夜中の3時ごろ、寒いなあと思って目が覚めると網戸になっている。
あわてて起きてガラス戸を閉めている。
朝、6時過ぎに起きるとまだひんやりしている。網戸にしてカーテンもあけて朝の日差しをいっぱい入れる。それが7時半すぎてくると日差しは暑くなってきてカーテンを閉めないといけないときもある。
まだ晩夏というところである。
1昨日、車窓から田んぼを見ると彼岸花がまだ咲いていなかった。
日本列島は縦に長いので気温の低いところは咲いているだろう。
関西の奈良や京都はまだ咲いていなかった。
そろそろ9月の彼岸を境に咲き出すだろう。やっと秋が来た気持ちになる。
彼岸花をみないとまだ「晩夏」という気持ちである。
昨日、NHKのテレビで参鶏湯(サムゲタン)の調理実習をしていた。
ニューカマーの韓国人が講師だった。
分かりやすく丁寧に教えておられた。
韓国の町で参鶏湯を食べる市民の様子を画面で伝えている。
暑い夏は熱い物を食べて汗をかくことが夏バテを防ぐと言う。
そういえば韓国人はスープを好む民族で夏でも熱いスープを食べている。
日本の「そうめん」とは違う発想である。
韓国人は夏でも町の食堂では「参鶏湯」を食べている。
私も夏、韓国に行くと知人は「参鶏湯」を勧める。夏バテにいいと思って食べている。
「参鶏湯」の中には高麗人参やなつめ、時には栗や銀杏も入っている。もち米も入っている。
ある日、知人と明洞で「参鶏湯」を食べた。そしたら店の人が「全部でてしまって1匹しかないのです」と言った。
そしたら知人は普通に「どうして1匹しかないのか。参鶏湯の店なのに1匹しかつぶしていないのか」と言った。
店の人は「すみません」と言って笑っていた。
しかたがなく私が参鶏湯を食べて知人はテールスープを食べた。
これは韓国での話である。
私の言いたいのはどうして韓国人の「参鶏湯」をして在日同胞家庭の「参鶏湯」を紹介しないのかと気分を悪くしてみていた。
在日同胞の1世たちも日本に来てもこの「参鶏湯」を忘れないで健康を保つために年中、家族に食べさせてきた。
1世たちはなつめや栗、銀杏がなくても鶏1匹、丸ごとスープにしてきて家族に食べさせてきた。
他の家ではいろんなもの、もち米もなつめも入れて作ってきただろう。
我が家は京都府の田舎、家である物で母親はしていた。
高麗人参は大阪鶴橋で買ってきて大事に1本づつ使っていたと思う。なつめは祭祀のとき使っていたのであれば使っていた。
誰かが風邪をひいたり体力減退だと思うと母親は近所の店で鶏1匹をつぶしてもらってそれを大鍋に高麗人参、なつめ、にんにくをそのまま一緒に入れてゴトゴトと弱火で煮込んだ。ある程度煮込むとまた水を入れてスープにしてどんぶりにほぐした鶏肉も骨も一緒に食べる。味付けはシンプル、塩味だけである。
実家にいたころ母親は必ず私にも食べなさいといって丼に入れてくれた。
若いころはなぜこんなものをたべるのだろうか。見た目はよくない韓国料理に嫌悪感があった。まだ体に滋養になるということがわからなかった。
しかしである。
私は結婚して専業主婦15年のあと雑誌記者になった。
本社の地方紙の記者たちと地域の子ども合唱団と一緒に中国北京に行った。
私だけが父に似て食べ物に神経質なところがあって初めて出された料理とか外国での食事ができない。北京で食事ができなくて日々コカコーラで過ごした。
たった5日間だったのに日本に戻るとふらふらで立ち上がれなかった。
病院にいくと栄養失調になっていた。
毎日4・5日だったと思う。病院に点滴をうちにいったが気力がでてこなかった。
そのとき母親のことを考えた。
母親はこんなとき何をしてくれたのだろうかと考えた。
鶏のスープだった。
当時はまだスーパーには鶏肉専門の店があった。鶏1匹丸ごとが買えた。
私はふらふらの体で鶏1匹を買ってきて大鍋ににんにくと家に大事においてあった高麗人参をいれてゴトゴトと3時間ほど煮込んだ。
鶏のスープができた。私はスープだけを丼に入れて2回飲んだ。
2回飲むと体の気力がもどり動けるようになった。
初めて鶏丸ごと1匹のスープが体の滋養になることがわかった。
鶏1匹がいいのである。いろんなエキスがでてくるからである。
弟の嫁は結婚して我が家にきたとき母親の言う鶏のスープに「またするの」と最初は思ったそうだ。
それが体にいいことがわかったという。
現在は鶏1匹を売っている店も少なくなっている。
そんなときには足を何本か多く買ってきてそれをスープにして飲んでいると言う。軟骨もあるので足がいいという。
嫁は言っている。
「最初のころ、おばあちゃんはよく鶏のスープをしてほしいというのでえーまた。と思ったがスープは夏バテにも風邪ひきにも疲労回復にもいい。今は足を多く買ってきてスープにしてしょっちゅう作っています」
1世たちはこうして家族の健康を守ってきた。
NHKのアナウンサーは韓国でしかないと思っている。
めずらしい食材に感嘆な声を上げていた。
このアナウンサーの偏狭なところが見えた。
日本のどこかしこに在日同胞が散在して住んでいる。
だれか知人がいれば、とうに参鶏湯のことは知っているはずである。
いかに在日同胞の付き合いがないのか。また在日同胞から逃げてきたことが画面を通してわかった。
日本の歴史、韓国、隣国の歴史も知らないアナウンサーだと画面から見てとれた。
またニユーカマーの韓国人も在日同胞のことをしらない。知っていて在日同胞に愛情があれば在日同胞の1世たちも家族にこの食文化を伝えているぐらいは言ってほしかった。NHKもそれぐらいの度量もほしかった。
こんなことなどまだまだ報道関係で仕事する人たちにも隣国の歴史を知らない人たちがいっぱいいる。メデイアももうすこし社員研修で隣国の歴史教育をすることが今後の課題だと感じていた。
「参鶏湯」の放映をとおしてまたメデイアの課題が見えてきた。
あわてて起きてガラス戸を閉めている。
朝、6時過ぎに起きるとまだひんやりしている。網戸にしてカーテンもあけて朝の日差しをいっぱい入れる。それが7時半すぎてくると日差しは暑くなってきてカーテンを閉めないといけないときもある。
まだ晩夏というところである。
1昨日、車窓から田んぼを見ると彼岸花がまだ咲いていなかった。
日本列島は縦に長いので気温の低いところは咲いているだろう。
関西の奈良や京都はまだ咲いていなかった。
そろそろ9月の彼岸を境に咲き出すだろう。やっと秋が来た気持ちになる。
彼岸花をみないとまだ「晩夏」という気持ちである。
昨日、NHKのテレビで参鶏湯(サムゲタン)の調理実習をしていた。
ニューカマーの韓国人が講師だった。
分かりやすく丁寧に教えておられた。
韓国の町で参鶏湯を食べる市民の様子を画面で伝えている。
暑い夏は熱い物を食べて汗をかくことが夏バテを防ぐと言う。
そういえば韓国人はスープを好む民族で夏でも熱いスープを食べている。
日本の「そうめん」とは違う発想である。
韓国人は夏でも町の食堂では「参鶏湯」を食べている。
私も夏、韓国に行くと知人は「参鶏湯」を勧める。夏バテにいいと思って食べている。
「参鶏湯」の中には高麗人参やなつめ、時には栗や銀杏も入っている。もち米も入っている。
ある日、知人と明洞で「参鶏湯」を食べた。そしたら店の人が「全部でてしまって1匹しかないのです」と言った。
そしたら知人は普通に「どうして1匹しかないのか。参鶏湯の店なのに1匹しかつぶしていないのか」と言った。
店の人は「すみません」と言って笑っていた。
しかたがなく私が参鶏湯を食べて知人はテールスープを食べた。
これは韓国での話である。
私の言いたいのはどうして韓国人の「参鶏湯」をして在日同胞家庭の「参鶏湯」を紹介しないのかと気分を悪くしてみていた。
在日同胞の1世たちも日本に来てもこの「参鶏湯」を忘れないで健康を保つために年中、家族に食べさせてきた。
1世たちはなつめや栗、銀杏がなくても鶏1匹、丸ごとスープにしてきて家族に食べさせてきた。
他の家ではいろんなもの、もち米もなつめも入れて作ってきただろう。
我が家は京都府の田舎、家である物で母親はしていた。
高麗人参は大阪鶴橋で買ってきて大事に1本づつ使っていたと思う。なつめは祭祀のとき使っていたのであれば使っていた。
誰かが風邪をひいたり体力減退だと思うと母親は近所の店で鶏1匹をつぶしてもらってそれを大鍋に高麗人参、なつめ、にんにくをそのまま一緒に入れてゴトゴトと弱火で煮込んだ。ある程度煮込むとまた水を入れてスープにしてどんぶりにほぐした鶏肉も骨も一緒に食べる。味付けはシンプル、塩味だけである。
実家にいたころ母親は必ず私にも食べなさいといって丼に入れてくれた。
若いころはなぜこんなものをたべるのだろうか。見た目はよくない韓国料理に嫌悪感があった。まだ体に滋養になるということがわからなかった。
しかしである。
私は結婚して専業主婦15年のあと雑誌記者になった。
本社の地方紙の記者たちと地域の子ども合唱団と一緒に中国北京に行った。
私だけが父に似て食べ物に神経質なところがあって初めて出された料理とか外国での食事ができない。北京で食事ができなくて日々コカコーラで過ごした。
たった5日間だったのに日本に戻るとふらふらで立ち上がれなかった。
病院にいくと栄養失調になっていた。
毎日4・5日だったと思う。病院に点滴をうちにいったが気力がでてこなかった。
そのとき母親のことを考えた。
母親はこんなとき何をしてくれたのだろうかと考えた。
鶏のスープだった。
当時はまだスーパーには鶏肉専門の店があった。鶏1匹丸ごとが買えた。
私はふらふらの体で鶏1匹を買ってきて大鍋ににんにくと家に大事においてあった高麗人参をいれてゴトゴトと3時間ほど煮込んだ。
鶏のスープができた。私はスープだけを丼に入れて2回飲んだ。
2回飲むと体の気力がもどり動けるようになった。
初めて鶏丸ごと1匹のスープが体の滋養になることがわかった。
鶏1匹がいいのである。いろんなエキスがでてくるからである。
弟の嫁は結婚して我が家にきたとき母親の言う鶏のスープに「またするの」と最初は思ったそうだ。
それが体にいいことがわかったという。
現在は鶏1匹を売っている店も少なくなっている。
そんなときには足を何本か多く買ってきてそれをスープにして飲んでいると言う。軟骨もあるので足がいいという。
嫁は言っている。
「最初のころ、おばあちゃんはよく鶏のスープをしてほしいというのでえーまた。と思ったがスープは夏バテにも風邪ひきにも疲労回復にもいい。今は足を多く買ってきてスープにしてしょっちゅう作っています」
1世たちはこうして家族の健康を守ってきた。
NHKのアナウンサーは韓国でしかないと思っている。
めずらしい食材に感嘆な声を上げていた。
このアナウンサーの偏狭なところが見えた。
日本のどこかしこに在日同胞が散在して住んでいる。
だれか知人がいれば、とうに参鶏湯のことは知っているはずである。
いかに在日同胞の付き合いがないのか。また在日同胞から逃げてきたことが画面を通してわかった。
日本の歴史、韓国、隣国の歴史も知らないアナウンサーだと画面から見てとれた。
またニユーカマーの韓国人も在日同胞のことをしらない。知っていて在日同胞に愛情があれば在日同胞の1世たちも家族にこの食文化を伝えているぐらいは言ってほしかった。NHKもそれぐらいの度量もほしかった。
こんなことなどまだまだ報道関係で仕事する人たちにも隣国の歴史を知らない人たちがいっぱいいる。メデイアももうすこし社員研修で隣国の歴史教育をすることが今後の課題だと感じていた。
「参鶏湯」の放映をとおしてまたメデイアの課題が見えてきた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます