朝早く夫の知人の電話で起きてしまった。それから寝ようと思うがぐっすりと寝ることができない。睡眠不足のまま8時に起きた。
朝食を済ませてパソコンの前に座った。
急いで仕上げていく仕事の原稿がないので久しぶりに朝の9時過ぎから月曜日の連載の原稿を集中して作ることができた。
今日は夫が何も言わないで黙ってテレビを見ていると思ったら11時半になると部屋の中をうろうろとしだした。
遅い朝食なのに昼になると昼も時間通りに食べないと気がすまないのだろう。
原稿は何度か読み直して12時半に終えた。
早くできる物、結局素麺を湯がいて素麺の汁を少なくして焼きそば風に仕上げて昼食にした。
1時に夫は出かけていった。
私は2時前までテレビを見ていたが睡眠不足なのか眠たい。
新聞を読んでいても眠たい。
2時前にフトンに入るとコロンと寝てしまった。
3時半に起きたが眠い。眠いが起きた。
起きて外を見ると外はいい天気に晴れている。
朝の雨はいったいなんだったのか。
日差しがさしている。
師走の一時の穏やかな時間である。
話は変るが今日の韓国の新聞、インターネットで検索をした。
中央日報が紹介している。
北朝鮮に帰国した日本政府と北朝鮮のあり方、当時の政治リーダーのことなど論文にした著書が紹介されていた。
日本政府が追い出した在日朝鮮人。ほとんどの人の故郷は分断国家の南、韓国だったのに北に帰した。韓国ではこのことを北送と言っている。私もこの言葉がぴったりと思うが日本社会の中では様々な考え方の人がいる。
未だに北(北朝鮮)の思想に感化されている人もいる。また他の考えかたの人もいる。
しかし日本に住んでいる在日コリアンの基本的な考え方は思想に影響されないで日本で国籍を持ってどうして生きていくのかが重要で思想に臆することのない生き方をして経済構築することが日本で生きるための方法だった。
このために韓半島(朝鮮半島)の韓国人から韓国語を知らない在日韓国人を鼻から馬鹿にして蔑視してきた。
日本社会の様々な事柄に振り回された在日コリアンの状況を知らない。
もちろん言葉は民族気質のアイデンテイテイになるが日本と言う差別構造の枠組みはよほど強い精神がないと本名でしかも言葉を学習する若者は少なかった。
1980年代もまだまだ少なかったが韓国に語学留学をするものが増えて日本にもどり日本政府の在日コリアンに対する差別構造の仕組みを知って日本人と同等の扱いを訴えて運動してきた。
かつて父親の兄弟の中で朝鮮総連組織に入って活動する親戚は日本の学校に通いハングルが読めなかった私たちに「人間がかたわ」と言って蔑視した。
日本でどうして生きていくのかが大切だったのに父親の兄弟でも日本で生きる在日コリアンとして生きていく先見の目を失っていた。
もちろん言葉はできる。
言葉が武器になっている。言葉を武器にして韓国系の団体で活動する人も多くなっている。
しかしトラブルがたえないことも多々ある。
日本社会の図式で物事を考えられない現象がおきている。
はたして言葉が武器で役に立っているかと言えばそうでもない。
何らかの形で国籍を持ったまま日本社会に対応して生きていくのか。という人間関係のあり方が欠如しているように見受けられる。
こうした現象に北朝鮮の独裁国家の有様と重なってくる。
父親は生前言っていた。
「北朝鮮にばかり偏っていることが在日コリアンの人間性として偏った人間を作っていく」とも言っていた。
今さらながら第2次世界大戦の戦争の終結に問題のあることが浮かび上がってくる。分断国家は植民地支配をした負の遺産として日本の責任、そして米ソの責任として世界が考えていかなければならないと私なりに個人として思う。
日本政府が北朝鮮に帰国させた在日朝鮮人、私はまさに北送と考えている。
朝食を済ませてパソコンの前に座った。
急いで仕上げていく仕事の原稿がないので久しぶりに朝の9時過ぎから月曜日の連載の原稿を集中して作ることができた。
今日は夫が何も言わないで黙ってテレビを見ていると思ったら11時半になると部屋の中をうろうろとしだした。
遅い朝食なのに昼になると昼も時間通りに食べないと気がすまないのだろう。
原稿は何度か読み直して12時半に終えた。
早くできる物、結局素麺を湯がいて素麺の汁を少なくして焼きそば風に仕上げて昼食にした。
1時に夫は出かけていった。
私は2時前までテレビを見ていたが睡眠不足なのか眠たい。
新聞を読んでいても眠たい。
2時前にフトンに入るとコロンと寝てしまった。
3時半に起きたが眠い。眠いが起きた。
起きて外を見ると外はいい天気に晴れている。
朝の雨はいったいなんだったのか。
日差しがさしている。
師走の一時の穏やかな時間である。
話は変るが今日の韓国の新聞、インターネットで検索をした。
中央日報が紹介している。
北朝鮮に帰国した日本政府と北朝鮮のあり方、当時の政治リーダーのことなど論文にした著書が紹介されていた。
日本政府が追い出した在日朝鮮人。ほとんどの人の故郷は分断国家の南、韓国だったのに北に帰した。韓国ではこのことを北送と言っている。私もこの言葉がぴったりと思うが日本社会の中では様々な考え方の人がいる。
未だに北(北朝鮮)の思想に感化されている人もいる。また他の考えかたの人もいる。
しかし日本に住んでいる在日コリアンの基本的な考え方は思想に影響されないで日本で国籍を持ってどうして生きていくのかが重要で思想に臆することのない生き方をして経済構築することが日本で生きるための方法だった。
このために韓半島(朝鮮半島)の韓国人から韓国語を知らない在日韓国人を鼻から馬鹿にして蔑視してきた。
日本社会の様々な事柄に振り回された在日コリアンの状況を知らない。
もちろん言葉は民族気質のアイデンテイテイになるが日本と言う差別構造の枠組みはよほど強い精神がないと本名でしかも言葉を学習する若者は少なかった。
1980年代もまだまだ少なかったが韓国に語学留学をするものが増えて日本にもどり日本政府の在日コリアンに対する差別構造の仕組みを知って日本人と同等の扱いを訴えて運動してきた。
かつて父親の兄弟の中で朝鮮総連組織に入って活動する親戚は日本の学校に通いハングルが読めなかった私たちに「人間がかたわ」と言って蔑視した。
日本でどうして生きていくのかが大切だったのに父親の兄弟でも日本で生きる在日コリアンとして生きていく先見の目を失っていた。
もちろん言葉はできる。
言葉が武器になっている。言葉を武器にして韓国系の団体で活動する人も多くなっている。
しかしトラブルがたえないことも多々ある。
日本社会の図式で物事を考えられない現象がおきている。
はたして言葉が武器で役に立っているかと言えばそうでもない。
何らかの形で国籍を持ったまま日本社会に対応して生きていくのか。という人間関係のあり方が欠如しているように見受けられる。
こうした現象に北朝鮮の独裁国家の有様と重なってくる。
父親は生前言っていた。
「北朝鮮にばかり偏っていることが在日コリアンの人間性として偏った人間を作っていく」とも言っていた。
今さらながら第2次世界大戦の戦争の終結に問題のあることが浮かび上がってくる。分断国家は植民地支配をした負の遺産として日本の責任、そして米ソの責任として世界が考えていかなければならないと私なりに個人として思う。
日本政府が北朝鮮に帰国させた在日朝鮮人、私はまさに北送と考えている。
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