病院・町での雑感
今日4月4日、近くのO病院整形外科午前10時半の予約をとっていた。本来は3月28日午前10時だったが仕事が入って1週間後の今日の予約に変更した。自宅から歩いて数分、10時5分ぐらいに自宅をでた。診療受付の時間は16分、暖かい陽気に行く道の雑草の花たんぽぽが咲いている。通る道端の家の花壇も花ざかりである。それを見ながら歩いたのでいつもより少し時間がかかった。
待合室でじっと座って待っていた。前の男性は病院備え付けの週刊朝日を熱心に読んでいた。ホームヘルパーと一緒にきている人、家族ときている人、整形外科は高齢者でほとんど女性、男性もいるがほとんど女性、おおかた膝に支障をきたして通院している。
私も思いカバンを24年持ち歩いてあちらこちらとまわって左肩にかばんをかけるので左足に重みがかかって膝の軟骨が磨り減った。1昨年の8月に歩けなくなって最初は2週間に1度、注射を打ってもらうためにか通った。半年こんな通院だったがようよう痛みがとれてきてから1ヶ月に1度午前10時の予約できたが先週がだめになって今日の10時の予約はいっぱい。5月もいっぱいで11時になった。
しばらく黙って待っていた。週刊誌を読んでいた男性が診察室に呼ばれたので男性が座っていた広いところに移動した。
11時15分だった。まだもう少し待つ覚悟をしていた。
さっきからずっと黙って待っていた高齢者の女性、隣に私が座ると話し掛けてこられた。
いくら沈黙は金なりといえども人間、もう1時間も黙っているのも限界なのだろうか。
女性は私に「何時ですか」と聞かれたので私はてっきり時計の時間と思って腕時計より私の頭の上にあった時計を見て「11時15分」ですと言った。
そしたらその人は「診察の予約時間です」と聞かれて聞くほうも「何時ですか」と言葉足らずで私も時間と思い込むほうも考えたらずだったのか。双方とんちんかんになった。私は「10時半予約です」と言った。そしたら女性は「私は10時予約ですが」と言って先日のテレビの事件など10分ほど隣に座った高齢者の他の女性も交えて話していると私の名前が呼ばれた。
この膝の注射は痛い。
痛いからこの痛みを忘れさせようと医師はいろいろ話すが注射針が膝に刺さると思わず私が黙った。が、今日は右も左も痛くなかった。
「今日は痛くなくてよかった」といったら看護師も医師も「よかった」と言ってお大事にと言って隣の診察に行かれて患者さんの治療をしておられた。
そのまえに私が診察室に入るとさっき「何時ですか」と聞かれた女性が診察室を覗いて「私10時の予約なのに10時半の人が先にはいりましたが」と言う。
そうか、それで看護師に私は「この方、私より先に来てずっと待っておられましたよ」と言ってあげた。
看護師は「調べますから外で待って下さい」言って調べるとこの人の診察時間は11時だった。11時を10時と勘違いして9時から来て待っていたという。
私も仕事の勘違い、1年に1・2度あるので診察券の時間を確認してからくるようにしている。今回は予約変更したのでカレンダーに大きい字で10時半と書いておいた。
そして診察が終って会計計算書を待っていると小奇麗の高齢者の女性は私の横に座って話す。
「今日は先生、ものすごく忙しそう。他のことを聞こうと思ったらすぐ隣の診察室に行かれた」と話す。「私もそうだった」といっているが同じことを何回も話しておられて私の会計計算書ができているのに職員はじっと待って下さっていたので「もうできているみたいですからお先に失礼します」と立ちあがった。
前の薬局に行くと自分の薬がでるまで待時間50分、今日は何も所用がないので待つ覚悟をした。
隣の高齢者の女性が話している。お互いに耳を遠いのか何ども聞きなおしている。
そして高齢になると言葉がはっきりできないのか、フニヤフニヤと聞こえるのか2人が交代に何回も聞きなおしている。この光景に隣に座っていた年輩の男性、私に「いずれはわしらもくるんですわ」と言った。
そして自分の親しい友人が近頃「同じ言葉を繰り返すようになった。あれも年のせいかなと思って昨日聞いた話、またそうか、そうかときいているんですわ」と話した。
病院も薬局も若い人も何人かいるが圧倒的に高齢者70代が多い。80代もいる。60代も半ばから多い。
女性は生理が終るとホルモンが違ってくる。生理を通して骨を作るものを作り出していたがこれが終るとこのホルモンがとまってしまってカルシュームをたくさんとらないといけないと言われている。と言って毎日、毎日、雑魚や小魚を食べているわけにはいかない。
それようの薬もでているがガンになりやすいと聞いてできるだけ骨にいいものを少しでも食材で通るように気をつけているが若いころのように新陳代謝がよくなない。
体は老化の一途をたどっている。
このこと我が息子はわかっているだろうか。と、ふと年をとってきた近年思うようになった。
いつまでも元気にかけずりまわっている親の姿しか見えないだろう。
この後、奈良市内に出て行った。
いつもの喫茶で新聞を読んだ。買い物をして市内循環のバスに乗ろうと椅子に座って待っているとバス停の前も高齢者がたくさん歩いている。
病院からの帰りだろうか。それともサークル活動の帰りだろうか。
だが春はそこまで来ている。歩く人たちの上着が1枚少なくなって春らしい装いになってきている。
そんなとき1人の高齢者の女性が1人私の横に座った。買い物をしてきたようだ。コロコロ転がす買い物入れを持っている。
私の顔を見るなり「『風邪の花』がでている。痛いことないの。そこでよかったわ。熱の変わりに『風邪の花』がでたんや。それでよかったわ。私も風邪をひいたけど薬も買うのはやめたは。いろいろゴチャゴチヤ入ってわけわからへん」と言った。
私は「そうですか。風邪とわかりました」と話すと「そうがな。それ『風邪の花』で熱の変わりにでたんや。疲れがたまっていたのやろ」と言う。
やっぱり年よりは日本の言葉のおしゃれを知っていた。
「風邪の花」、いい言葉です。本当に日本語の感性がまだ生きていいた。
「花冷え」に「花曇」、日本で生まれて日本で育った私、日本語が言語、日本語に隠れたおしゃれの言葉がいっぱい、忘れていた言葉が耳に響いてくる。
そういえば五月雨も6月の雨という。昔は陰暦で生活が動いていたので5月の雨でなくて梅雨だという。
松尾芭蕉の俳句「五月雨をあつめて最上川」おしゃれな感性に大人になっていい句と思うようになった。
日本の社会は高齢化に入っている。一般庶民が病院に行き町に買い物に行き皆それぞれに一生懸命に生きようと努力している。
こんなこと日本の政治家は忘れないでしっかり日本の舵取りをしてほしい。
まだまだ日本におしゃれな美しい風情のある言葉が残っている。
こんなことばが使える生活空間にとりもどさなければならない。
今日4月4日、近くのO病院整形外科午前10時半の予約をとっていた。本来は3月28日午前10時だったが仕事が入って1週間後の今日の予約に変更した。自宅から歩いて数分、10時5分ぐらいに自宅をでた。診療受付の時間は16分、暖かい陽気に行く道の雑草の花たんぽぽが咲いている。通る道端の家の花壇も花ざかりである。それを見ながら歩いたのでいつもより少し時間がかかった。
待合室でじっと座って待っていた。前の男性は病院備え付けの週刊朝日を熱心に読んでいた。ホームヘルパーと一緒にきている人、家族ときている人、整形外科は高齢者でほとんど女性、男性もいるがほとんど女性、おおかた膝に支障をきたして通院している。
私も思いカバンを24年持ち歩いてあちらこちらとまわって左肩にかばんをかけるので左足に重みがかかって膝の軟骨が磨り減った。1昨年の8月に歩けなくなって最初は2週間に1度、注射を打ってもらうためにか通った。半年こんな通院だったがようよう痛みがとれてきてから1ヶ月に1度午前10時の予約できたが先週がだめになって今日の10時の予約はいっぱい。5月もいっぱいで11時になった。
しばらく黙って待っていた。週刊誌を読んでいた男性が診察室に呼ばれたので男性が座っていた広いところに移動した。
11時15分だった。まだもう少し待つ覚悟をしていた。
さっきからずっと黙って待っていた高齢者の女性、隣に私が座ると話し掛けてこられた。
いくら沈黙は金なりといえども人間、もう1時間も黙っているのも限界なのだろうか。
女性は私に「何時ですか」と聞かれたので私はてっきり時計の時間と思って腕時計より私の頭の上にあった時計を見て「11時15分」ですと言った。
そしたらその人は「診察の予約時間です」と聞かれて聞くほうも「何時ですか」と言葉足らずで私も時間と思い込むほうも考えたらずだったのか。双方とんちんかんになった。私は「10時半予約です」と言った。そしたら女性は「私は10時予約ですが」と言って先日のテレビの事件など10分ほど隣に座った高齢者の他の女性も交えて話していると私の名前が呼ばれた。
この膝の注射は痛い。
痛いからこの痛みを忘れさせようと医師はいろいろ話すが注射針が膝に刺さると思わず私が黙った。が、今日は右も左も痛くなかった。
「今日は痛くなくてよかった」といったら看護師も医師も「よかった」と言ってお大事にと言って隣の診察に行かれて患者さんの治療をしておられた。
そのまえに私が診察室に入るとさっき「何時ですか」と聞かれた女性が診察室を覗いて「私10時の予約なのに10時半の人が先にはいりましたが」と言う。
そうか、それで看護師に私は「この方、私より先に来てずっと待っておられましたよ」と言ってあげた。
看護師は「調べますから外で待って下さい」言って調べるとこの人の診察時間は11時だった。11時を10時と勘違いして9時から来て待っていたという。
私も仕事の勘違い、1年に1・2度あるので診察券の時間を確認してからくるようにしている。今回は予約変更したのでカレンダーに大きい字で10時半と書いておいた。
そして診察が終って会計計算書を待っていると小奇麗の高齢者の女性は私の横に座って話す。
「今日は先生、ものすごく忙しそう。他のことを聞こうと思ったらすぐ隣の診察室に行かれた」と話す。「私もそうだった」といっているが同じことを何回も話しておられて私の会計計算書ができているのに職員はじっと待って下さっていたので「もうできているみたいですからお先に失礼します」と立ちあがった。
前の薬局に行くと自分の薬がでるまで待時間50分、今日は何も所用がないので待つ覚悟をした。
隣の高齢者の女性が話している。お互いに耳を遠いのか何ども聞きなおしている。
そして高齢になると言葉がはっきりできないのか、フニヤフニヤと聞こえるのか2人が交代に何回も聞きなおしている。この光景に隣に座っていた年輩の男性、私に「いずれはわしらもくるんですわ」と言った。
そして自分の親しい友人が近頃「同じ言葉を繰り返すようになった。あれも年のせいかなと思って昨日聞いた話、またそうか、そうかときいているんですわ」と話した。
病院も薬局も若い人も何人かいるが圧倒的に高齢者70代が多い。80代もいる。60代も半ばから多い。
女性は生理が終るとホルモンが違ってくる。生理を通して骨を作るものを作り出していたがこれが終るとこのホルモンがとまってしまってカルシュームをたくさんとらないといけないと言われている。と言って毎日、毎日、雑魚や小魚を食べているわけにはいかない。
それようの薬もでているがガンになりやすいと聞いてできるだけ骨にいいものを少しでも食材で通るように気をつけているが若いころのように新陳代謝がよくなない。
体は老化の一途をたどっている。
このこと我が息子はわかっているだろうか。と、ふと年をとってきた近年思うようになった。
いつまでも元気にかけずりまわっている親の姿しか見えないだろう。
この後、奈良市内に出て行った。
いつもの喫茶で新聞を読んだ。買い物をして市内循環のバスに乗ろうと椅子に座って待っているとバス停の前も高齢者がたくさん歩いている。
病院からの帰りだろうか。それともサークル活動の帰りだろうか。
だが春はそこまで来ている。歩く人たちの上着が1枚少なくなって春らしい装いになってきている。
そんなとき1人の高齢者の女性が1人私の横に座った。買い物をしてきたようだ。コロコロ転がす買い物入れを持っている。
私の顔を見るなり「『風邪の花』がでている。痛いことないの。そこでよかったわ。熱の変わりに『風邪の花』がでたんや。それでよかったわ。私も風邪をひいたけど薬も買うのはやめたは。いろいろゴチャゴチヤ入ってわけわからへん」と言った。
私は「そうですか。風邪とわかりました」と話すと「そうがな。それ『風邪の花』で熱の変わりにでたんや。疲れがたまっていたのやろ」と言う。
やっぱり年よりは日本の言葉のおしゃれを知っていた。
「風邪の花」、いい言葉です。本当に日本語の感性がまだ生きていいた。
「花冷え」に「花曇」、日本で生まれて日本で育った私、日本語が言語、日本語に隠れたおしゃれの言葉がいっぱい、忘れていた言葉が耳に響いてくる。
そういえば五月雨も6月の雨という。昔は陰暦で生活が動いていたので5月の雨でなくて梅雨だという。
松尾芭蕉の俳句「五月雨をあつめて最上川」おしゃれな感性に大人になっていい句と思うようになった。
日本の社会は高齢化に入っている。一般庶民が病院に行き町に買い物に行き皆それぞれに一生懸命に生きようと努力している。
こんなこと日本の政治家は忘れないでしっかり日本の舵取りをしてほしい。
まだまだ日本におしゃれな美しい風情のある言葉が残っている。
こんなことばが使える生活空間にとりもどさなければならない。
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