鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

1月14日(晴)成人式で巣。

2019-01-14 09:12:20 | 直言!
今朝、更新した者はりつけます。

1月14日(晴)朝から晴れていて、成人式日和である。成人式は20歳がいいのではと私、個人は思う。18歳になると、たちまち困るのは呉服屋さんらしい。18歳になると、まだ高校生で制服で参加する人が多くなるという。これもそうだと思ってラジオのニュースを聞いていた。昨年の成人式の晴れ着のレンタルが届かず大変なことになった。今年は保護者も慎重で、購入する人も多くなった。それに母親や祖母が着た振袖を手なおして着せている人も多かった。
私は通所する職員のお子さん、昨年、成人式を迎えた。娘さんは着物のレンタルを訴えたが母親は、自分の着た振袖を着るように言った。私も、母親の振袖がいいといった。レンタルした着物は高価でなく化繊で、おはしょり。裾がめくれあがって着物の品格がなくなってしまう。母親が着た着物は親が購入して呉服屋さんが縫ったもの。着物は正絹。重いがおはしょりの裾は微かにめくれる程度で着物の品格がある。
私は職員にいった。介護で施設を利用している高齢者婦人が言っていたと。「貸衣装より母親の着物が見栄えする。見る人が見ると着物の良さがわかるから」と。そしたら母親の説得が聞いたのか、母親が成人式に着た振袖を来て出席した。以前から母親や祖母の来た振袖で出席している人もいただろう。今年は母親や祖母の振袖を着て参加したも多かったらしい。「ママ振り」というらしい。成人式に着た着物をそう何回も着ることがない。丁寧に保存して自分の娘に来てほしいと私は思っている。
私は成人式に参加できなかった。昭和39年である。外国人は町の成人式に参加できなかった。いつからそうなったのか、わからない。妹は私より3歳下、妹の時は招待の案内が届いたので、初めて作ってもらった着物で参加している。
雑誌記者時代は成人式の現場はなかった。在日韓国人の新聞記者になって、在日の中で成人式を取材した。京都の現場では、私の叔父の子供、民族衣装で参加、この姿で京都の河原町を歩いて来たと私にいった時はもうびっくりした。時代が変遷していたのか、私ならできない。彼女は日本人と結婚している。結婚する前は保育士だった。大阪の成人式に行くと1990年代は、もう1000人近い参加者に私は圧倒された。片田舎の現在の木津川市で生れ育ったものは初めて見る光景だった。それから国際結婚、日本国籍者も増えて参加者は減少するもののいつも500人以上はいた。そして会場には民族衣装だけでなく、着物姿もあった。また在日の子供たちは日本の成人式にも参加していた。在日の変わりゆく現実を見ていた。
今朝、ラジオでいっていた。日の出の最後は7時6分、そのあと時間が早くなっていく。今日の日の出は7時4分、後何日かで日の出は早くなっていく。
今朝、スマートフオンで、よく噛むを検索、昔はよく噛んでいたという。惣菜は根菜類が多く乾物で平均22分、噛んでいたという。今は平均は11分。私も早食いだった。いつも仕事で忙しくて何かしら、いつも気が急いていた。今は約25前後目途にして食事をしている。よく噛んでたべている。続けて3週間目に入った。
写真は1月7日、リハビリの先生が書かれたもの。毎日の事を日誌に書いて報告書に綴って行かれる。明日は外来診療。何日かを持参しないといけないので、今朝、4日分をコピーした。その1枚を撮影した。画像の上は名前など記入しているので削除、今日はこのへんで。


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