学校から唐招提寺や薬師寺に歩いてでもいける近さにある。子供たちの写生大会というと唐招提寺や薬師寺の近辺だった。民家もあれば昔懐かしい土塀の家に挟まって唐招提寺や薬師寺がある。なんとものどかな風景である。
ここをあるくと唐招提寺や薬師寺を素材に奈良のことを書いた堀辰雄を思い出す。
そして息子の小学校1年の春だった。写生大会に唐招提寺に行ったのだろう。
学校から帰ってきた息子は「おかあさん。唐招提寺にいくと手がいっぱいの仏像があった。こわかった」という。
たぶん母親の手を思い出したのだろう。幼少のころはけっこう手をかけて体罰したこともあった。
私はぎくっとした。しかしここで恐いとおしえてはいけない。仏像も唐招提寺も嫌いになってしまうと考えて私は息子に「恐くないよ。あの手はみんなを守ってくれている手だよ。体を健康にして下さい。運動が良くできるよう。勉強がよくできるようにと守ってくれている手だから、千手観音というのだよ」というと息子は「ふうん」と言って黙っていた。
それから唐招提寺の千手観音を恐いということはなくなった。
バス通学は奈良交通が都跡幼稚園・小学校専用に出しているバスで幼稚園の間は保護者が交代でバスに乗って送りとお迎え当番をした。
小学校に入ると1・2年の間、県道の交通が激しいので旗をもって子どもたちをバス停に誘導させる立ち当番を保護者が交代でした。
バスは朝は高学年から先に乗っていく。そのバスがまた戻ってきて中学年を乗せていく。帰りはその反対で低学年が先にバスに乗り込む。
高学年になると授業が終って待ち時間が長い。1時間と少しはかかる道程を息子達は友だちと連れ立って歩いて帰ってきた。(歩くのは違反、事故が起きたら大変と言うことで)そして登下校の途中は平城宮跡を通る。みんなここでランドセルを置いて遊びまくる。
ちょうど今ごろの季節は遊び走り汗をかく。
そしたら今度は上半身裸の上にランドセルをかけて帰ってくる。
子どもだからこんなこともできた。幼稚園から学割定期券をもっていたのである。
こうして平城宮跡でかけまわって遊んだ記憶はずっと残っているようだ。
未だにここで子育てした母親は「遊び場に困らない環境のいいところで小学校時代を過ごすことができた」と話す。町の中は昔から住んでいる人も多くてよそからきた借家暮らしの人には少し斜めにしてみていた。
だから借家暮らしの人はそんな不便さに閉口してマンションを買って行く。ドアをしめれば何の干渉もない。ゴミ出し1つにしてもいじめられることもない。管理人がちゃんとしてくれる。マンションだけの自治体で運営ができる。そんなことに利点をおいて分譲マンションで暮す一因にもなった。
しかし子育てをするところではとてもいい環境だったと私の女友達同様、私もそうおもっている。遊びを通して子どもたちはいろんなものを学び人間関係の強弱のつけ方、距離のとり方も学んでいく。だから遊びは子どもにとって大切なものである。
今子育てをしているお母さん。勉強、勉強と子どもたちを追い立てている。
私はそうじゃないと思って見ている。
遊んだ体験、勉強する脳の仕組みが違う。専門的なことは分からないが、遊びと勉強でバランスのとれた人間形成につなかっていると私は佐紀町で子育て体験をしたことを振り返ってそう思う。
もう1つ大切なことは朝食をしっかりごはんと味噌汁。昼は学校給食、夜は母親手作りの食事をする。家族一緒の夕食が不可能なら1週間に1度、2度は必ず父親も交えて夕食をとることが今風にいう普通の子どもに育てることができる。
「食育」、母親の愛情がいっぱいこもっている。
例えばコンビニで買ったおにぎり、手のぬくもりが感じられない。機械が作ったおにぎりの味がする。お母さんが作ったおにぎりは朝の母親の台所で動く姿を想像していると母親のぬくもりがおにぎりからつたわってくる。これが愛情おにぎりである。そして子どもたちの創造力を養っていくと私は思ってる。
といって私は料理作りは好きではない。父親が母親にいつも言い聞かせ私が結婚して子育てをする私に言い聞かせた。
「こどもにひもじい思いさせたらあかんな。腹いっぱいたべさせないとあかん。でないと外で買い食いするようになる。いいものをたべなくてもいい。腹いっぱいたべさせないとあかん。お腹をすかせたらあかん」と言っていっていた。
それで私の子ども時代はご飯はいつも釜の中にありおやつは毎日サツマイモがふかしてざるに入れてあった。(大人になってサツマイモが嫌いになった原因でもある」
そして私が子育てをするころになると父親は母親に言っていた言葉をいつも繰り返して言っていた。昔から「食育」があったのだ。
ここをあるくと唐招提寺や薬師寺を素材に奈良のことを書いた堀辰雄を思い出す。
そして息子の小学校1年の春だった。写生大会に唐招提寺に行ったのだろう。
学校から帰ってきた息子は「おかあさん。唐招提寺にいくと手がいっぱいの仏像があった。こわかった」という。
たぶん母親の手を思い出したのだろう。幼少のころはけっこう手をかけて体罰したこともあった。
私はぎくっとした。しかしここで恐いとおしえてはいけない。仏像も唐招提寺も嫌いになってしまうと考えて私は息子に「恐くないよ。あの手はみんなを守ってくれている手だよ。体を健康にして下さい。運動が良くできるよう。勉強がよくできるようにと守ってくれている手だから、千手観音というのだよ」というと息子は「ふうん」と言って黙っていた。
それから唐招提寺の千手観音を恐いということはなくなった。
バス通学は奈良交通が都跡幼稚園・小学校専用に出しているバスで幼稚園の間は保護者が交代でバスに乗って送りとお迎え当番をした。
小学校に入ると1・2年の間、県道の交通が激しいので旗をもって子どもたちをバス停に誘導させる立ち当番を保護者が交代でした。
バスは朝は高学年から先に乗っていく。そのバスがまた戻ってきて中学年を乗せていく。帰りはその反対で低学年が先にバスに乗り込む。
高学年になると授業が終って待ち時間が長い。1時間と少しはかかる道程を息子達は友だちと連れ立って歩いて帰ってきた。(歩くのは違反、事故が起きたら大変と言うことで)そして登下校の途中は平城宮跡を通る。みんなここでランドセルを置いて遊びまくる。
ちょうど今ごろの季節は遊び走り汗をかく。
そしたら今度は上半身裸の上にランドセルをかけて帰ってくる。
子どもだからこんなこともできた。幼稚園から学割定期券をもっていたのである。
こうして平城宮跡でかけまわって遊んだ記憶はずっと残っているようだ。
未だにここで子育てした母親は「遊び場に困らない環境のいいところで小学校時代を過ごすことができた」と話す。町の中は昔から住んでいる人も多くてよそからきた借家暮らしの人には少し斜めにしてみていた。
だから借家暮らしの人はそんな不便さに閉口してマンションを買って行く。ドアをしめれば何の干渉もない。ゴミ出し1つにしてもいじめられることもない。管理人がちゃんとしてくれる。マンションだけの自治体で運営ができる。そんなことに利点をおいて分譲マンションで暮す一因にもなった。
しかし子育てをするところではとてもいい環境だったと私の女友達同様、私もそうおもっている。遊びを通して子どもたちはいろんなものを学び人間関係の強弱のつけ方、距離のとり方も学んでいく。だから遊びは子どもにとって大切なものである。
今子育てをしているお母さん。勉強、勉強と子どもたちを追い立てている。
私はそうじゃないと思って見ている。
遊んだ体験、勉強する脳の仕組みが違う。専門的なことは分からないが、遊びと勉強でバランスのとれた人間形成につなかっていると私は佐紀町で子育て体験をしたことを振り返ってそう思う。
もう1つ大切なことは朝食をしっかりごはんと味噌汁。昼は学校給食、夜は母親手作りの食事をする。家族一緒の夕食が不可能なら1週間に1度、2度は必ず父親も交えて夕食をとることが今風にいう普通の子どもに育てることができる。
「食育」、母親の愛情がいっぱいこもっている。
例えばコンビニで買ったおにぎり、手のぬくもりが感じられない。機械が作ったおにぎりの味がする。お母さんが作ったおにぎりは朝の母親の台所で動く姿を想像していると母親のぬくもりがおにぎりからつたわってくる。これが愛情おにぎりである。そして子どもたちの創造力を養っていくと私は思ってる。
といって私は料理作りは好きではない。父親が母親にいつも言い聞かせ私が結婚して子育てをする私に言い聞かせた。
「こどもにひもじい思いさせたらあかんな。腹いっぱいたべさせないとあかん。でないと外で買い食いするようになる。いいものをたべなくてもいい。腹いっぱいたべさせないとあかん。お腹をすかせたらあかん」と言っていっていた。
それで私の子ども時代はご飯はいつも釜の中にありおやつは毎日サツマイモがふかしてざるに入れてあった。(大人になってサツマイモが嫌いになった原因でもある」
そして私が子育てをするころになると父親は母親に言っていた言葉をいつも繰り返して言っていた。昔から「食育」があったのだ。
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