鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

朝、8時前です。

2008-12-04 08:38:56 | 直言!
それがまだ気乗りがしなくてまずブログを書くことにした。
1つ木曜日連載の「食卓の向こう」がとりあえず休憩することになった。
これから夕食を作ってこれはと思うものに写真をとらなくていいようになった。
まだ「鯵のムニエル」も「鰯の汁」も紹介していなかったが別にいい。また何かがあるときに紹介しょう。
料理好きでない私が書いていることに多少の複雑な思いがあって楽しんで書いていなかった。
ただ体の健康は手作りの食材が健康の秘訣と思って夕食はたいてい手をかけてつくっているものの凝った食材をする時間もなくて肉・魚などの動物性の蛋白質と地で取れた野菜、葉野菜、根野菜を使い分けて洗ったり切ったりしながら調理をしている。私は中学に入ると家族の夕食を作ってきたのでもう台所のおさんどんは近年苦痛ななってきた。
そうかと言って出来あいを買ってきて食卓を埋めるような生活はしたくないので何かと台所に立って作っている。
以前は仕事から帰ってきてもバタバタしながら手早く作っていたが60歳を過ぎてからは忙しく作るのが苦痛なときがある。
そんなときは刺身を買って来て後の野菜は作りおきで間に合わしたりしている。
とにかく「食卓の向こう」は一旦、休憩することになった。
ほっとしている。
身辺の雑感だったら何かと書くもがある。
最初は言葉の語呂合わせをして雑季のタイトルにしたが関係者のアドバイスで「雑記帳」になった。
雑記帳は地方紙の投稿欄の名称である。
そういえば私の投稿生活は地方紙のここから始まった。
不思議なものだ。発表の場所は違うがまたここに戻ってきた。なにか不思議なものを感じる。
そしてここが縁でペグループ「雑記帳の集い」の発起人5人の中に入って発展させてきた。ここからの縁でまた地方紙の関連企業だった雑誌社の雑誌記者・編集者になった。
今頃になると思いだす。
晩秋の時、奈良市内の地場産業を回った。奈良県の交通会社が関係した何ページかのグラビア記事だった。上司と一緒に冬の奈良を回った。冬の奈良の観光誘致の宣伝用だった。
高山の茶せん作り、墨作りに筆作りと回って写真を撮りグラビアにした。
まだ雑誌記者になって1年ぐらいのときだった。
上司はよくこの仕事を任せてくれたと今は感謝をしている。
楽しいはずの雑誌記者時代にかげりが見え始めたのが4年過ぎてからだった。
「日本人のふりをして日本の記事を書きたくない」
このことが韓国語を習うきっかけになり今日に至った。
韓国語を一緒に習っていた公務員がつい最近、定年退職をされて今は奈良県で韓国語のガイドボランテイアをしておられる。
もう韓国語を習っての21年の彼はすこぶる韓国語が上手い。日頃の積み重ねだと彼を見て実感するのですが韓国語教室に行かない私もそこにいます。
先日、民団奈良県本部のイベントで久しぶりにお会いしたが継続は力なりとまた痛感していた。
韓国語を自分の意思で習い始めた42歳の私が走馬灯に浮かんできます。
昨日も韓国から来られていた人が言いました。
「韓国語を通して韓国の文化が見えて歴史が見えてくる。ハングルと密着することで日本との関係も見えてくる。文字は文化をつなぐ」と私に話してくれました。
また心の中で父親の言葉を思い出していた。
「日本に住んでいて韓国語を使わなくても覚えておいたほうがいい」と言ってハングルを教えようとした父を私は切って「日本語だけでいい」と言っていました。そして韓国語を習いに行って祖父母が話していた事柄が文字と文字との間が見えてきた。民族の素養作りの一端はこのことだったとようやく気がついた。そして昨日、韓国から来られていた学者さんの言葉がまた胸に染みた。
「言葉を覚えることでその国が理解できて仲良くなる近道だ」ということも話しておられた。そういうことなんだと改めて認識していた。
さあ、ボッとしないで仕事の原稿を作ろう。

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