また今、日本、韓国、北朝鮮の拉致問題で分断の悲劇が浮上している。在日同胞はいやでも分断国家をまた認識しなければならない。在日同胞はこの2つの国があることでどれだけ翻弄されてきたのか。日本に住んでいると在日同胞は日本に渡日した歴史は同じで日本社会の法的差別も同じである。日本社会の理不尽の中で暮らし民族分断にもふりまわされてきた。何が正しくて何がよいのかわからなかった1950年の後半、多くの同胞が北に帰って行った。後に伝わってくる過酷な運命に日本国政府の取った大きな過ちに身震いするほど大きなため息がでる。
この大きなため息をきちんと認識しなければならない。日本に住んでいると在日同胞の歩んだ道は同じだと考えて分断の歴史を見失いそうになると考えて1995年、板門店を訪ねた。川を隔てた向こうはかって朝鮮半島1つの国だった国、北朝鮮の山々が見える。
板門店の軍事境界線をまたげば北朝鮮に入れる。しかし軍人の警備は厳しく入るとおそらく命はない。そんな厳しい環境をまのあたりにして体験した。
この感覚を忘れてはいけないと頭に刻み込んだ。
そして在日同胞の歴史も韓国と同じで日本植民地支配を乗り越えて解放されたが今度は動乱、そして祖国は分断した。日本国政府は口減らしのために厄介な朝鮮人を北に送った。
北朝鮮の実情を知っていて送った当時の日本国政府に責任がある。
北に帰国した在日同胞も全部日本に帰してもらいたい。そして法的地位の解決もされたい。
そんなことなどに思いをどうすればわかるのか。きちんと分断が整理できるのか。板門店訪問した。この訪問紀行はいずれまとめて紹介しなければと思っている。在日同胞の名もない肩書きもない私の板門店の訪問には多くの方のご協力で実現した。ご協力いただいた多くの人のためにもいずれ訪問紀行かかなければならない。
今また浮上してきた拉致の数々、在日同胞は何もできない。黙って見ているしかない。
祖国の分断国家に声もだせない。心の中で思うことがたくさんあっても何もいえない。
政治に翻弄されてきた在日同胞なのに政治には何もいえないで黙るしかないのである。
胸がはりさけんばかりの事実にそれでも黙っているしかない。
これも日本植民地支配が作った負の遺産である。負の遺産をかかえたまま口をつぐみ黙っている在日同胞も分断の悲劇の犠牲者である。
この大きなため息をきちんと認識しなければならない。日本に住んでいると在日同胞の歩んだ道は同じだと考えて分断の歴史を見失いそうになると考えて1995年、板門店を訪ねた。川を隔てた向こうはかって朝鮮半島1つの国だった国、北朝鮮の山々が見える。
板門店の軍事境界線をまたげば北朝鮮に入れる。しかし軍人の警備は厳しく入るとおそらく命はない。そんな厳しい環境をまのあたりにして体験した。
この感覚を忘れてはいけないと頭に刻み込んだ。
そして在日同胞の歴史も韓国と同じで日本植民地支配を乗り越えて解放されたが今度は動乱、そして祖国は分断した。日本国政府は口減らしのために厄介な朝鮮人を北に送った。
北朝鮮の実情を知っていて送った当時の日本国政府に責任がある。
北に帰国した在日同胞も全部日本に帰してもらいたい。そして法的地位の解決もされたい。
そんなことなどに思いをどうすればわかるのか。きちんと分断が整理できるのか。板門店訪問した。この訪問紀行はいずれまとめて紹介しなければと思っている。在日同胞の名もない肩書きもない私の板門店の訪問には多くの方のご協力で実現した。ご協力いただいた多くの人のためにもいずれ訪問紀行かかなければならない。
今また浮上してきた拉致の数々、在日同胞は何もできない。黙って見ているしかない。
祖国の分断国家に声もだせない。心の中で思うことがたくさんあっても何もいえない。
政治に翻弄されてきた在日同胞なのに政治には何もいえないで黙るしかないのである。
胸がはりさけんばかりの事実にそれでも黙っているしかない。
これも日本植民地支配が作った負の遺産である。負の遺産をかかえたまま口をつぐみ黙っている在日同胞も分断の悲劇の犠牲者である。
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