今日は久しぶりに自宅にいる。
原稿の作成をしないといけないのに少ししんどい。
7日は茨木市まで行った。
2時間かかる。自宅8時過ぎに出て行きつけの喫茶店に着いたのはむ8時25分頃、新聞2紙を読んで9時20分に喫茶店を出る。
近鉄線で鶴橋に出て環状線で大阪に出た。
前よりに乗りすぎたのか大阪駅で茨木に行くのに迷った。
真ん中あたりしか乗降機がない。
階段を上るとそこは止めの電車や回送電車が停まっている。
案内は「7・8番乗場に行って下さい」となっている。
それならホームに上がる前に表示してほしい。
7・8番乗場に行く。高槻は新快速がとまるが茨木は分からない。
若い女性に聞くと新快速が早いという。新快速に乗って中高年の男性に聞くと「方向は同じだがこの電車はとまらない」という。
あわてて降りて各駅停車に乗り換えると新快速が発車していた
茨木駅に着くと11時15分、11時に入る予定が遅れている。
タクシーに乗るとワンメーター、近距離だった。
民団茨木支部で昼食を頂いて----。
作るのは在日韓国人のお母さんたち。ここで辛い物が食べられないととても言えない。黙って食べた。それでも美味しい。お腹痛くなればその時と覚悟した。
幸い、腹痛にならないで奈良まで帰ることができた。
素麺ビビンバ。美味しかった。
ここで2時から3時まで取材して3時過ぎに出た。
早い目に着いて事前取材もできた。
タクシーが来ないので阪急茨木駅まで20分程度歩いた。
阪急茨木駅から南方駅にでてここで降りてすぐ側の地下鉄御堂筋線、中島南方駅で地下鉄に乗って難波に出た。難破に着くと5時、トイレは阪急南方ですませた。奈良行き特急は40分後、これはあかん。快速急行に乗ることにした。
車両は1番後ろに乗ることにした。並んだところは1番前、優先座席に座ることにした。三宮から来るのですでに多く乗っている。
優先座席に座ることができて奈良に戻ると5時過ぎている。自宅に戻ると5時半、シャワーを浴びて冷蔵庫にあるもので夕食なので家事をしてパソコンを開いたのはもう6時まわっている。
慌しい1日だった。
昨日の8日は鶴橋が現場、近鉄鶴橋駅で10時半待ち合わせ。
8時15分に自宅を出てバスで近鉄奈良駅に出ると8時40分、行きつけの喫茶店で新聞を読む。9時35分に出て9時44分の三宮行き快速急行に乗って鶴橋に行く。着くと10時20分、トイレをすませて改札口に行くと取材する人が待っていた。ひたむきに生きている在日韓国人3世の姿に私の方が感動した。ようやく3世や4世たちが日本社会で動じることなく一生懸命に生きている。そういう時代になった。あきらめないでわが道を行く。
2世の時代では考えられないことだった。
私は書くことが好きで自分の好きなことをして生きてきたが、様々な葛藤と遭遇しながらこれまでしてきた。あきらめないでしたことが継続は力なりである。時間がないとか周りの理解とか、同じ世代の同胞や高校の同級生に聞いたがそれは自分への言い訳をしているだけと思っている。
本当にやりたいなら生活の中で智恵と工夫を重ねてできる範囲で積み重ねてくると必ずどこかで自分のものになると思っている。
本当にやりたいことがあればそうしている。
私は主婦業だけで満足できない難儀な気質だった。主婦業の合間を見て書くことをしてきた。周りとの葛藤も様々にあった。そんなこといちいち人に言われない。この時、自己顕示欲の強い人がバブル時はブランド物に手を出してバブルの世相に呑まれていた。
しかし私にはバブルも何もなかった。
息子の教育を中心にして自分の焦点は仕事をする環境に工夫をしてきた。
その代わり装飾品もほしいと思わなかった。また着る服も最低限のおしゃれをしてきたがいつもどこかの店に立ち寄っては手ごろな値段を買っていた。
今は太ってしまって通信販売で購入しているがそんな高価なものではない。
どこかで節約して自分のやりたいことをあきらめないでしてきただけである。
10数年前、同業種の女性に「鄭さんの服のブランドは」と聞かれて心の中で呆れたが私はありのままに「私はブランドも何もありません。そこらへんで買ったものです」と言ったものだった。
ある同胞の女性、高校時代の同級生は「私は家族のことを先にして自分を犠牲にしてきた」と私の前で言ったが、私は何をのたまっていると心の中で思っている。何かをしている人、わが道を歩いた人は口では言わないが皆、時間とお金を工夫して自分のしたいことを貫き通しただけである。皆、家族との戦いの中でしてきたのが本音である。
そして主婦生活ほど人生の中で貴重なものはない。
子育てをすることは愛を学び忍耐を学び人生に生きていく力を養っていると私は思っている。子どもが学校に行きだすと今までと違った人と出会い自分の人生に弾みをつけていく体験をさせてもらう。主婦は未来の人間を構築する大事な仕事である。
また結婚しないで一筋の道を歩んだ人も力強い忍耐力ができている。
周りから「結婚」の言葉を何度も聞きながら自分のやりたいことをすることは相当な忍耐が必要である。このことも独身でいる人の力になっている。
様々な生き方の在日同胞の若い人たちに出会って在日同胞の生活も変わってきていると今、実感している。
昨日、取材は12時に終えた。11時から昼ランチが出るので昼食を済ませて12時で分かれた。私はそのまま鶴橋駅に戻って12時28分の奈良行き急行に乗った。この時間はまだ後部車両の座席は空いているが優先座席のところに並んだ。座れた。
奈良に着くと1時過ぎ、行きつけの喫茶店に行った。駅で新聞朝刊紙1紙を買った。新聞を読んで文庫本を読んで3時前に出た。
コンビニで振込みをすませて本屋に立ち寄ったがすぐスーパーで買い物して自宅に向かう。中循環バスが入っていた。走って乗った。
家に帰ると3時半、家事をして風呂に湯を入れて湯が入ると風呂に入った。
上がると4時過ぎている。先にパソコンを開けて受信メールの対応してから夕食の支度をした。
慌しい1日、それで今日は少し疲れているので休憩をしょう。
午後から原稿作成しよう。
原稿の作成をしないといけないのに少ししんどい。
7日は茨木市まで行った。
2時間かかる。自宅8時過ぎに出て行きつけの喫茶店に着いたのはむ8時25分頃、新聞2紙を読んで9時20分に喫茶店を出る。
近鉄線で鶴橋に出て環状線で大阪に出た。
前よりに乗りすぎたのか大阪駅で茨木に行くのに迷った。
真ん中あたりしか乗降機がない。
階段を上るとそこは止めの電車や回送電車が停まっている。
案内は「7・8番乗場に行って下さい」となっている。
それならホームに上がる前に表示してほしい。
7・8番乗場に行く。高槻は新快速がとまるが茨木は分からない。
若い女性に聞くと新快速が早いという。新快速に乗って中高年の男性に聞くと「方向は同じだがこの電車はとまらない」という。
あわてて降りて各駅停車に乗り換えると新快速が発車していた
茨木駅に着くと11時15分、11時に入る予定が遅れている。
タクシーに乗るとワンメーター、近距離だった。
民団茨木支部で昼食を頂いて----。
作るのは在日韓国人のお母さんたち。ここで辛い物が食べられないととても言えない。黙って食べた。それでも美味しい。お腹痛くなればその時と覚悟した。
幸い、腹痛にならないで奈良まで帰ることができた。
素麺ビビンバ。美味しかった。
ここで2時から3時まで取材して3時過ぎに出た。
早い目に着いて事前取材もできた。
タクシーが来ないので阪急茨木駅まで20分程度歩いた。
阪急茨木駅から南方駅にでてここで降りてすぐ側の地下鉄御堂筋線、中島南方駅で地下鉄に乗って難波に出た。難破に着くと5時、トイレは阪急南方ですませた。奈良行き特急は40分後、これはあかん。快速急行に乗ることにした。
車両は1番後ろに乗ることにした。並んだところは1番前、優先座席に座ることにした。三宮から来るのですでに多く乗っている。
優先座席に座ることができて奈良に戻ると5時過ぎている。自宅に戻ると5時半、シャワーを浴びて冷蔵庫にあるもので夕食なので家事をしてパソコンを開いたのはもう6時まわっている。
慌しい1日だった。
昨日の8日は鶴橋が現場、近鉄鶴橋駅で10時半待ち合わせ。
8時15分に自宅を出てバスで近鉄奈良駅に出ると8時40分、行きつけの喫茶店で新聞を読む。9時35分に出て9時44分の三宮行き快速急行に乗って鶴橋に行く。着くと10時20分、トイレをすませて改札口に行くと取材する人が待っていた。ひたむきに生きている在日韓国人3世の姿に私の方が感動した。ようやく3世や4世たちが日本社会で動じることなく一生懸命に生きている。そういう時代になった。あきらめないでわが道を行く。
2世の時代では考えられないことだった。
私は書くことが好きで自分の好きなことをして生きてきたが、様々な葛藤と遭遇しながらこれまでしてきた。あきらめないでしたことが継続は力なりである。時間がないとか周りの理解とか、同じ世代の同胞や高校の同級生に聞いたがそれは自分への言い訳をしているだけと思っている。
本当にやりたいなら生活の中で智恵と工夫を重ねてできる範囲で積み重ねてくると必ずどこかで自分のものになると思っている。
本当にやりたいことがあればそうしている。
私は主婦業だけで満足できない難儀な気質だった。主婦業の合間を見て書くことをしてきた。周りとの葛藤も様々にあった。そんなこといちいち人に言われない。この時、自己顕示欲の強い人がバブル時はブランド物に手を出してバブルの世相に呑まれていた。
しかし私にはバブルも何もなかった。
息子の教育を中心にして自分の焦点は仕事をする環境に工夫をしてきた。
その代わり装飾品もほしいと思わなかった。また着る服も最低限のおしゃれをしてきたがいつもどこかの店に立ち寄っては手ごろな値段を買っていた。
今は太ってしまって通信販売で購入しているがそんな高価なものではない。
どこかで節約して自分のやりたいことをあきらめないでしてきただけである。
10数年前、同業種の女性に「鄭さんの服のブランドは」と聞かれて心の中で呆れたが私はありのままに「私はブランドも何もありません。そこらへんで買ったものです」と言ったものだった。
ある同胞の女性、高校時代の同級生は「私は家族のことを先にして自分を犠牲にしてきた」と私の前で言ったが、私は何をのたまっていると心の中で思っている。何かをしている人、わが道を歩いた人は口では言わないが皆、時間とお金を工夫して自分のしたいことを貫き通しただけである。皆、家族との戦いの中でしてきたのが本音である。
そして主婦生活ほど人生の中で貴重なものはない。
子育てをすることは愛を学び忍耐を学び人生に生きていく力を養っていると私は思っている。子どもが学校に行きだすと今までと違った人と出会い自分の人生に弾みをつけていく体験をさせてもらう。主婦は未来の人間を構築する大事な仕事である。
また結婚しないで一筋の道を歩んだ人も力強い忍耐力ができている。
周りから「結婚」の言葉を何度も聞きながら自分のやりたいことをすることは相当な忍耐が必要である。このことも独身でいる人の力になっている。
様々な生き方の在日同胞の若い人たちに出会って在日同胞の生活も変わってきていると今、実感している。
昨日、取材は12時に終えた。11時から昼ランチが出るので昼食を済ませて12時で分かれた。私はそのまま鶴橋駅に戻って12時28分の奈良行き急行に乗った。この時間はまだ後部車両の座席は空いているが優先座席のところに並んだ。座れた。
奈良に着くと1時過ぎ、行きつけの喫茶店に行った。駅で新聞朝刊紙1紙を買った。新聞を読んで文庫本を読んで3時前に出た。
コンビニで振込みをすませて本屋に立ち寄ったがすぐスーパーで買い物して自宅に向かう。中循環バスが入っていた。走って乗った。
家に帰ると3時半、家事をして風呂に湯を入れて湯が入ると風呂に入った。
上がると4時過ぎている。先にパソコンを開けて受信メールの対応してから夕食の支度をした。
慌しい1日、それで今日は少し疲れているので休憩をしょう。
午後から原稿作成しよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます