私を理解してもらうのに時間はかかったがこれでいいと思っている。
だから私は宝石もブランド物にも興味がない。私の女友達もそんなことに関心のない人があつまっている。
毎日、積み重ねた心が自分のブランドだと思っている。
着飾ったりはしないが心のブランドがあればそれでいいと考えて失敗しながらも何がよくて何がいけないのか。その判断のけじめを大切にしている。
時には私には判断できないこともある。
そんなときはなるようになるしかないとおもっている。
たいしたものの何もない私、いつも心の中で「もしや」と問いかけている。
在日韓国人なのに「ヨボセヨ」と韓国語で心に問いかけられないが在日韓国人の気質はもっている。
「ヨボセヨのヨさん」どこで思いついたのかいいネーミングですね。
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