夜中、少しの間、やんでいたように思う。
けれど朝、8時過ぎに起きるとベランダの向こうは真っ白に雪景色です。
しんしんと降る雪景色は何年ぶりに見るのだろうか。
幸い私は今日、現場がない。原稿を作る仕事もなくゆっくりとした気持ちで雪の降るのを見ている。こんな気持ちになったのも久しぶりである。
いつも時間に追われている。家事に仕事に追いかけられている日々でゆっくりとした気持ちになれない。久しぶりに何も仕事がないときに雪がふった。
家事は今日、ほったらかし。食べることだけをしよう。
夫は1年間の医療費を整理している。
また確定申告の時期がきたので夫はせっせっと整理している。
毎月の終わりにすればいいのに切羽詰らないとできない。
その私は日々の仕事と家事でついそんなことも忘れている。
昨日は奈良新聞の合同例会がホテル日航奈良で開かれた。
講演の講師は青山繁晴さん。
よかった。熱い。足で歩いた取材、多くの人に聞き取りをした取材、言葉の真実が伝わってくる。また聞きたい。本当にまた聞きたい講演内容そして講師だった。
12時から2時。講演は1時間半近くになった。1時間では話し足りなかっただろう。それでもよかった。また聞きたい余韻を残してくれた。
朝も行きつけの喫茶店に行ったのにまた終わってからも行きつけの喫茶店に言った。私の何がしのものが振り込まれていたので購入したい本があった。
いつも行く近鉄奈良駅近くが本の置いている場所も分かりやすいのでまた行きつけの喫茶店に行った。
青山繁晴さんの著書、講演の後、購入してサインもしてもらったのでその本を少し見ていた。
私の隣に夫婦らしき人が座った。
そして喫茶店のオーナーがこの人のところにこられた。
夫婦2人は「お墓まいりに来たから」と話しておられる。
また親戚の人なのかと思って左の耳で聞きながら本をざっと見ていた。
そして青山さんの本をしまって文庫本を読もうとしてふと横を見た。
私の隣の女性にふと見たことがあり、オーラーがある。
もう1度みるとなんと女優の高橋恵子さんだった。
私は思わず「あら、高橋恵子さん」と言ったら高橋恵子さんはきさくに「こんにちは」と私に挨拶をしてくれた。
若いときの関根恵子さんでなくて成長した高橋恵子さんがそこにいた。
私は「10年前に東向き通り商店街で見たことがあります」と話したら高橋恵子さんは「よく奈良にきています」と話し「明日は沖ノ島で撮影があります」といわれた。確か沖ノ島に聞こえたが----。間違っていたら高橋恵子さん、すみません。
そしてご主人の映画監督・高橋伴明さんに携帯電話が入って外に行かれたので高橋さんと雑談をしていた。
お花のことに新幹線の品川駅で便利になったこと。私が2・3年に1度行く建物もよく知っておられた。名刺を出したのですぐに確認されていた。すごい。やはりこのへん、気配りができる人です。
なんか緊張している私は関西弁丸出しになっている。
思わず私は「いくつにならはったんですか」とも聞いた。
すかさず「56歳になりました」といわれた。
やはり女優、そんな年に見えない。
「そんな年に見えない」と言って私の年を「66歳」と言ったがご主人の高橋伴明さんに私を紹介する時は「67歳です」と言っていた。そうか。誕生日関係なしにそう数えるのか。そして1月生まれの高橋恵子さんは56歳になられたばかりだ。しかし見えない。まだ40代の後半ぐらいと思っていたらもうそんなに年月が経っていた。
高橋伴明さんと結婚して若い時代の関根恵子さんでなくて愛情のある暮らしをされてとても成長されている。そして日常の暮らしをありのままに暮らしている「いい女性」がそこに座っておられた。
高橋伴明さんの家族の温かさが伝わってくる。
高橋恵子さんは「奈良によく来ています。落ち着きます」と話していました。
喫茶店の店員さんもよく奈良の町を歩いている高橋恵子さんを見ていると言っておられた。
30分ほど座って出て行かれた。
いい夫婦、理解しあって暮らしている夫婦の姿があった。
双方とも大きい理解と温かい愛情に包み込んでこられたことが伝わってくる。
これからもいい映画を作っていい女優に期待を心で込めてお別れした。
高橋伴明さんは現在、京都造形大学映画学科で教授をしておられる。
学生たちがうらやましいと一瞬、思った。
カメラを持っていたので思わず「写真」と言ったら「今日はこんな姿ですのでごめんなさい」と言われた。髪の毛は1つに後ろに束ねて化粧は素顔に近かったので言った私が失礼だとすぐに分かったので「いいです。すみません」といった。それでも女優のオーラーが出ていた。
また会いたい人になった。
気さくな人柄そして56年間、駆け抜けてこられた人生を聞きたいものである。
この後、文庫本を読んでいても頭から高橋恵子さんと交わした言葉の数々を思い出して本が読めない。
喫茶店に来ておられたお客さんは「お友達ですか」と言われたが「違います。たまたま隣に座られたので話していました」と話した。きさくに話していたので友人と間違えられたという。光栄です。そんな関係だったらうれしいのになんて心の中で思っていた。
そうそう高橋恵子さんとギャラリーの花の生け方も話した。
以前、活けておられた年輩の女性の花の生け方がよかったと話しその後のお弟子さんの活け方は左右対称に活けておられた。私は花活けはオーナーの奥さんの方がいいとも話した。年輩の先生が亡くなられて少しの間、奥さんが活けておられた。それがまたよかった。
私は「花とは心を活けるもの。定規で計ったような左右対称はよくない」と言ったらすぐそこで奥さんは判断されて自分で活けられるようになったとも話した。
自宅に帰って高橋伴明さんの資料、インターネットで検索すると家が華道家となっている。さては何年か前に亡くなられた年輩のお花の先生は高橋伴明さんのお母さんだったのではと思っている。もしお母さんとしたら-----。銀杏やのギャラリーの花を生けておられたがオブジェの活け方に顧客は魅了した。
花を見るためにコーヒーを飲んで楽しんでおられる人もいた。
そして80歳を越えておられてもその感性は素晴らしかった。花を見かけなくなって亡くなられたことを知った。
さてはこの人が高橋伴明さんのお母さんだったのでは-----。
オーナーと高橋伴明さんとは小学校の同級生という。
人間関係はいろんな縁でつながれていることをまた知った。
スーパーで買い物する前に本屋によって文庫本4冊と雑誌を買った。
スーパーで食材を買ってバス乗り場に行くと中循環が5・6つ向こうを走行、待っているのも寒いので(また昨日から寒くなった)市内循環バスにのろうと思ったが混んでいる。年寄りが多く並んでいる。
座れないと考えた。レジ袋を持って立つのはしんどいので中循環バスを来るのを待った。
家に着くと風呂に湯を先に入れる。
そしてパソコンを開いて受信メールの対応した。
そして風呂で顔を洗って足を洗った。風呂につかる時間がない。
急いで夕食の支度にとりかかった。
案の定、舌平目のムニエルの準備をしていたら夫が帰ると電話が入る。
急いでムニエルを焼いた。
タラと大根の汁、ムニエルをする前に作ってある。
すぐに温めた。
夕食の準備を終えるとぐっと疲れが出てきた。
夕食を終えて夫がまだ夕食をしているのに少し片付けて7時に布団の中に入って読みかけの文庫本を読んだ。そして読み終えた。
買ってきた雑誌を見ているとウトウトと眠い。1時間ほど寝たようだ。
また9時に起きてテレビを見た。少し疲れがとれていた。
ここでパソコンを閉じています。
10時半に整理を終えた夫が終わったというので朝食と昼食兼用の食事の支度をした。
食べ終わって片付けて11時15分、玄関の扉を開けると普段見える生駒山が見えなく雪が積もりしんしんと雪は降っている。
夫は何年ぶりかに降る雪に
雪やコンコン あられやコンコン
降っても降ってもまだ降り止まぬ
猫はコタツで丸くなる
と、歌っている。雪を見ると
雪の白樺並木---の歌がでるのでなくて
子どもの頃、学校で習った歌が口にでてくる
幼い頃に覚えた歌は体のどこかで覚えている。
今、雪に関するニュース、テレビで放映している。
今、時計は11時3分です。
写真は今朝、8時過ぎに撮った雪の写真です。
もう1枚は11時15分に撮影したのは普段は生駒山が見えるのに雪で見えない。そんなときいつもの広告塔で鳩3羽がとまっていたので撮影した。写真にするとゴマ粒になった。
カラスの数羽が3日ほど前から朝からマンションの前を飛んで電線やマンション、鳩がとまるところにとまっている。これは何を意味するのだろうか。
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