鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

昼食を終えた。

2008-03-25 14:38:06 | 直言!
そしたら懐かしい同級生から電話が入った。
1度、電話して木津のどこかでコーヒータイムと思いながら寒い時は寒さでおじけついている。暖かくなったのでそろそろと気になっていたころの電話で嬉しかった。春のうれしい便りである。
もう1つ先日は在日韓国人3世の女性から写メールが届いた。生まれたての赤ちゃんの写真である。出産して退院してきたというお知らせのメールだった。
彼女のことも気になるので何かお祝いを贈ってあげないといけない。
彼女は大阪にある韓国系の民族学校の卒業生で西成区から大阪南港に移転することで学校やいろんなところで困難な時1年だけ在日韓国人の新聞社の記者をしていた。1番最初あった現場の後、昼食に誘った。このとき彼女は自分の生い立ちを包み隠さず話してくれたことで私はこのこのために自分のできることは力になってやらないといけないという縁を感じた。
彼女が小学生のとき「韓国語弁論大会」で1位になっている。そんなこと私はすっかり忘れていたが取材した私のことをしっかりと覚えてくれていた。そんなこともあって彼女のことは気にかけながら1年間記者として現場で一緒になった。
記者をやめて元の職場に戻った。そして職場の人と結婚した。子どもは二重国籍だろうがやがては日本国籍にかえていくかもしれない。子どもの戸籍で日本国籍に変えていく人が増えている。また3・4世になると帰化もなんの抵抗もなしにできるという(1世が築いた渡日史はこうして日本人になっていくのだろう。2世はそれができない。親の背中を見ているので帰化をしょうと1歩踏み出すがまた2歩後退している。何が理由とは一口に言えない。民族を背負ってきたものにはまだまだ抵抗がある)

赤ちゃんの写メールというホットなニュースの後に同級生の電話、うれしかった。ブログを見てくれていることもまた私の心を温かくさせてくれた。
私は小学校時代、どこにいるかわからないおとなしい子どもで友だちもいない寂しい子どもだった。そのとき何かの時に声をかけてくれたのが同級生の彼女だった。
子どもの時の記憶は辛いこともいいこともずっと残っている。
今、私のまわりにいる知人・友人は「信じられない。嘘や」と言うがしかしこれが本当です。友だちもできない寂しい子ども時代を過ごした。この反動が高校時代に弾けたのか。ちょっとお転婆になっていつも父親から「出来損ないの子」といわれていた。小学校・中学校の私を想像するとまさか書くことを生業にするとは思ってもみなかった。
高校に行きだして書くことに興味を持ってある先生に小説家になりたいといってものすごく笑われた。それなのに古典は嫌いだった。純文学の小説も嫌いで雑誌ばかり読んでいた。
恋愛しても結婚なんてできない。親にすぐにわかってすぐ見合い結婚をした。みんな中途半端なまま子どもを産み育てていく中で私の葛藤は続く。
結婚生活にもなれなくて心の病も体験した。そして心の病も書くことで救われた。いつしか地方紙の投稿魔になって地方紙でペングループを作っていた。これが縁で雑誌記者になった。人生、私は何も能力がないのに多くの人に助けられていつのまにか書くことが生活の糧にしていた。
今は1人でも多く在日コリアンの人を取材して1人でも多く記事にして喜んでもらえたらうれしいと思っている。時には遠い現場もあるが現場で会う人を通して多くのことを勉強させてもらった。

電話をかけてくれた同級生、テンプレートが変っているので最初驚いておられたようですが、「竹がよかった」という言葉を頭にしっかり刻み込んだ。そしてさっそく竹の図柄に替えた。そういえばこの画面のとき夫は「ええ画面や」と言っていたのを思い出した。
しばらくこれでいきます。海外出張をしているK氏、いくつもテンプレート変えていることはしらないだろう。いや海外からメールが届いているから見ているだろう。日本に戻ってきたら「もういいかげんにしとき」といわれるかもしれない。
先日、K氏が出張する前にK氏の事務所に行った。
ネットとブログに連携する作業を失敗ばかりしている。1度事務所で教えてもらったがやはり連携してできない。
何気なしに血液型の話をしていたら「俺はO型や」と言う。「道理で私の守をしていると思った。私はB型でたいてい友達がO型で私の守をしているところがある」といったら「俺もう守いらんで」と言われてしまった。内心、あれと思ったが「そうだろうな」と反省して今度はしっかり覚えて帰ろうと必死になったが自宅に戻るとまたあやふや。何度もメールで教えてもらってできた。
そしてメールに「お疲れ様」と優しい言葉が入った。
そんなことで彼の同級生が私の通っていた高校に来ていた。「私片思いしたけど一回も口聞いてもらえなかった」といったら「なんであんなしょうもうない奴に」と言う。あはは。また私の青春の思い出をシャボン玉のように弾けさせた。

同級生の電話そして赤ちゃんの写メール、うれしい便りありがとう。落ち着いたら何かをしなければならない。
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