鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

9月3日、朝晩は涼しくなった。クーラーは入れなくても過ごせるようになった。

2006-09-03 15:58:33 | 直言!
朝6時半過ぎ、もう太陽が東の上の方にでている。
なんでそんなに早く太陽がもう真上に昇りかけているの。
「暑いじゃないの」と、1人で心の中で言っている。
それでもがまんできると思ってクーラ―をいれなかった。それが7時ごろになると台所にいる私は汗ばんでくる。
これでは朝食を食べると汗をかくと考えてやっぱりクーラーを入れてしまった。
夏バテが秋の入口、9月の終わりからやってきそうだ。
これだけ冷房漬けになっているツケが必ずどこかできそうな気がする。

2・3日前の雲は鰯雲に似た細かい雲が並んでいたのに今日はまたもくもくと雲が大きい。8月のアイスクリームのような入道雲ではないが雲の大きさにまた夏の日差しを感じている。
でもマンションから見えるたかまど山にかかる雲は青空の間に何層も雲ができているので秋に近い空かもしれない。

そして朝日と夕日の話
夫は朝日が好きなようで朝日を見ると感動しているが私は夕日が好きである。
これから日が短くなるという10月の終わりから11月の晴れた日の夕日は自然の荘厳さを実感する。

高校時代、下校する西の空にかかる夕日、周りは田んぼばかりだった。その中で9月の終わり、真っ白いカッターシャツの男子生徒の後姿がたくましかった。
そして20歳を過ぎて日本人との付き合いに親に反対されて国籍と日本と葛藤する中に私をあきらめさせたのは夕日だった。
木津川の橋の欄干から沈む夕日の荘厳さ、丸い円い大きな太陽がゆらゆらと沈んでいく。人間の目でみれば5センチづつ沈んでいるように見えた。
じっと見ていると太陽は半分になっている。
やがて太陽の先だけ少し残っているとあたりは暗闇に近づいてくる。
太陽が全部沈んでしまったときに気がついた。

今日という同じ日は2度とないのだ。明日になればまた変わっている。
太陽の向こうに未来がある。
未来をいっぱいつめてまた明日太陽は昇ってくる。
その未来に向って希望を失わないで生きていこう。

死ぬほど悩んだ自分の国籍、国籍は変えることはできない。
親をとるか。自分を生きるか。
親を取ると言うことは家をとるということだった。
多くの親戚の顔が浮かんでくる。
父も母もそして幼い弟の顔も浮かんだ。

自分のことはまた考えればよい。とりあえず家のためにあきらめなければならない。きっとあの夕日がまた私に何かを教えてくれそうな気がした。

それからやがて夫と見合い結婚をして親は胸をなでおろした。
これでよかったのか今は思っている。韓国人として生まれた私の生き方だったと思っている。
私のような2世は周りにはほとんど日本人ばかりで付き合う男性は日本人だった。ほとんどが反対にあい親の言うとおりに見合い結婚をした。
今、親の反対が理解できる。
1世は生活習慣の違う日本人を受け入れることができなかった。
ただ肌に合わなくて受け入れることができなかった。
2世は3世の日本人との結婚に少々考えることがあってもほとんど日本式に生活しているので受け入れることができた。
息子の結婚で親の気持ちがよくわかった。

そんなことで夕日の話になると私の暗い青春を思い出してしまう
夕日の太陽は可能性を教えてくれた。
好きなことに何か可能性があるかもしれない。
そんな思いはひたすら書く事に集中してきた。
最初は大学ノートの雑文から始まり投稿原稿は原稿用紙の文字数がはみ出るほど言葉のセンスを知らなかった。
やがて雑誌記者になり長い文章の書き方や短文の勉強の修行だった。
ここでまた国籍と正面に向き合う自分、悶々と苦悩する自分がいた。
いつのまにか在日同胞の中で仕事をしている。
まさか本名でインターネットを通して原稿寄稿するとはあの20歳のときには考えも及ばなかった。

太陽ははかり知れない言葉が秘めている。
私には「希望」と「可能性」を教えてくれたようだった。
こんな年になってもマンションの西側から見える赤や紫に染まる夕日に見とれて感嘆している。感動を与えてくれる。

そんなことでまた雲を見ていて暗い青春を思い出してしまった。
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