1日、自宅でゆっくり過ごすことができた。夫は春日大社か奈良市内に出かけようというが私は今日、家で過ごしたくて「でていかない」といったら1人ででていってしまった。
年末に買った宝くじも当たっていなくてがっかりしていた。
私はそれに拍車をかけて「あたりまえやんか。あたるわけがない。そんな当たる人が不思議でしようがない」と言ったら黙っていた。
(それが私の遠い親戚、木津に住んでいるが20年ほど前に1等賞と前後賞を当たった。これで家を建て替えた。そして木津の人が一時、宝くじを買うというブームになった。この人はずっとかかさず何年も大量の宝くじを買い続けたものだった)
夫は当たったとしてもいつも少額、それをためておいてまた宝くじを買っているが当たらない。
私が「そんな当たるはずがないのに」というと「夢を買っている。お前にはこんなロマンがわからないのか」という。
現実主義で生きている男性なのに宝くじには夢を追いかけて買っている。
私は少女のころ夢見る夢子さんといわれるほどかなえられない夢をもっていた。
だが宝くじは買おうとは思わなかった。
働かないとお金は入ってこないとおもっている。
こんなところは現実を見ている。
話は変わるがテレビを見ても正月番組はこれを見たいものはない。
なんかものすごく低下してしまった番組内容、作る人も出演する人も何が問題なのだろうか。制作費用なのか。それでついニュース番組をみてしまうがニュースも暗いものばかりである。
ここで中断。夫が外から帰ってきた。
夕食の支度である。
昨日、夫の兄の家で焼き肉の食材をもらってきたのでそれを焼くといいので今日は簡単である。
さきほど食べ終わって片付けをした後、トック(韓国の雑煮)の入れる具を作った。昨日実家で食べてきたが夫はトックが好きなのでトックに入れる具を作った。鶏ひき肉は鍋に入れて弱火で水とだし汁を入れてとろとろ炊いた。水分がなくなるまで煮詰める。冷めると密閉容器に入れて保存する。卵は白身と黄身を分けて薄焼きにして細く切って密閉容器に入れた。
こうしておくと後が楽なのである。
トックをだし汁で炊いて丼にだし汁と入れる。その上に鶏ひき肉を少し入れて卵の白身、黄身の細切りを散らす。そして細切りにした海苔を散らして出来上がりである。明日からは2・3日、トックが1日1回食卓に上る。
トックにいれる具を作っておくと手軽にできる。
トックと一緒に日本のお節を食べる。
私が子どものころの食卓そのままである。
私の子どものころは韓国料理、トックが並んでいた。簡単だったが母が作ったお節料理が並んだ。そんな豪華な物ではなかったが重箱にごぼう、コンニャク、小芋の炊いたもの、ごまめが入っていた。
父はこれを肴にしてお酒を飲んでいた。
今から考えると「在日」の家庭では風変わりな正月の食卓だった。
20年前ごろから市販のお節が売られるようになって母はそれから市販のお節を買って食卓に乗せていた。
父の大事な正月の楽しみだった。
我が家で祭祀をするようになった私の高校のころから母は必ず父の食べる量をたくさん残して親戚のいるところに少しだした。
市販のものを買うようになってからは正月2日から父の大事な食材だったので大勢が来る親戚たちには手をつけさせなかった。
父は器に詰まったお節の食材を私や私の子どもたちに食材の意味を1つ1つ話して食べるのが楽しみだった。
そんな父も亡くなって8年になる。
そういえば昨日実家に寄ったがお節は食卓になかった。
今の若い人はもうお節に関心がないだろうか。
私は子どものころの影響が大きいのか必ず簡単なお節を用意する。
他の物は市販にしたが数の子は私が作った。
塩だしを1日半ぐらいして(この間何回か水を取り替える)水を捨てて出しつゆを入れると美味しく出来上がる。こんな便利な出しつゆはないときは昆布でだし汁を作って醤油を入れて作ったが今は便利なものができた。
朝、数の子を出して食べてみると美味しかった。
私の口は子どものころに戻ってきたのか。父親に似た嗜好は私の家の正月、トックとお節がならんでいる。
もう明日は3日である。
この辺で一休み。
年末に買った宝くじも当たっていなくてがっかりしていた。
私はそれに拍車をかけて「あたりまえやんか。あたるわけがない。そんな当たる人が不思議でしようがない」と言ったら黙っていた。
(それが私の遠い親戚、木津に住んでいるが20年ほど前に1等賞と前後賞を当たった。これで家を建て替えた。そして木津の人が一時、宝くじを買うというブームになった。この人はずっとかかさず何年も大量の宝くじを買い続けたものだった)
夫は当たったとしてもいつも少額、それをためておいてまた宝くじを買っているが当たらない。
私が「そんな当たるはずがないのに」というと「夢を買っている。お前にはこんなロマンがわからないのか」という。
現実主義で生きている男性なのに宝くじには夢を追いかけて買っている。
私は少女のころ夢見る夢子さんといわれるほどかなえられない夢をもっていた。
だが宝くじは買おうとは思わなかった。
働かないとお金は入ってこないとおもっている。
こんなところは現実を見ている。
話は変わるがテレビを見ても正月番組はこれを見たいものはない。
なんかものすごく低下してしまった番組内容、作る人も出演する人も何が問題なのだろうか。制作費用なのか。それでついニュース番組をみてしまうがニュースも暗いものばかりである。
ここで中断。夫が外から帰ってきた。
夕食の支度である。
昨日、夫の兄の家で焼き肉の食材をもらってきたのでそれを焼くといいので今日は簡単である。
さきほど食べ終わって片付けをした後、トック(韓国の雑煮)の入れる具を作った。昨日実家で食べてきたが夫はトックが好きなのでトックに入れる具を作った。鶏ひき肉は鍋に入れて弱火で水とだし汁を入れてとろとろ炊いた。水分がなくなるまで煮詰める。冷めると密閉容器に入れて保存する。卵は白身と黄身を分けて薄焼きにして細く切って密閉容器に入れた。
こうしておくと後が楽なのである。
トックをだし汁で炊いて丼にだし汁と入れる。その上に鶏ひき肉を少し入れて卵の白身、黄身の細切りを散らす。そして細切りにした海苔を散らして出来上がりである。明日からは2・3日、トックが1日1回食卓に上る。
トックにいれる具を作っておくと手軽にできる。
トックと一緒に日本のお節を食べる。
私が子どものころの食卓そのままである。
私の子どものころは韓国料理、トックが並んでいた。簡単だったが母が作ったお節料理が並んだ。そんな豪華な物ではなかったが重箱にごぼう、コンニャク、小芋の炊いたもの、ごまめが入っていた。
父はこれを肴にしてお酒を飲んでいた。
今から考えると「在日」の家庭では風変わりな正月の食卓だった。
20年前ごろから市販のお節が売られるようになって母はそれから市販のお節を買って食卓に乗せていた。
父の大事な正月の楽しみだった。
我が家で祭祀をするようになった私の高校のころから母は必ず父の食べる量をたくさん残して親戚のいるところに少しだした。
市販のものを買うようになってからは正月2日から父の大事な食材だったので大勢が来る親戚たちには手をつけさせなかった。
父は器に詰まったお節の食材を私や私の子どもたちに食材の意味を1つ1つ話して食べるのが楽しみだった。
そんな父も亡くなって8年になる。
そういえば昨日実家に寄ったがお節は食卓になかった。
今の若い人はもうお節に関心がないだろうか。
私は子どものころの影響が大きいのか必ず簡単なお節を用意する。
他の物は市販にしたが数の子は私が作った。
塩だしを1日半ぐらいして(この間何回か水を取り替える)水を捨てて出しつゆを入れると美味しく出来上がる。こんな便利な出しつゆはないときは昆布でだし汁を作って醤油を入れて作ったが今は便利なものができた。
朝、数の子を出して食べてみると美味しかった。
私の口は子どものころに戻ってきたのか。父親に似た嗜好は私の家の正月、トックとお節がならんでいる。
もう明日は3日である。
この辺で一休み。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます