鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

今日は日曜日、昨日は阪神が巨人に負けた。

2008-09-28 10:22:49 | 直言!
夫は他のチャンネルに変えた。
それで早い目にパソコンの前に座ることができた。
昼間してきた取材の原稿を一気に作成して編集局に送信した。
写真も画面を大きくしたので1枚ずつしか送信できない。そして1枚の送信に2分ほどかかった。それが光フアイバーになって1枚づつしか送信できないがスピードアップして楽になった。
それではと思って月曜日連載の原稿もあらかた作成した。あとは見直しだけである。阪神が勝っていたらずっとテレビの前にいただろうが負けたからパソコンの前に座った。しかし阪神はあかんな。巨人に負けた。
今日は巨人と中日が試合。中日に負けてほしいと祈るしかない。他力祈願になった。
今日は大阪人権博物館で講演会がある。在日韓人歴史資料館の在日100年歴史展にちなんでの講演会。50代の半ばまで記事にしなくても会場に駆けつける元気があったのに近年は現場がないと家で過ごしている。
それでもマンションの住民はたくましくいつも元気で飛び回っているわうに思っている。
昨日もバス停で一緒になりバスも一緒だった。
「今日も行かれるのですか」「はい」「元気や。たくましいな」
しかし私は「元気じゃないですよ。どこかでデレッとしています。もう体がついていきません」と言った。
見かけは元気に見えるのだろう。
しかし家では現場がない時は昔と違ってかなり家事も手抜きになり体力調整に努めている。そうしないと次の現場までもたない。
みかけは丈夫そうに見えるがもともとはそんなに強い体質でない。
神経は細い。力仕事をすると2日も3日も寝込んでしまう。
専業主婦の頃、母親の仕事を手伝ったがもうなんのその、夕方になるとくたくたである。その後、何もできなくて3日ほど寝込んだ。私には向かないと思い母親の丈夫さと頑強な精神力に驚いた。1世のたくましさだろう。
父親はそんな頑強な体力もなくて自分でそれを悟った。会社勤めをして生涯を終えた。定年退職をして母親の仕事を手伝おうとしたが少しすると寝込んでしまう。
これには母親はまた悟った。
私に言ったことがあった。
「もう家で好きなことして健康でいればそれでいい。寝込まれたらもっと大変やから」と言っていた。
私は父親の体質に似たのかもしれない。
年を重ねてくると韓国料理が食べられない。胃腸の弱い父親の体質に似てしまった。
父親は70代の半ばで亡くなった。もし父親の体質にあった食材を食べていればもっと長生きしたように思う。そうといって私が毎日父親の食材作りにはいかれない。父親は自分の健康を考えて勤め帰り京都のどこかで和食を食べていたことが今は理解できるようになった。そのかわり月給はほとんどそこに使っていた。家にはわずかしか入れていなかった。母親の稼ぎで生計を立て子どもたちを教育したといっても言い過ぎではない。
父親は生涯、会社員で通したので厚生年金を長い間かけていた。父親が亡くなった後母親が遺族年金として受給した。
母親が車椅子の生活になってたくましく働いたのは過去の話、働かなくても父親の遺族年金の受給に初めて父親に感謝をした。
母親が自分で働かないで得た収入はこれが初めてだっただろう。
母親は学校も行っていない無学の人だったがお金の使い方を知っていた。
すべて自分の介護のために使っていた。
弟には負担をかけなかった。
弟は介護減らしたらいいのにと言っていたが嫁さんにしてもらうことはしなかった。ホームヘルパーに皆使って悔いのないようにして旅立った。
そして衣服などは娘の私にも買ってきてとよく言っていたが母親が気に入る服、車椅子でも動きやすい服を買ってくるのは叔父が独身時代、我が家で暮らした叔父の連れ合い叔母が買ってくる服を1番気に入っていた。
韓国に行くとゆったりとした大きいサイズの服が多いのだろう。韓国に行くとまとめて買って来ては母親に持ってきていた。
ずっとずっと苦労して生きてきた人生だったが長男の嫁にきて辛酸という苦労をしてきた母親の姿、車椅子になってやっと母親の苦労を叔母たちが理解していたようだった。
真っ正直な母親の性格、亡くなってから叔母たちは言う。
「いい人やった」と。まあこれでいいとしょう。
母親は私が居たために日本に残った。私が生まれていなかったら兄弟の多い父親と離婚して家族と一緒に韓国に帰国していっただろう。
日本で天涯孤独になった。たくましい人生を生きぬいたことをいつか本にして記録に残さないといけないが母親の幼い頃の話はそんなに知らない。
ただ9歳の時、韓国慶尚南道山清郡という山という田舎から大阪府柏原に来た。そしてファスナー工場で働いていて挺身隊にとられそうになってあわてて兄弟の多い父親のところに嫁いできたという。
少しは小学校にいったのかひらがなは読めていた。
母親は学校のことは言わない。たぶんだれもが経験したいじめで学校に行かなくなったのだろう。今、夜間中学校に通う1世のオモニ(母)の証言にでてくるので母親もそうだったのだろうかと思う。

母親のことを書くということは母親が草葉の陰でまっているのだろうか。墓参りにいかないといけないな。10月になったら考えよう。
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