鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

もう10時20分。早い。

2008-10-03 11:25:01 | 直言!
朝7時半から1本の原稿を仕上げた。写真も送信して終わったのは10時前。時間がかかったのは資料をインターネットで検索していた1つの資料にプリント枚数が29枚もあった。途中でやめようと思ったが気になる資料だったので全部プリントした。あれこれ他の資料も検索してプリントした。これで約40分も時間をついやした。
このプリントがなかったら9時半までには終わっている。
終わってからブログや韓国新聞を読んだ。
朝鮮日報は韓国では有名なスターの自殺について報道が多くされていた。
2000年に取り付けた韓国テレビでたくさんドラマを見てきたがたぶんこの人が出演していたドラマも見ていただろう。
そういえば韓国ドラマはNHKで「冬のソナタ」が放映されてから韓流ブームになったが韓国テレビ(KNテレビ)がそのさきがけを作ったのである。
毎日テレビと民団が共同で取り組んだ韓国テレビ放送、それには従来のテレビに韓国テレビの入るチューナーを取り付けて在日韓国人家庭のテレビで韓国のドラマを多く日本語字幕で見られるようになった。
2年ほどは韓国テレビに夢中になりドラマを毎晩見ていた。
連続放映のある日、仕事の現場になると当時の在日韓国人記者や関係者たちは急いで自宅に帰ることばかり考えていた。
日本のテレビで放映されたものは大方見ていた。
そして2002年の秋、拉致被害者が北朝鮮から帰国、このニュースに日本のテレビを見るようになって韓国テレビは見るのが少なくなった。
そうしているうちに「カウル ヨンガ(冬の恋歌)」が題名を変えて「冬のソナタ」になって日本のNHKが放映、人気番組になりペヨンジュンは日本で一躍スターになった。
このドラマもたしか2001年の冬に韓国テレビで放映、放映時間が夜遅かったので途中で見るのをやめた。当時はまだ猛烈に仕事していたので遅くまで起きられなかった。
それが日本では爆発的な人気になった。「ホテリアー」も韓国テレビで見ていた。
こんなことは抜きにして韓流はNHKが始めたと思っているが最初の出だしは韓国テレビである。韓流で日本人も韓国テレビのチュウナーを取り付けられるようなった。映画も放映できるようにしていたので映画もよくみた。近年になって韓国ドラマとニュースやバライテイ番組が見られるチャンネルにしている。1チャンネルだけの登録、これで1ヶ月、3000円と少しが銀行の口座から引き落とされて韓国テレビが見ることができる。
先日、高校時代の女友達にあうと韓国ドラマにはまっている。1人は帰化したが在日韓国人である。高校時代も社会人になってからもずっと隠していて在日韓国人を隠さない私は何度もいじめの対象になった。
辛いというより悲しかった。悲しくなるならしばらくは会いたくないと考えて10年ほど女友達のグループに合わなかった。
そんな私の傷心知っているか知らないのか、平気で私に聞く。
「ヒラカワさんは韓国ドラマで何が好きや」と。
私は言った。「2000年から韓国テレビで韓国ドラマを見てきたのでもう飽きた。今はまっているのは源氏物語」と言ったら皆無口になってシラッとした。心の中で私は思っていた。あれほど在日韓国人を隠していた人が今、韓国ドラマに夢中になっている。日本国籍になったから日本人のふりをして韓国ドラマに夢中になっているのだろうか。いくら日本国籍をとってもルーツは韓国であることを彼女は知っているのだろうか。
皆が在日韓国人の国籍を隠している人に味方して在日韓国人を表に出している私にいろんな言葉で隠さないことに攻撃した女友だち、そのとき私の方の心がシラッとしていたことを記憶しているだろうか。
そしてこの中の1人は言う。
「あの人の娘さんの婿さんが日本人やで」
このいい方が日本人と結婚したことを自慢しているようだった。
さにあらず。私は言った。
「うちの息子も日本人の嫁さん。息子が選んだからしょうがない」といったら「そうやったな」と言ってその娘さんの自慢話をやめた。
そしてまた私は話した。
「私は在日韓国人の嫁さんがよかったと今は思っている。心おきなく話せてもっと友達みたいになって心の距離が近かった。在日韓国人の若い友人も多く皆仲良くしているので今はそう思う」と言ったら彼女は黙った。
日本人同士でも文化や風習の違いでいろいろなことがある。在日韓国人と日本人はもっとなおさらにある。
最後に女友達に言った。
「父親が生前、息子は大学卒業したら沖縄から奈良に戻すようにと言っていた。当時はまだ若かったので何も息子の人生にまで口出ししないでと思ったが父親は私の老後を考えて言っていたことが年をとってきて分かった。女の子は嫌いといわれて育ったがやっぱり親父は娘もわが子だったのか。それできちんとアドバイスしてくれていたということが分かった。だから私の子育ては失敗。沖縄から帰らない息子は親不孝の息子です」と言って話しは終わった。

韓国スターの突然の死に韓国ドラマを夢中に見ていた2000年当時を思い出し高校時代の女友達と会わなかった当時を思い出した。
女友達に心の中でいつも「在日のどこが悪いの」在日が在日を差別する気持が許せない。帰化した在日韓国人が帰化しない在日韓国人を差別している当時の現況をまのあたりにしていた。
女友達だけではない。夫の身内もほとんど帰化していった。
書くことを生業にしている私は日本人のふりをして日本の記事を書きたくないというジレンマに悩みようやくたどりついたのが在日韓国人企業の新聞記者だった。「日本人のふりをして日本の記事は書きたくない」という葛藤が1年、やっとみつけた解決の入口が韓国語教室だった。
こんな心の歴史を知らないで差別発言をする身内にも心底腹が立った。夫と何度も仲たがいの喧嘩を繰り返してきた。
この心の歴史をしらない女友達の発言が時には気にさわることがある。
しかし還暦を迎えて会わない私に1人の女友達が皆と会うように仕向けてくれた。彼女の優しい心使いに答えなければならないと思って10年ぶりに会うことになった。
あいかわらず帰化した在日韓国人の性格は変わっていない。
気性に在日韓国人そのままにでているのに本人は気がついていない。
なんとも物悲しいことである。
人それぞれの生き方がある。
その人はその人によって苦悩も違うが皆、いろんな苦悩をして60歳の還暦を迎えた。帰化しない在日韓国人にもいろいろな理由と心の葛藤があるということを日本人も知ってもらいたい。
そして帰化したから自慢するものでもない。
民族には優劣はない。文化にも上下がないということも知ってもらいたい。
韓国に在住する韓国人も在日韓国人を差別の中におきたがるが日本の経済発展に寄与しながら韓国にもどれだけの支援をして国力をつけてきたのか1世、2世の存在も忘れてはならない。
だから韓流になっても冷めた眼で私は韓流スターを見ている。
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