朝、テレビの天気予報でいっていた。
残暑が厳しい今年です。
また台所に入るのが苦痛の日々です。
そんな折に臨時ニュースが昨日、飛び込んできた。
北朝鮮からの脱北者9人が能登半島付近で見つかって金沢港の近くの海上巡視船に保護されて調べを受けているという。
びっくりした。もうびっくりした。
臨時ニュースのテロップはすぐ消えたのではっきりしたことは分からなかったがその後のニュース番組に気をつけて見ているとやはり9人が脱北してきた。
今朝の産経新聞の1面、見出しに「食糧難 軍でも餓死 冬近づく切迫 強行」、産経新聞はタカ派なので左翼系統には批判、まして北朝鮮や在日コリアンに対しても批判が多い記事でよく知られている。
見出しのつけかた、北朝鮮の現実が事実なら上手いと思った。
「見出し」だけで北朝鮮の現状が把握できる。
緊迫した北朝鮮の国内だろう。
国内外で知らされている北朝鮮の現状、ほんに全体の中の一部分にしか過ぎない。そこで暮らした人が日本に戻ってきた元在日朝鮮人の脱北者の話しを聞くと北朝鮮の現実をよく知ることができる。
「餓死」という見出しにまた脱北者の女性のことを思い出した。
1990年代、北朝鮮で教員をしていたときのことをその女性が話していた。当時、人々が餓死するということが起こった。1ヶ月間、学生たちと一緒に餓死した人の処理をした。
このときにこの国はおかしいと思った。
それから親子は中国に脱北して生まれた日本に戻ってきた。
彼女は北朝鮮の事実を話している。
日本のマスコミの一部分は脱北者の話を聞こうとするが大多数が聞かない。
こんなときその人たちはまだ北朝鮮は「地上の楽園」と幻想しているのだろうかと思ってしまう。
緊迫した北朝鮮はどこに行こうとしているのだろうか。
北朝鮮国内で何が起きているのだろうか。
拉致被害者の多くももう高齢に近い年齢になっている。
なんとか日本の土を踏ませたいがそうは簡単にいかないらしい。
1960年代から1970年代、拉致して北朝鮮に連れて行かれている。
そこには海上保安の手ぬるさがあったのか。
一般人で普通の会社員だった私の父親はそのことを知っていた。
民族組織とはいっさい関わっていなかった。日本の会社で生涯を通した。
それなのに私たち家族が真夏、日本海に行くと必ずいった。
「北朝鮮に拉致されるからいったらあかん」と。今もこの父親の顔、1975年前後のことを鮮明に覚えている。
普通人として送った在日コリアン1世の父親は何を知っていたのだろうか。
新聞情報だといっていたがそれではないと私は思っている。
一般人の父親が知っていたのに日本政府が知らないはずがないと私は思っている。
当時は朝鮮総連の組織は活発な活動していた。
黙認していたのだろうか。拉致されたことは知らないはずがないと思っているが----。そこまで北朝鮮がするとは思っていなかったのか-----。陰で動いていた朝鮮総連、暗闇の世界に目を向けなかったのだろうか。
政治の裏で何があったのだろうか。
日本は当時、社会党が活発な党だった。
自民党に相反する政治の党、北朝鮮を支持する朝鮮総連組織ともそこに何らかの関係があった。政治の裏は一般人には人知れないことが多々あったのだろうか。
経済復興に成功した日本だが隣国の外交政策と治安問題、韓国と北朝鮮外交、軍事境界線(38度線)を挟んで日本も苦悩するなら在日コリアンも苦悩して暮らした戦後日本である。
北朝鮮の現実を直視しなければならないときがそう遠くないころに訪れそうだ。
何かが起こる兆しに思えてくる今回のニュース、こんなこと思うのは私だけだろうか。
またびっくりするニュースが飛び込んできた。
今日はライフワークに関する取材です。
大和郡山市で取材です。
その前に所用がたくさんあるので早い目にパソコンから切り上げて外出の支度をしないといけない。
そうそう、夕べ、小学校の同級生が夢に出てきた。
セーラー服を着ていておかっぱ頭の小学校時代のかわいい顔のままで夢に出てきた。この夢、何を意味しているのだろうか。とにかく元気でおられることを願っている。
残暑が厳しい今年です。
また台所に入るのが苦痛の日々です。
そんな折に臨時ニュースが昨日、飛び込んできた。
北朝鮮からの脱北者9人が能登半島付近で見つかって金沢港の近くの海上巡視船に保護されて調べを受けているという。
びっくりした。もうびっくりした。
臨時ニュースのテロップはすぐ消えたのではっきりしたことは分からなかったがその後のニュース番組に気をつけて見ているとやはり9人が脱北してきた。
今朝の産経新聞の1面、見出しに「食糧難 軍でも餓死 冬近づく切迫 強行」、産経新聞はタカ派なので左翼系統には批判、まして北朝鮮や在日コリアンに対しても批判が多い記事でよく知られている。
見出しのつけかた、北朝鮮の現実が事実なら上手いと思った。
「見出し」だけで北朝鮮の現状が把握できる。
緊迫した北朝鮮の国内だろう。
国内外で知らされている北朝鮮の現状、ほんに全体の中の一部分にしか過ぎない。そこで暮らした人が日本に戻ってきた元在日朝鮮人の脱北者の話しを聞くと北朝鮮の現実をよく知ることができる。
「餓死」という見出しにまた脱北者の女性のことを思い出した。
1990年代、北朝鮮で教員をしていたときのことをその女性が話していた。当時、人々が餓死するということが起こった。1ヶ月間、学生たちと一緒に餓死した人の処理をした。
このときにこの国はおかしいと思った。
それから親子は中国に脱北して生まれた日本に戻ってきた。
彼女は北朝鮮の事実を話している。
日本のマスコミの一部分は脱北者の話を聞こうとするが大多数が聞かない。
こんなときその人たちはまだ北朝鮮は「地上の楽園」と幻想しているのだろうかと思ってしまう。
緊迫した北朝鮮はどこに行こうとしているのだろうか。
北朝鮮国内で何が起きているのだろうか。
拉致被害者の多くももう高齢に近い年齢になっている。
なんとか日本の土を踏ませたいがそうは簡単にいかないらしい。
1960年代から1970年代、拉致して北朝鮮に連れて行かれている。
そこには海上保安の手ぬるさがあったのか。
一般人で普通の会社員だった私の父親はそのことを知っていた。
民族組織とはいっさい関わっていなかった。日本の会社で生涯を通した。
それなのに私たち家族が真夏、日本海に行くと必ずいった。
「北朝鮮に拉致されるからいったらあかん」と。今もこの父親の顔、1975年前後のことを鮮明に覚えている。
普通人として送った在日コリアン1世の父親は何を知っていたのだろうか。
新聞情報だといっていたがそれではないと私は思っている。
一般人の父親が知っていたのに日本政府が知らないはずがないと私は思っている。
当時は朝鮮総連の組織は活発な活動していた。
黙認していたのだろうか。拉致されたことは知らないはずがないと思っているが----。そこまで北朝鮮がするとは思っていなかったのか-----。陰で動いていた朝鮮総連、暗闇の世界に目を向けなかったのだろうか。
政治の裏で何があったのだろうか。
日本は当時、社会党が活発な党だった。
自民党に相反する政治の党、北朝鮮を支持する朝鮮総連組織ともそこに何らかの関係があった。政治の裏は一般人には人知れないことが多々あったのだろうか。
経済復興に成功した日本だが隣国の外交政策と治安問題、韓国と北朝鮮外交、軍事境界線(38度線)を挟んで日本も苦悩するなら在日コリアンも苦悩して暮らした戦後日本である。
北朝鮮の現実を直視しなければならないときがそう遠くないころに訪れそうだ。
何かが起こる兆しに思えてくる今回のニュース、こんなこと思うのは私だけだろうか。
またびっくりするニュースが飛び込んできた。
今日はライフワークに関する取材です。
大和郡山市で取材です。
その前に所用がたくさんあるので早い目にパソコンから切り上げて外出の支度をしないといけない。
そうそう、夕べ、小学校の同級生が夢に出てきた。
セーラー服を着ていておかっぱ頭の小学校時代のかわいい顔のままで夢に出てきた。この夢、何を意味しているのだろうか。とにかく元気でおられることを願っている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます