鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

12月25日、クリスマスという。

2010-12-25 08:11:57 | 直言!
夕べ遅くテレビを見ていると全国のイルミネーションを紹介していた。
きれい。見たいと思うほどだった。しかし頭の裏側でははてな。これだけの電力消費、二酸化炭素を生み出しているのではと思っていた。
地球温暖化の1つにもなっていると思ってしまうがきれい。しかしきれい。
テレビの画面から1人、クリスマスイブを楽しんでいた。
私の風邪は大分治ってきた。
体のだるさが取れてきた。
現場がないので21日から自宅にいる。
23日は宅急便の発送で外出したが仕事の現場と違う。やはりストレスがたまっていないらしい。
24日は家の掃除をしたが急いでしていない。ゆっくりとしている。
そして休憩したりしているので体のだるさが大分とれてきたようだ。
昨年も年末の追い込みの仕事でかなり疲れた。
今年は年末に福山にいくことも重なって疲労困憊になった。
それでも油断しないでもう少し休養をすることにしよう。

昨日、12時半までテレビを見てしまった。
KNテレビ(韓国テレビ)で1990年代のドラマを放送していたので私の世代にはこんなドラマが見たくなる。
つい遅くまで見てしまった。
韓国テレビは1990年代の後半、毎日放送関係者と民団関係者との共同作業で日本の全国にテレビ放送を発信した。毎日放送関係者は現在、京都におられる。どこかで見た顔と思っていた。向こうは私のことをよく知っていた。なぜと思っていたがやっとこのときの関係者と思い出した。
最初の2年間は当時、民団中央本部の宣伝局長と毎日放送関係者が放送制作に関わっていた。1週間に1度の在日コリアンニュースでは宣伝局長が顔を出していろんなことを案内していた。
やがて大阪にもスタッフが設置されて大阪の活動をテレビで放送されるようになった。
私は幸いにも宣伝局からチューナーを送ってもらって2000年から韓国テレビを見てきた。「冬の恋歌(冬のソナタ)」も2002年の冬、夜9時から1時間、2時間続けて放映された。昔は懐かしい青春ドラマに9時からの時間はほとんど見ることができなかった。パソコンのキーを叩いて原稿を作っていた。
当時はまだ私が1人、関西の現場を担当していたのでのべつなく現場を回って帰ってきては原稿を作っていた。
そしてしばらくして日本のNHKが「冬の恋歌」が「冬のソナタ」にタイトルを変えて放映しだした。最初は遅い時間で見ることができなかったが日本全国が勇俊(ペ ヨンジュン)ブームになってようやく私はBSで「冬のソナタ」の放映に関心を持って見出したのである。
最初のペ ヨンジュンは魅力的だったが最近はあまり好きになれない。
女性みたいになってきたことと、ビジネスに奔走する姿は好きになれなくってきた。在日韓国人の団体がイベントでペ ヨンジュンのポスターを借りようとしたときに「肖像権」として何がしの金額を求められた。
それには在日韓国人の婦人たちは驚いた。
それをきいてペ ヨンジュン熱は冷めてしまった。
それからじっと見ていると日本でビジネスをするがほとんど日本人対象向けになっている。ペ ヨンジュンは日本でフアンのこと「家族」というが結局、日本人対象の家族向けの言葉なのかと思ってしまう。
「冬のソナタ」が日本でブレイクする前、私は韓国テレビで「秋の童話館」「ホテリアー」「朝の霧」などたくさんのドラマを一週間続けてずっと見ていた。
夫とよく番組の取り合いになってよく喧嘩した。
ドラマ以外にも韓国の「歌謡舞台」に「全国のど自慢大会」もよく見た。
当時のニュース番組は韓国KBSの放送だった。
KBSが放送していた番組を良く見た。

しばらくすると日本人拉致被害者が北朝鮮から日本に戻ってきた。
このニュースに日本のテレビばかり見るようになって韓国テレビから遠のいた。
そして「冬のソナタ」が日本に入ってきてブレイクしていく。
後、韓国のドラマ、あれこれと入ってくるが私は韓流になりかけたころに韓国ドラマから卒業し始めていた。
そして夫が私のいないときにテレビの録画をしょうとしてうまくできなくて韓国テレビも見られなくなった。
それでもテレビを地デジに変えれば見られると思って韓国テレビには毎月、テレビの視聴料を振り込んでいた。
ようやくこの11月に地テジに買い替えると韓国テレビも見られるようになった。けれど昔みたいに何が何でも韓国テレビを見たいという気持ちは失せている。時間があるとき面白いものだけ見ている。
韓国のバライテイーは面白い。そして近年は日本語字幕もバライテイー番組もニュースにもつくので見やすくなったので時々見ている。
けれどずっと見ることはない。
日本のニュース番組も大事で見ている。
それと韓国テレビは何があったのか知らないが韓国の放送会社はSBS放送になっている。放送局が違えば「歌謡舞台」も「全国のど自慢大会」も放送されない。歌は若い歌手ばかりで私の耳には合わない。歌謡舞台は昔も1世たちが歌っていた民謡そして日本植民地支配から解放された後の民衆の歌、哀愁のこもった歌を多くの歌手が歌っている。こんな歌の方が耳に入ってきてよかった。

夕べは1990年代のドラマが放送されていた。懐かしく見ていた。時計はもう12時まわっているのに見ていた。
クリスマスイブと言っても我が家は何もしない。
テレビで日本、世界のイルミネーションの紹介にクリスマスイブの気持ちを味わった。

今日は25日、今年も後、数日になった。
これから寒気が入って寒いらしい。
東北や日本海側では大雪になっているらしい。
ベランダに出ると風が冷たい。
風が冷たいと子どもの頃の正月を思い出す。
北風が吹く年末、石臼で餅つきをした。
今は桜井に引っ越していかれたが今も天理市内の夜間中学校で学ぶ1世のオモニ(お母さん)が家に来て一緒に餅つきをしたことを思い出す。
出来立ての熱々を丸めて黄な粉をつけて食べた頃を思い出している。
あれから長いこと生きた。50数年も生きた。
桜井の1世のオモニも幾多の人生を乗り越えてこられた。私も幾多の人生を乗り越えてきた。
そして2010年も後、数日で終えていく。

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