夕べは10時半に寝ているのに夜中に何度も目が覚める。
夢うつうつの中でネットにあげる原稿の内容が出てくる。それでまた目がさめてしばらく寝られない。そんなに気にしていないのにやはりどこかで気にしているのだろうか。
否定でも肯定でもないことをどうすれば説得力につながるのか。そんなことしらずしらずに考えていているので夢にまで出てくるのだろうか。
ぐっすり寝つけていない私、体が教えている。
しかし朝から木曜日連載の原稿を作りそしてこの何日間連続してあげる原稿にとりかかった。書くことはたくさんあるが適当なところでとめておかないといけないので大分抑えて文章を作った。
しかし途中でおいた。ある程度目処がついたのでおいた
時間のあるときに書き込んで完成させていこう。
昼食をとったのは1時半、30分ほどテレビを見て休養をとった。起きると4時前、朝の耳の不具合はなくなった。やっぱり疲れていて睡眠不足なのだろうか。
夕食の支度をしてあわてて風呂に入った。
風呂からでるとまだ仕事が残っている。
取材活動費の整理である。
別に対した会計でもないのに40分ばかりかかった。
なにせ計算の苦手な私がシコシコ数字を書き込んで電卓を入れている。
やっと11月が整理できた。あとはまたこれをパソコンに打ち込んでいく。もう一仕事が残っている。
とにかく今日は早く寝よう。寝るのが1番、それがついテレビを見ていると編み物している。編み物をしているとつい長いことテレビを見てしまう。
悪循環を起こしている。
しかし日が暮れるのが早い。
5時になるとあたりは真っ暗である。
もうこのまま布団の中にはいっても練られそうに気がする。
つるべ落としと昔の人はよくいったものだ。
秋の日の日没、鉄瓶が井戸からストンと落ちていく様子をいう。あっとい間に日が沈んでしまう。急に日の入り、日照時間間が短い西日が一気に沈んでいく様子を昔の人は井戸のつるべ落としに例えた。
うまい表現だなといつも思う。
昔の人は自然がいっぱいの中でこうして情調を育んでいた。
今の子どもたちに「つるべ落とし」といってもその「つるべ」とは何か。「井戸」とは何かということになる。そして知らない親も大方だろう。
これだけビルに囲まれて自然が少なくなり野原の中にあった井戸や家の近くにあった井戸もない。
私の子どものころは井戸があったが落ちると怖いということを親からやかましく言われていた。だからめったに近寄らなかった。
そういえばポンプというものもあった。
親戚に行くとあった。水が冷たい。美味しかった。
今、ポンプも見なくなった。
戦後、子ども時代を過ごした私はこうした多くの昔の暮らしと接しながら生活に新しいものが入ってきた。
そんな時代を経ていつしか私は60歳をとうに過ぎてしまった。
「つるべ落とし」という言葉が生まれた時代はどんな時代だったのだろうか。
不便な時代だっただろう。
想像がつかない。
明日は大阪の現場にはいらなければならない。
夢うつうつの中でネットにあげる原稿の内容が出てくる。それでまた目がさめてしばらく寝られない。そんなに気にしていないのにやはりどこかで気にしているのだろうか。
否定でも肯定でもないことをどうすれば説得力につながるのか。そんなことしらずしらずに考えていているので夢にまで出てくるのだろうか。
ぐっすり寝つけていない私、体が教えている。
しかし朝から木曜日連載の原稿を作りそしてこの何日間連続してあげる原稿にとりかかった。書くことはたくさんあるが適当なところでとめておかないといけないので大分抑えて文章を作った。
しかし途中でおいた。ある程度目処がついたのでおいた
時間のあるときに書き込んで完成させていこう。
昼食をとったのは1時半、30分ほどテレビを見て休養をとった。起きると4時前、朝の耳の不具合はなくなった。やっぱり疲れていて睡眠不足なのだろうか。
夕食の支度をしてあわてて風呂に入った。
風呂からでるとまだ仕事が残っている。
取材活動費の整理である。
別に対した会計でもないのに40分ばかりかかった。
なにせ計算の苦手な私がシコシコ数字を書き込んで電卓を入れている。
やっと11月が整理できた。あとはまたこれをパソコンに打ち込んでいく。もう一仕事が残っている。
とにかく今日は早く寝よう。寝るのが1番、それがついテレビを見ていると編み物している。編み物をしているとつい長いことテレビを見てしまう。
悪循環を起こしている。
しかし日が暮れるのが早い。
5時になるとあたりは真っ暗である。
もうこのまま布団の中にはいっても練られそうに気がする。
つるべ落としと昔の人はよくいったものだ。
秋の日の日没、鉄瓶が井戸からストンと落ちていく様子をいう。あっとい間に日が沈んでしまう。急に日の入り、日照時間間が短い西日が一気に沈んでいく様子を昔の人は井戸のつるべ落としに例えた。
うまい表現だなといつも思う。
昔の人は自然がいっぱいの中でこうして情調を育んでいた。
今の子どもたちに「つるべ落とし」といってもその「つるべ」とは何か。「井戸」とは何かということになる。そして知らない親も大方だろう。
これだけビルに囲まれて自然が少なくなり野原の中にあった井戸や家の近くにあった井戸もない。
私の子どものころは井戸があったが落ちると怖いということを親からやかましく言われていた。だからめったに近寄らなかった。
そういえばポンプというものもあった。
親戚に行くとあった。水が冷たい。美味しかった。
今、ポンプも見なくなった。
戦後、子ども時代を過ごした私はこうした多くの昔の暮らしと接しながら生活に新しいものが入ってきた。
そんな時代を経ていつしか私は60歳をとうに過ぎてしまった。
「つるべ落とし」という言葉が生まれた時代はどんな時代だったのだろうか。
不便な時代だっただろう。
想像がつかない。
明日は大阪の現場にはいらなければならない。
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