8月は5日の四天王寺ワッソの現場に入ったときから体調を壊してしまった。
おおかた熱中症だった。奈良に戻ってくると倒れそうだった。
おもわず汗びっしょりの体を熱い湯のシャワーをかけたがそれでも体の火照りはとれない。このときは湯をかけてはいけないらしいと後で知った。
そしてアイスキャンデーを1本からだの中にいれると少し火照りがとれるようだった。
そしてこの日は描いた眉毛がとれてはいけないと考えて3種類を使って描いた。それが額から汗をたらたらとかくと目の中にとれた眉墨も一緒に目の中に入る。
コンタクトレンズを入れている目は角膜を傷つけてしまった。
その日は早々と床についたが翌日は記事の作成である。8・15特集の記事の掲載で7日からスタッフは工場に入ってしまう。
どんなにしんどくてもしなければならなかった。
7日はゆっくり休養をしょうと思っていると女友達の昼ランチの誘い、大事な友達なので体は倒れそうに疲れていたが女友達とあった。
このとき無理してコンタクトレンズをはめたが右目の痛みはジクジクしていた。
持ち合わせの目薬でなんとか治そうと必死になった。
そして9日の地方紙の会合にでて自宅に着くと右目の痛さはじんじょうじゃない。
このときに眼科に行けばよかったと後悔している。
盆休暇にも入ったので眼鏡で通した。夫の兄の家にいくときも眼鏡で通した。
そして盆があけた16日、下関市に入る取材要請が入った。
あわてて外出して新幹線の切符を購入に行く。
それでも右目が痛い。このまま下関市にいけないと考えて18日、やっと眼科に行った。
右目の角膜は傷がつきビランになっていると言いコンタクトレンズはしばらく駄目だといわれた。
それから眼鏡だが汗がでると眼鏡のネジがゆるんでいるのでレンズが外れやすいという。
これをもっとしっかり注意していれば眼鏡のレンズが外れて割れることはなかったのにみんな私の不注意から起きた。
年をとってくると治りが遅くなると医師が言った。
まさか目もそうなると思っていなかった。
そういえば若いときは角膜に傷がついても2・3日、目薬をさすと治った。
今回は通院が長い。
こんなことでちょっと私の心の中は寂しい風が吹いていた。
なんと8月は「さんりんぼう」と1人でほざいていた。
そしたらつい先日、メールアドレスが変わりましたと携帯電話にメールが入った。
しっかりしているけれどどこかで相手や周りのことを思いやる今時の時代に珍しい若い20代の女性からのメールだった。
久しぶりのメールに私の心の中がぽっと温かくなった。
さてそのメールアドレスをまた自分のところに入れ替えるのは大変だったが入れ替えることができた。メールを返信するとまた返信がきた。
また私の心が温かくなった。
この2年ほどまえ彼女は在日韓国人の新聞社の記者をしていたので現場によく一緒になった。1年間勤務して退職したが今も音信を交換している。彼女は私に初めて現場であったのに奈良で食事をしているとき私に心を開いていろんなことを話してくれた。せきをきって話す彼女になんと純情な人だろう。かつて私の若いときを見るようだった。
人に話せるまでになった彼女の苦悩に触れてなおさら彼女が愛しくなった。
私の息子よりもずっと年したなのに私もつい仕事のストレスを話していた。
娘みたいとは言えない。ちゃんとお母さんがおられるのにこんなこというと失礼になるが年下のいい女友達で同胞の唯一の大切な友達である。
8月の終わりに天使のような心の彼女のメールが届いた。
8月は私にとってはつきが悪かったと心の中でつぶやいていたが彼女のメールで9月はいい月になるかもしれないな。
さんざんな8月になった。8月が過ぎて9月に入ると私は満62歳になる。
気は元気でも体のあちこちは痛んでくる。
明日は新調した眼鏡をとりにいかなければならない。
9月に入ると眼科に行ってもうそろそろコンタクトレンズの装着ができるようにならなければならない。
9月に入ると仕事がどっと入ってくる。
が、この忙しい合間を縫ってメールをくれた彼女と奈良か大阪で会って食事をしながら積もる話をしたい。涼しくなるのが待ち遠しい。
おおかた熱中症だった。奈良に戻ってくると倒れそうだった。
おもわず汗びっしょりの体を熱い湯のシャワーをかけたがそれでも体の火照りはとれない。このときは湯をかけてはいけないらしいと後で知った。
そしてアイスキャンデーを1本からだの中にいれると少し火照りがとれるようだった。
そしてこの日は描いた眉毛がとれてはいけないと考えて3種類を使って描いた。それが額から汗をたらたらとかくと目の中にとれた眉墨も一緒に目の中に入る。
コンタクトレンズを入れている目は角膜を傷つけてしまった。
その日は早々と床についたが翌日は記事の作成である。8・15特集の記事の掲載で7日からスタッフは工場に入ってしまう。
どんなにしんどくてもしなければならなかった。
7日はゆっくり休養をしょうと思っていると女友達の昼ランチの誘い、大事な友達なので体は倒れそうに疲れていたが女友達とあった。
このとき無理してコンタクトレンズをはめたが右目の痛みはジクジクしていた。
持ち合わせの目薬でなんとか治そうと必死になった。
そして9日の地方紙の会合にでて自宅に着くと右目の痛さはじんじょうじゃない。
このときに眼科に行けばよかったと後悔している。
盆休暇にも入ったので眼鏡で通した。夫の兄の家にいくときも眼鏡で通した。
そして盆があけた16日、下関市に入る取材要請が入った。
あわてて外出して新幹線の切符を購入に行く。
それでも右目が痛い。このまま下関市にいけないと考えて18日、やっと眼科に行った。
右目の角膜は傷がつきビランになっていると言いコンタクトレンズはしばらく駄目だといわれた。
それから眼鏡だが汗がでると眼鏡のネジがゆるんでいるのでレンズが外れやすいという。
これをもっとしっかり注意していれば眼鏡のレンズが外れて割れることはなかったのにみんな私の不注意から起きた。
年をとってくると治りが遅くなると医師が言った。
まさか目もそうなると思っていなかった。
そういえば若いときは角膜に傷がついても2・3日、目薬をさすと治った。
今回は通院が長い。
こんなことでちょっと私の心の中は寂しい風が吹いていた。
なんと8月は「さんりんぼう」と1人でほざいていた。
そしたらつい先日、メールアドレスが変わりましたと携帯電話にメールが入った。
しっかりしているけれどどこかで相手や周りのことを思いやる今時の時代に珍しい若い20代の女性からのメールだった。
久しぶりのメールに私の心の中がぽっと温かくなった。
さてそのメールアドレスをまた自分のところに入れ替えるのは大変だったが入れ替えることができた。メールを返信するとまた返信がきた。
また私の心が温かくなった。
この2年ほどまえ彼女は在日韓国人の新聞社の記者をしていたので現場によく一緒になった。1年間勤務して退職したが今も音信を交換している。彼女は私に初めて現場であったのに奈良で食事をしているとき私に心を開いていろんなことを話してくれた。せきをきって話す彼女になんと純情な人だろう。かつて私の若いときを見るようだった。
人に話せるまでになった彼女の苦悩に触れてなおさら彼女が愛しくなった。
私の息子よりもずっと年したなのに私もつい仕事のストレスを話していた。
娘みたいとは言えない。ちゃんとお母さんがおられるのにこんなこというと失礼になるが年下のいい女友達で同胞の唯一の大切な友達である。
8月の終わりに天使のような心の彼女のメールが届いた。
8月は私にとってはつきが悪かったと心の中でつぶやいていたが彼女のメールで9月はいい月になるかもしれないな。
さんざんな8月になった。8月が過ぎて9月に入ると私は満62歳になる。
気は元気でも体のあちこちは痛んでくる。
明日は新調した眼鏡をとりにいかなければならない。
9月に入ると眼科に行ってもうそろそろコンタクトレンズの装着ができるようにならなければならない。
9月に入ると仕事がどっと入ってくる。
が、この忙しい合間を縫ってメールをくれた彼女と奈良か大阪で会って食事をしながら積もる話をしたい。涼しくなるのが待ち遠しい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます