鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

テレビで久しぶりに聞いたソーラン渡り鳥

2008-01-20 23:11:33 | 直言!
が、また今日の2人の歌手のデュットはうまかった。やっぱりうまいな。
頭を使わないでぼんやりと見られるのが昔の歌である。
やっと家にテレビがきたのは昭和36年ごろの話、白黒のテレビがきてやっと歌番組で雑誌平凡や明星にのっている歌手の声を聞いて歌が聞くことができた。
一家がテレビを囲んでテレビを見ていた。
ニュースばかりを見る父親に私は歌がみたいのになかなか見せてもらえなかった。
ロッテ歌のアルバムは日曜日の昼の番組だった。
楽しみだった。全盛期歌手がいっぱいでていた。
橋幸夫や湖愁を歌った人、そして霧にむせぶ夜に布施明もこの番組によくでていたしザーピーナッツに中尾ミエ、いろいろでていました。坂本九に森山加代子、なんかわすれたけれど------。
そしてこのころよく聞いた歌がソーラン渡り鳥、小林旭の北帰行、五月みどりの一週間に十日来いとか------。それにしてもいろんな人がいました。
ソーラン渡り鳥をきいてその時代背景が走馬灯に浮かんでくる。
高校2年前後だった。田舎の地元の高校に通学していた。
高校までの通学は田園の中を歩いての通学、菜の花に触れて麦畑に触れて黄金色の稲穂を眺めて通学した。
家は貧乏だったのに何か夢を膨らませていた。それでも男子生徒にもてない器量の悪さが悩みの種だった。
クラスにはおませな人もいたし------。
あの頃のスキーはとってもめずらしくてクラスメイトが兄たちとマキノにスキーに行ったからといってマキノのお土産は木の葉っぱだった。それでもいけない私やクラスメイトはすごい宝物だった。今もアルバムに貼ってある。
ある人は授業中に私をめがけて飛行機を飛ばしてきた。
ノートをちぎっての飛行機に手紙が書いてあった。
「僕と言うのは冷血人間だ」こんなことで格好つける同級生もいた。それも長いこと手元にあったので学生時代の思い出の1つとしてアルバムに貼ってある。
そんなことを思い出していた。
何もない時代に育った。
やっと洗濯機がきてガス釜が入りガスコンロが入ってこれで家事をするの楽になったとことを覚えている。テレビが家にはいって東京の電波からいろんな番組が放送されていた。
お笑い三人組みにシャボン玉ホリデイー、そして強烈な印象に残っているのは荒木一郎の「空に星があるように」の歌、この歌の詩が強烈な印象でメロデイーにも新しい時代の風を感じた。
そして若者たちの時代がやってきた。若者たちが発言する時代になってきた。
それから少しずつ日本の暮らし向きはよくなっていった。
でもまだまだ電話もない時代、会うか手紙しか伝達手段がなかった。
付き合いなんて並んで歩くのがせえいっぱいだった。
OL生活をして通勤電車で同級生たちに会うと男子生徒なんかはもう格好よく大人になっていた。そんなころが楽しかった。私はもてなかったけれど夢がいっぱい胸につまっていた。
私はなかなか大人になりきれなかったけれど----。OL時代、夜間の洋裁学校に行っていたが帰りにJR奈良駅の街頭テレビでみた「こんにちはあかちゃん」の歌に時代がかわっていく予感がした。
女性に優しい時代を予感した。そして女性が自らに人生を切り開いていく予感がした。
そんな時代の移りかわりに青春を過ごした私、古い時代も新しい時代も重ねて生きてきた。交差点というところで青春を過ごしてきたころが今とてもなつかしく思う。

しかし在日コリアンにはまだまだ社会の風圧が強かった。そんな中でまた私は北朝鮮に帰っていった同胞たちを思う。
昨日あるところで聞いた。
「国の建設で勇んで帰った人もいたが俺の友だちは親が帰るので嫌嫌泣きながら帰っていった」という話をきいてまた青春に胸がつまり分断国家は在日コリアンにも大きい傷を残し周りの日本人も痛みを作ることになった。
そんな中で生きてきて63歳という年月が経った。
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1 コメント

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どうもです。 (幹雄)
2008-01-20 23:13:33
かなりイイ感じの副業を見つけました。コレ→http://y-seikatu.lppulu.net/y/iyqpj/
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