今日は夫が家にいる。
7時半に起きた。
洗濯を干したりして家事を終えると8時過ぎている。
それから朝食の支度をしている。私は急いで朝食を済ませた。9時前に慌ててパソコンを開くとゲラの確認作業が入っている。
午後からレイアウト作業に入るので午前中の返信で関係者に要請した。
関係者は忙しいのに急いで確認作業をして下さった。
この作業は済んだがこの間の取材で企画記事ができる枝葉の情報を得たので編集局と企画記事にするのかメールでやりとりをして、関係者にまた要請作業している。
その合間を見てライフワークの「奈良おんな物語」の原稿を作成している。
知らない事柄が多いのでインターネットで検索して文書の中に盛り込んでいく。
半分程度仕上げたところだがもう時計は11時30分になっている。
まだ今日のブログも書いていない。
急いで書いています。
昨日3月11日、日曜日は東北大震災1周年を迎えた。
未だに避難生活をしている被災者たち、死者・行方不明者は約2万人になる。
日本戦後の最大の天災そして福島原発は人災も入る。
一瞬にして人も家も田畑も根こそぎ奪っていった。
海の恐さをテレビだが真のあたりにした。
多くの犬・猫も犠牲になり牛も犠牲になった。
テレビ画面に目を開けて見ていられないむごたらしい事実、人の力量ではどうにもできなかった地震の恐さがあった。
つい遅くまで東日本大震災のテレビ放送を昨日も夜の11時半までみてしまった。後30分ほどだらだらとテレビを見ていた。
寝たのは12時すぎです。
宮城県名取市閖上を昨日の新聞記事で「閖上」の文字でやっと思い出した。
かつて昔、中学から高校時代に文通していた女子生徒がいた。
写真が送ってきたがすごい美人だった。
家は魚師をしているとあったがもうすっかり住所も忘れてしまった。
未だに名前は思い出せない。
結婚してから数年は年賀状のやりとりをしていたがどちらともなく音信が途絶えてそのままになっている。宮城県の言葉にときたま思い出すがほとんど思い出さなくなった。近年、宮城県仙台といえば奈良新聞にいた女性職員、結婚を機会にして仙台に移り住んだ彼女のこと。そして大手企業のアイリス大山、ある人が「私の息子はアイリス大山の社長です」と話されて私は驚いたのでこのことも最近、仙台の言葉に思い出すようになった。
宮城県名取市閖上は海岸沿いにある。
おそらく家族は被災地で被災者だろう。
文通していた女性は生きているのかそれもわからないが-----。
昨日で見た新聞記事の中の閖上の文字に閖上にいた人のことを思い出した。
さてこれからリンゴを2分の1食べてまた昼から少し歩いてきます。
そして新聞を読んできます。
これを書いた後に高校時代のアルバムを出した。
1番最後のページに仙台から送ってもらった文通の人の写真と住所と彼女の文字で書いた封筒の裏の住所が貼ってあった。
アルバムを見て思い出した。
高校入学、就職してからと成人式の写真が貼ってある。
なにかしら生きているのだろうかとふと気になるが私の今の年齢と体力ではそこまで行く気力も体力もない。
私の青春の1コマにすぎないのかもしれない。
7時半に起きた。
洗濯を干したりして家事を終えると8時過ぎている。
それから朝食の支度をしている。私は急いで朝食を済ませた。9時前に慌ててパソコンを開くとゲラの確認作業が入っている。
午後からレイアウト作業に入るので午前中の返信で関係者に要請した。
関係者は忙しいのに急いで確認作業をして下さった。
この作業は済んだがこの間の取材で企画記事ができる枝葉の情報を得たので編集局と企画記事にするのかメールでやりとりをして、関係者にまた要請作業している。
その合間を見てライフワークの「奈良おんな物語」の原稿を作成している。
知らない事柄が多いのでインターネットで検索して文書の中に盛り込んでいく。
半分程度仕上げたところだがもう時計は11時30分になっている。
まだ今日のブログも書いていない。
急いで書いています。
昨日3月11日、日曜日は東北大震災1周年を迎えた。
未だに避難生活をしている被災者たち、死者・行方不明者は約2万人になる。
日本戦後の最大の天災そして福島原発は人災も入る。
一瞬にして人も家も田畑も根こそぎ奪っていった。
海の恐さをテレビだが真のあたりにした。
多くの犬・猫も犠牲になり牛も犠牲になった。
テレビ画面に目を開けて見ていられないむごたらしい事実、人の力量ではどうにもできなかった地震の恐さがあった。
つい遅くまで東日本大震災のテレビ放送を昨日も夜の11時半までみてしまった。後30分ほどだらだらとテレビを見ていた。
寝たのは12時すぎです。
宮城県名取市閖上を昨日の新聞記事で「閖上」の文字でやっと思い出した。
かつて昔、中学から高校時代に文通していた女子生徒がいた。
写真が送ってきたがすごい美人だった。
家は魚師をしているとあったがもうすっかり住所も忘れてしまった。
未だに名前は思い出せない。
結婚してから数年は年賀状のやりとりをしていたがどちらともなく音信が途絶えてそのままになっている。宮城県の言葉にときたま思い出すがほとんど思い出さなくなった。近年、宮城県仙台といえば奈良新聞にいた女性職員、結婚を機会にして仙台に移り住んだ彼女のこと。そして大手企業のアイリス大山、ある人が「私の息子はアイリス大山の社長です」と話されて私は驚いたのでこのことも最近、仙台の言葉に思い出すようになった。
宮城県名取市閖上は海岸沿いにある。
おそらく家族は被災地で被災者だろう。
文通していた女性は生きているのかそれもわからないが-----。
昨日で見た新聞記事の中の閖上の文字に閖上にいた人のことを思い出した。
さてこれからリンゴを2分の1食べてまた昼から少し歩いてきます。
そして新聞を読んできます。
これを書いた後に高校時代のアルバムを出した。
1番最後のページに仙台から送ってもらった文通の人の写真と住所と彼女の文字で書いた封筒の裏の住所が貼ってあった。
アルバムを見て思い出した。
高校入学、就職してからと成人式の写真が貼ってある。
なにかしら生きているのだろうかとふと気になるが私の今の年齢と体力ではそこまで行く気力も体力もない。
私の青春の1コマにすぎないのかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます