素晴らしい秋晴れに恵まれた。昔は天高く馬こゆる秋といいました。今日はそんな秋晴れでした。こんなときに韓国の人たちは挨拶で「オヌル ナルシが ノムノムチョワヨ」というのです。
今日は大阪の韓国系の学校、1条校の金剛学園の「第61回体育大会」でした。学校は大阪市西成区にあります。在日韓国人のための学校、韓国系の学校で初めてこの学校に韓国の国旗「大極旗」が掲げられたところです。
時節61年、小・中学校1期性の卒業生が日本の大学を卒業してここで定年退職をするまで教鞭をとっておられた教師もいる。
創立61年の歴史と歩んでこられた教師がいらっしゃる。
そしてこの校舎での体育大会は今年で最後となった。来年は南港に移転をする。
大阪市都市開発事業の中にはいり代替地として南港に移転することが決まった。来年6月の完成を目指して工事が行なわれている。
現校舎では最後の運動会である。
多くの卒業生が駆けつけた。年代は幅広い。
そして1期生の教師は定年退職まで勤務されたので教え子の数は数え切れない。また教師との思い出が1番多いのか若い世代の卒業生も多くかけつけこの教師のまわりに集まってきた。
そして思い出話はつきない。
卒業しても先輩、後輩、みんな仲間である。
こんな光景を見ていて私はうらやましかった。
もし私が卒業した学校が他のところに移転するといってもたぶんかけつけないだろう。1950年に小学校を入学した。しかも日本の学校である。私は友達と言う友達がいなかった。差別もあったが友達を作ることができない引っ込み思案、親しく話せる友達も教師もいなかった。
学校時代の友人関係はほとんど高校時代であとは結婚してからの友人になる。
それが今日の光景は小学校や中学校、高校とおしての友人である。同胞という絆をもって卒業しても熱い交友関係である。
うらやましいと思った。
「私のクラスはやさしかった」という女子中学生、「いや、俺はほうき持って追いかけられた」と男女が思い思いに教師を囲んで思い出話がつきない。
そしてこの校舎の最後の体育大会に若い卒業生も多く駆けつけた。
今の若者、そんなこと関係ないとしらけている世代なのにこの子たちは駆けつけた。まだまだ熱い思いを持って学校の大切さ、そして民族のアイデンテイテイをしっかり持っている。頭の髪はばくだんのように現代っ子のスタイルなのにきちんと礼儀も正しい。民族学校で学んだ儒教が多少は残っている。
日本社会で日本人となんら変わらない生活だが強く優しく粘り強く生きていくことを教えた教師たちに生徒たちは卒業して民族学校の素晴らしさを再確認するのだろうか。
若い世代の卒業生が多く駆けつけた。
教師たちは教師冥利につきる。
そんな光景を眺めてうらやましくそして在日韓国人の若い世代も捨てたものではない。きちんと出自を大切にして生きていくことだろう。
また改めてルーツを学ぶ大切さを感じた今日の金剛学園の体育大会、最後の体育大会は私の心の残りそうだ。
今日は大阪の韓国系の学校、1条校の金剛学園の「第61回体育大会」でした。学校は大阪市西成区にあります。在日韓国人のための学校、韓国系の学校で初めてこの学校に韓国の国旗「大極旗」が掲げられたところです。
時節61年、小・中学校1期性の卒業生が日本の大学を卒業してここで定年退職をするまで教鞭をとっておられた教師もいる。
創立61年の歴史と歩んでこられた教師がいらっしゃる。
そしてこの校舎での体育大会は今年で最後となった。来年は南港に移転をする。
大阪市都市開発事業の中にはいり代替地として南港に移転することが決まった。来年6月の完成を目指して工事が行なわれている。
現校舎では最後の運動会である。
多くの卒業生が駆けつけた。年代は幅広い。
そして1期生の教師は定年退職まで勤務されたので教え子の数は数え切れない。また教師との思い出が1番多いのか若い世代の卒業生も多くかけつけこの教師のまわりに集まってきた。
そして思い出話はつきない。
卒業しても先輩、後輩、みんな仲間である。
こんな光景を見ていて私はうらやましかった。
もし私が卒業した学校が他のところに移転するといってもたぶんかけつけないだろう。1950年に小学校を入学した。しかも日本の学校である。私は友達と言う友達がいなかった。差別もあったが友達を作ることができない引っ込み思案、親しく話せる友達も教師もいなかった。
学校時代の友人関係はほとんど高校時代であとは結婚してからの友人になる。
それが今日の光景は小学校や中学校、高校とおしての友人である。同胞という絆をもって卒業しても熱い交友関係である。
うらやましいと思った。
「私のクラスはやさしかった」という女子中学生、「いや、俺はほうき持って追いかけられた」と男女が思い思いに教師を囲んで思い出話がつきない。
そしてこの校舎の最後の体育大会に若い卒業生も多く駆けつけた。
今の若者、そんなこと関係ないとしらけている世代なのにこの子たちは駆けつけた。まだまだ熱い思いを持って学校の大切さ、そして民族のアイデンテイテイをしっかり持っている。頭の髪はばくだんのように現代っ子のスタイルなのにきちんと礼儀も正しい。民族学校で学んだ儒教が多少は残っている。
日本社会で日本人となんら変わらない生活だが強く優しく粘り強く生きていくことを教えた教師たちに生徒たちは卒業して民族学校の素晴らしさを再確認するのだろうか。
若い世代の卒業生が多く駆けつけた。
教師たちは教師冥利につきる。
そんな光景を眺めてうらやましくそして在日韓国人の若い世代も捨てたものではない。きちんと出自を大切にして生きていくことだろう。
また改めてルーツを学ぶ大切さを感じた今日の金剛学園の体育大会、最後の体育大会は私の心の残りそうだ。
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