今日は奈良が現場、民団奈良県本部会館で韓国語の弁論大会が行われるので今日は2時からそこに入ることになっている。
10時過ぎには外出の支度をしないといけない。
明日は京都、本当は今日入る予定だったが急遽、奈良での仕事が入って明日に変更した。30日の月曜日は脱北者の高政美さんの「朝鮮総連を暴く」訴訟の判決である。1時から。後には報告集会がある。
3日続けての現場でバタバタしそうだ。
今朝は朝から自分のライフワークの作業しているともう9時過ぎた。早い。時間はあっとい間に過ぎていく。
近鉄奈良駅近くのスーパーが改装オープンしてやっと食材の買出しが楽になった。近所にも大型スーパーがあるがバスを降りてから行くのが面倒でつい近鉄奈良駅で買って来ている。
夫はもっぱら近所のスーパーを利用している。
近年は車で通るところのスーパーでよく買物してくるので「どこのスーパーは安いが品物がもう1つ」と言う。私よりよく知っている。
私はそうあちらこちらのスーパーに行かないので分からないが夫はよく知っている。
さてこれら身支度をしないといけない。
行きつけの喫茶店は常連さんが多い。そして横に座った人との会話を楽しみにしてこられている人も多い。しかし私は会話が目的でない。
私は主婦と仕事の切替と新聞を読みたいために行く。
1人静かに新聞を読んでいる時が私の至福の時間である。
仕事柄、話すと誰とも会話をあわして話すので私も話しをしたくてきているように思われているのだろうか。
私は1人になって静かに新聞を読むのが楽しみで行っている。
常連さんとはわざと離れて座るようにしているので時々不愉快な顔をされているのも時には見かける。
また私は仕事で外に出ない時はほとんど家にいる。
行きつけの喫茶店に行く時はたいてい仕事に行く時である。
新聞を2紙、1時間で読むために時間の段取りをして身支度をしているのに横から話されると私の楽しみの時間が少なくなってしまう。
本来は子どもの頃から話の出来ない子どもだった。内向的な子どもだった。
高校の頃から一変して明るくなってざっくばらんに誰とも話しができるようになった。それでも同級生と比べるとまだまだ話せない子どもだった。
その話せなかった心の鬱憤を大学ノートに書いてきたのが仕事につながっている。それでも子どものころ話せない内向的だったころを誰も信用してくれない。
唯一、知っているのは小・中学校の同級生だろう。
だからこの影響か書くことはたくさんできるのに人前で話すことはとても苦手である。講演なんてできない。
何度か講演の以来があったものの断っている。2回だけ義理でしたが2回目もなれなくて机の下で足がガタガタ震えていたのでその時に思った。
2度と講演は引き受けないと思った。
本当に話すことが大変苦手である。
話は変わるが今日は土曜日、土曜日は朝日新聞の落合恵子さんのエッセイが楽しみである。先週の金曜日、何をカン違いしていたのだろうか。
生活面に落合恵子さんのエッセイがない。ない。あれ。ない。
病気でもして今回は原稿がかけなかったのか。いや。長期出張になったので外国でも行かれて1・2回休憩なのか。
いや。マスコミはそんなに甘くない。
長期出張だったら何回かまとめて送稿していくのが常識である。
風邪をひいて熱出していても原稿を待っている編集局である。現在はパソコンで原稿の送信ができるようになったが一昔前は原稿を取りに来る人がいて熱を出していても待たせておいて原稿を書くこともあったらしい。
あれ。と思ってずっと夕方になってもなぜ、今日の生活面に掲載されていなかったのかと考えている。
そして土曜日の朝になってやっと気がついた。
昨日は金曜日で掲載されないはずだ。今日が土曜日、私が曜日を間違っていたことにやっと気がついた。もちろん土曜日の新聞を開いて落合恵子さんの原稿を読んでほっと安心した。
この何回かのエッセー女友だちの話題である。
さては奈良県宇陀郡(今は宇陀市)に住んでいたYさんのことかな。と、想像したりしている。そういえば彼女ももう50歳前後になっているだろう。
優しい彼女なので落合恵子さんとはよき友人で上司・部下の関係と思っている。
すごく成長した彼女に1度会ってみたい気持ちもこみ上げてくるが今は彼女が東京に住んでいる。
東京の空の下を歩いているだろう。
そして時には自然の多い故郷、宇陀の町を思い出し勤務した奈良市内での保育園時代を思い出して奈良の景色も思い出しているだろう。
思い出の端くれに私が住んでいた奈良市佐紀町の田舎の風景を思い出してくれていたらまたこれもうれしいことである。
若かったあの頃、食べたカレー、自分で作ったカレーだったが皆と食べたのが美味しかった。今は辛いカレーが食べられない。すぐにお腹を壊してしまう。
こんなとき佐紀町の家で食べたカレーが懐かしく思い出してしまう。
もう10時である。
身支度をしないといけない。
隣は新しく入ってこられた住人。大工さんが家族におられるのだろうか。
雨の時や雨が降りそうな時は決まって大工仕事をしておられる。
家をリフオームされているのだろうか。電気のこぎりの音がよく聞こえる。
そういえば外は曇っている。折りたたみの傘を持っていかないといけないかもしれない。
10時過ぎには外出の支度をしないといけない。
明日は京都、本当は今日入る予定だったが急遽、奈良での仕事が入って明日に変更した。30日の月曜日は脱北者の高政美さんの「朝鮮総連を暴く」訴訟の判決である。1時から。後には報告集会がある。
3日続けての現場でバタバタしそうだ。
今朝は朝から自分のライフワークの作業しているともう9時過ぎた。早い。時間はあっとい間に過ぎていく。
近鉄奈良駅近くのスーパーが改装オープンしてやっと食材の買出しが楽になった。近所にも大型スーパーがあるがバスを降りてから行くのが面倒でつい近鉄奈良駅で買って来ている。
夫はもっぱら近所のスーパーを利用している。
近年は車で通るところのスーパーでよく買物してくるので「どこのスーパーは安いが品物がもう1つ」と言う。私よりよく知っている。
私はそうあちらこちらのスーパーに行かないので分からないが夫はよく知っている。
さてこれら身支度をしないといけない。
行きつけの喫茶店は常連さんが多い。そして横に座った人との会話を楽しみにしてこられている人も多い。しかし私は会話が目的でない。
私は主婦と仕事の切替と新聞を読みたいために行く。
1人静かに新聞を読んでいる時が私の至福の時間である。
仕事柄、話すと誰とも会話をあわして話すので私も話しをしたくてきているように思われているのだろうか。
私は1人になって静かに新聞を読むのが楽しみで行っている。
常連さんとはわざと離れて座るようにしているので時々不愉快な顔をされているのも時には見かける。
また私は仕事で外に出ない時はほとんど家にいる。
行きつけの喫茶店に行く時はたいてい仕事に行く時である。
新聞を2紙、1時間で読むために時間の段取りをして身支度をしているのに横から話されると私の楽しみの時間が少なくなってしまう。
本来は子どもの頃から話の出来ない子どもだった。内向的な子どもだった。
高校の頃から一変して明るくなってざっくばらんに誰とも話しができるようになった。それでも同級生と比べるとまだまだ話せない子どもだった。
その話せなかった心の鬱憤を大学ノートに書いてきたのが仕事につながっている。それでも子どものころ話せない内向的だったころを誰も信用してくれない。
唯一、知っているのは小・中学校の同級生だろう。
だからこの影響か書くことはたくさんできるのに人前で話すことはとても苦手である。講演なんてできない。
何度か講演の以来があったものの断っている。2回だけ義理でしたが2回目もなれなくて机の下で足がガタガタ震えていたのでその時に思った。
2度と講演は引き受けないと思った。
本当に話すことが大変苦手である。
話は変わるが今日は土曜日、土曜日は朝日新聞の落合恵子さんのエッセイが楽しみである。先週の金曜日、何をカン違いしていたのだろうか。
生活面に落合恵子さんのエッセイがない。ない。あれ。ない。
病気でもして今回は原稿がかけなかったのか。いや。長期出張になったので外国でも行かれて1・2回休憩なのか。
いや。マスコミはそんなに甘くない。
長期出張だったら何回かまとめて送稿していくのが常識である。
風邪をひいて熱出していても原稿を待っている編集局である。現在はパソコンで原稿の送信ができるようになったが一昔前は原稿を取りに来る人がいて熱を出していても待たせておいて原稿を書くこともあったらしい。
あれ。と思ってずっと夕方になってもなぜ、今日の生活面に掲載されていなかったのかと考えている。
そして土曜日の朝になってやっと気がついた。
昨日は金曜日で掲載されないはずだ。今日が土曜日、私が曜日を間違っていたことにやっと気がついた。もちろん土曜日の新聞を開いて落合恵子さんの原稿を読んでほっと安心した。
この何回かのエッセー女友だちの話題である。
さては奈良県宇陀郡(今は宇陀市)に住んでいたYさんのことかな。と、想像したりしている。そういえば彼女ももう50歳前後になっているだろう。
優しい彼女なので落合恵子さんとはよき友人で上司・部下の関係と思っている。
すごく成長した彼女に1度会ってみたい気持ちもこみ上げてくるが今は彼女が東京に住んでいる。
東京の空の下を歩いているだろう。
そして時には自然の多い故郷、宇陀の町を思い出し勤務した奈良市内での保育園時代を思い出して奈良の景色も思い出しているだろう。
思い出の端くれに私が住んでいた奈良市佐紀町の田舎の風景を思い出してくれていたらまたこれもうれしいことである。
若かったあの頃、食べたカレー、自分で作ったカレーだったが皆と食べたのが美味しかった。今は辛いカレーが食べられない。すぐにお腹を壊してしまう。
こんなとき佐紀町の家で食べたカレーが懐かしく思い出してしまう。
もう10時である。
身支度をしないといけない。
隣は新しく入ってこられた住人。大工さんが家族におられるのだろうか。
雨の時や雨が降りそうな時は決まって大工仕事をしておられる。
家をリフオームされているのだろうか。電気のこぎりの音がよく聞こえる。
そういえば外は曇っている。折りたたみの傘を持っていかないといけないかもしれない。
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