鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

韓流は日本人もそうだが在日コリアンも変わった。

2007-08-09 15:57:57 | 直言!
私が本名で在日韓国人の新聞記者をしていると不思議な顔をする高校時代の同級生もいた。
他の同級生は「あんたは差別されることなく、のほほんと育ってきたから、本名を名のることはなんともないが、あの子(在日韓国人の同級生)は田舎で生まれて育ってきたのでものすごい差別を受けてきたから絶対に隠している」と話した。
人それぞれである。
けれど私は私なりに差別もあったが親が町で真面目に生きて子どもを守ってくれたので地域の人たちにも守られて育った。
それでも何もなかったとは言えない。

それがこの同級生たちも韓流で韓国のドラマを見ている。
私にはそんな話をしないが日本人の同級生に話している。

そして昨日、ある韓国語教室を開いている会合の現場に取材で入った。
最初この会合が始まった時は5.・6人だったのに昨日顔を出すとなんとこの日だけで20人近い人が集っていた。
そしてもう1回、違うクラスの会合がある。大方50人近い人がこの会で韓国語を勉強している。
韓流で韓国に興味を持ったという在日同胞に日本人、韓流はやはり隣国とはより身近にしてくれたのかと実感していた。
私もかつてペヨンジュンが好きでテレビドラマを見ていたがこのごろもう関心がなくなったのであまりドラマも見ることなくなった。
ただ今、「春のワルツ」の脚本が気になるのでここ何回かみるようになった。
韓国のドラマはあらすじが、そう簡単に運ばない。
紆余曲折を経てハッピーエンドになっていく。
小説を読んでも紆余曲折を経ていく。
人間のドラマを論文のように人間を緻密に調査している。これは韓国のかつてあった昔の名残なのだろうか。科挙という制度があった朝鮮王朝時代、試験を受けて上昇していく身分に名残があるのだろうか。
そのドラマの脚本にしても緻密に計算されているのかそれとも韓国の暮らしの中で日々あることなのか。人間観察をして小説は作成されている。
このへんはすごいなと思って読んでいる。
そして言葉数を少なくして世相を詩にする。
このほうが韓国は水準が上と言われている。
言葉を少なくしてその1篇の言葉から世相をとらえていく。
頭脳の訓練が必要である。
こうした韓国の文化が今のテレビドラマの脚本に反映されているのだろうか。
だから日本の恋愛ドラマには深みがないのだろうか。
どうしても韓国のドラマと違う。韓国はサスペンスドラマの放映は禁止されている。ホームドラマそして恋愛そして歴史物からドラマや映画が作成されている。ジャンヌルが決められた中での競争は厳しいのに次から次とドラマが作られていく。想像力を豊かに駆り立てるドラマが多い。

そかんなことでかつて昔は日本にもあったドラマが今韓国でしている。そして物事の秩序がある家庭ドラマに感動していく人が韓国語に興味を持って韓国語を習っている人が多くなった。
民団大阪本部の韓国語教室には300人近い受講者がいる。
これも韓流の影響でダントツに日本人受講者が増えたという。

日本人が隣国に関心をもってもらうことはうれしいがやはり在日コリアンの指導者の発音では限界がある。
本物の韓国人、ネイテイブの発音はきれい。
やはり本物である。こんなところに日本人は韓国語の勉強に見せられるのだろう。やはり在日韓国人は影で掛け橋の役目はできても主役は韓国からこられたニューカマーになる。
在日韓国人はやはり日本で定住している在日韓国人という位置づけになる。
しかしこうして日本に定着していきているのにまだまだ法的地位など定まらないことがたくさんある。
昨日会合に顔をだして影で努力しているのは在日韓国人である。
しかし目だつのは本国の韓国人になる。
これも理解して韓日の掛け橋をしなければならないと痛切に感じた。

しかしこの会合はまだいい。在日韓国人そして日本人とニューカマーと一緒に活動している。
しかし他の会合で目にするのは在日韓国人には見向きもしないで韓国だけ目を向けている人がいる。そんな人を見ると不愉快な気持ちになる。
どんなに立派な会合していて韓国とつながっていても人間性が見えてくる。けっきょく自分のためにしているだけである。なんら在日韓国人のためのものではない。先日もある会合でそんな人たちを大勢見かけた。
いかにも韓国に対して理解している顔をしておられるが結局、自分が韓国に目立ちたいだけである。
その中に私が人生長いこと生きてきて1番顔を見たくない2人のうちの1人に会った。いくらそそとして上品にしていても中味は真っ黒けの備長炭である。
まわりから打たれても打たれてもめげないでまた打たれないところに泳いでいく。なかなかしぶといおれない備長炭みたいな心が黒黒としているひとを見た。
日本男性も韓国の男性も猫なで声でこの人はいい人と思ってしまうが1度、本性を見てしまうと2度ち近づきたくない人である。
かつてこの人は1980年の後半から1990年代の後半まで奈良で活動していたが本性を見てしまっただけに誰も相手にしなくなった。奈良市で奈良県で何をしてきたのか。その行いはまわりはしらないだろうが奈良県のものは知っている。先日、韓国のイベントに参加しているその人に唖然としてしまった。
在日韓国人の私がいくら説明しても本当にしてくれない。その日本人の女性の話を鵜呑みにしている。なんら日本の政局とかわらないじゃないかと思ってみていた。
今でも顔を見ただけで不愉快でハラワタが煮え返る。
意味もなしに人のお金をぼったくっていて会合まで取り上げていく日本人の卑劣さに未だにこの人には不信感がある。それなのに堂々と招待している韓国の関係者にも唖然としていた。
在日韓国人の私の言い分、もぬけの殻になっている悔しさをまた身に染みて感じている。
人生生きているといろいろなことがあるがこの人のことは生涯許すことができない。顔もみたくないし口もききたくない。この人を素材して「詐欺物語」の小説を書こうと思うと1冊の本になる。
そしてまた大阪のある会合の役員をしていると聞いたのでますますその会の主宰者の心情がわからなくなった。けっきよく在日韓国人のことは何も考えていない。自分さえよければいい人の集まりとまた気がついた。
体から寒気がしてくる。



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