
今日は10時にパソコンを閉めてテレビを見ている。
テレビを見ながら早い昼食をして12時頃、テレビを消した。
新聞2紙を読んでいく。
読み終わると1時間ほど寝たかもしれない。
起きると2時前です。
このまま風呂に湯を入れて風呂に入ろうかとしたがとりあえずパソコンを開いた。明日入る現場の関係者のことをよく知らないのでインターネットで検索した。なんとなく会社社長はわかった。
連れ合いの奥さんとは1980年代の後半から1990年の初めは何度か仕事の現場でお会いしている。
在日コリアンですがものすごい美人に驚いた。たぶん韓国籍だと思っている。
著書を読むとその事柄がわかるがここでは在日コリアンにしておく。
さきほどテレビを消して関係者の著書を読んでいると奥さんの寄稿文も掲載されていた。その中に写真が入っていた。
私の同級生とよく似ている。
60歳前後の写真、同級生も美人で年齢を重ねても美貌はそのままである。
奥さんも若い時は在日コリアンの間でもかなりの美人で通っていて若い時は同級生に似ていたのだろうかとも思った。
年を重ねても美貌は今もそのままだろう。
明日の現場でお会いできるのが楽しみである。
その私は器量もよくない。ド近眼で眼鏡をかけていてまったく男子生徒に相手にされなかったものだ。そんな高校の青春を思い出す。
高校卒業して眼鏡からコンタクトレンズに変えて青春があったがいつも頭の中は悩みを抱えていた。結婚は親が連れて来た人しか結婚できない自分の出自と向き合い恋愛結婚はご法度だった。
まったく楽しくなかった青春だったことしか浮かんで来ない。
結婚して子育てに奮闘していくが心の病になって1つ間違えば私は今頃、この世にいなかった。しかし誰かが見えないところで助けてくれたのだろう。
病は完治して奈良県が発行する雑誌記者になってやっと私らしく生きる価値観を見つけてやりがいのある中で仕事をしていた。
しかし生きがいはまた出自と対峙して悩みを抱え日本人のふりをして日本の記事は書きたくない葛藤で悩むことになった。
結婚した相手は在日韓国人です。
まさか自分にまた出自で葛藤することは夢にも思っていなかった。
在日韓国人の新聞社や民族機関の機関紙に転職してやっと自分の居場所を見つけることができた。がむしゃらに猛烈に仕事した40代、50代は過ぎて60代に入って後継者育成を漠然と考えるようになった。
いつかはこれをして引退しなければならないと考えるようになっていた。そんな時、偶然が重なって若い記者と一緒に関西を担当することになった。
思いは様々にあった。心の中でふっきれないわだかまりがあったがそこから物事を切り離した。次の段階の方が大事だった。
心の中では割り切れない葛藤があったが私の後をする人の育成を考えてそんなことは心の中で全部、蓋をして10年、何とか編集局のスタッフと一緒に私の後を託すところまでこぎつけた。私が大人になっていかないといけない。自分との戦いだった。また紙面を考えてそのほうが大切と腹を括った。
そんな私の60代だった。編集局のスタッフたちに陰になり日向になり支えてもらったから今の私が存在している。そう思うと体調がなんとかなる間は紙面の活性に協力をしないといけないと思っている。ささやかな恩返しです。
そして人生67年と何ヶ月、表向きは元気に見えるが無理ができないことは日に日に実感している。夜の現場も入らなくなった。
それは編集局が考慮したてくれている。
しかしどうしょうもないときは入るときもあるがほとんどパスするか若い人に任せている。若いといっても彼女ももう50代に近い。
それでもまだまだ体を動かして仕事ができる。
明日は夕方からの現場になるがそう長くいることができない。
1時間程度いて奈良行き特急に電車の時刻に合わせて退席をしてくる予定です。
あれこれとまた昔を回顧してつまらないことを書いてしまった。
パソコンを閉めて家事と夕食の支度です。
写真は隣のベランダです。
なんとしてでも鳩は隣のベランダに入りたいのか鳩防止を下に半分落としている。そんな光景を見たので1枚撮影、鳩防止はベランダに物を置かないでいつもきれいに掃除しておくこと。これしか方法がありません。
花の鉢も観賞用の植木鉢を置くと必ず鳩はいい棲みかを見つけたと思ってやってきます。鉢植えも置いてはいけない。これも鳩防止です。
撮影は2012年6月1日、午後2時に撮影したもの。
テレビを見ながら早い昼食をして12時頃、テレビを消した。
新聞2紙を読んでいく。
読み終わると1時間ほど寝たかもしれない。
起きると2時前です。
このまま風呂に湯を入れて風呂に入ろうかとしたがとりあえずパソコンを開いた。明日入る現場の関係者のことをよく知らないのでインターネットで検索した。なんとなく会社社長はわかった。
連れ合いの奥さんとは1980年代の後半から1990年の初めは何度か仕事の現場でお会いしている。
在日コリアンですがものすごい美人に驚いた。たぶん韓国籍だと思っている。
著書を読むとその事柄がわかるがここでは在日コリアンにしておく。
さきほどテレビを消して関係者の著書を読んでいると奥さんの寄稿文も掲載されていた。その中に写真が入っていた。
私の同級生とよく似ている。
60歳前後の写真、同級生も美人で年齢を重ねても美貌はそのままである。
奥さんも若い時は在日コリアンの間でもかなりの美人で通っていて若い時は同級生に似ていたのだろうかとも思った。
年を重ねても美貌は今もそのままだろう。
明日の現場でお会いできるのが楽しみである。
その私は器量もよくない。ド近眼で眼鏡をかけていてまったく男子生徒に相手にされなかったものだ。そんな高校の青春を思い出す。
高校卒業して眼鏡からコンタクトレンズに変えて青春があったがいつも頭の中は悩みを抱えていた。結婚は親が連れて来た人しか結婚できない自分の出自と向き合い恋愛結婚はご法度だった。
まったく楽しくなかった青春だったことしか浮かんで来ない。
結婚して子育てに奮闘していくが心の病になって1つ間違えば私は今頃、この世にいなかった。しかし誰かが見えないところで助けてくれたのだろう。
病は完治して奈良県が発行する雑誌記者になってやっと私らしく生きる価値観を見つけてやりがいのある中で仕事をしていた。
しかし生きがいはまた出自と対峙して悩みを抱え日本人のふりをして日本の記事は書きたくない葛藤で悩むことになった。
結婚した相手は在日韓国人です。
まさか自分にまた出自で葛藤することは夢にも思っていなかった。
在日韓国人の新聞社や民族機関の機関紙に転職してやっと自分の居場所を見つけることができた。がむしゃらに猛烈に仕事した40代、50代は過ぎて60代に入って後継者育成を漠然と考えるようになった。
いつかはこれをして引退しなければならないと考えるようになっていた。そんな時、偶然が重なって若い記者と一緒に関西を担当することになった。
思いは様々にあった。心の中でふっきれないわだかまりがあったがそこから物事を切り離した。次の段階の方が大事だった。
心の中では割り切れない葛藤があったが私の後をする人の育成を考えてそんなことは心の中で全部、蓋をして10年、何とか編集局のスタッフと一緒に私の後を託すところまでこぎつけた。私が大人になっていかないといけない。自分との戦いだった。また紙面を考えてそのほうが大切と腹を括った。
そんな私の60代だった。編集局のスタッフたちに陰になり日向になり支えてもらったから今の私が存在している。そう思うと体調がなんとかなる間は紙面の活性に協力をしないといけないと思っている。ささやかな恩返しです。
そして人生67年と何ヶ月、表向きは元気に見えるが無理ができないことは日に日に実感している。夜の現場も入らなくなった。
それは編集局が考慮したてくれている。
しかしどうしょうもないときは入るときもあるがほとんどパスするか若い人に任せている。若いといっても彼女ももう50代に近い。
それでもまだまだ体を動かして仕事ができる。
明日は夕方からの現場になるがそう長くいることができない。
1時間程度いて奈良行き特急に電車の時刻に合わせて退席をしてくる予定です。
あれこれとまた昔を回顧してつまらないことを書いてしまった。
パソコンを閉めて家事と夕食の支度です。
写真は隣のベランダです。
なんとしてでも鳩は隣のベランダに入りたいのか鳩防止を下に半分落としている。そんな光景を見たので1枚撮影、鳩防止はベランダに物を置かないでいつもきれいに掃除しておくこと。これしか方法がありません。
花の鉢も観賞用の植木鉢を置くと必ず鳩はいい棲みかを見つけたと思ってやってきます。鉢植えも置いてはいけない。これも鳩防止です。
撮影は2012年6月1日、午後2時に撮影したもの。
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