2007年には熟年離婚が増える。ちょっとそれはマスコミがあおいでいるように思える。
2007年になると夫の年金、半分は妻にももらえる制度に変わるという。それを待って離婚するという団塊の世代、1947年(昭和22年)~1950年(25年)生まれを団塊の世代という。
その世代の男性たちが定年退職を迎える。そしてこの世代は戦後のベビーブームといわれる世代で1番多い世代で何でも競争の中で育った。
小学校・中学校からずっと学生時代そして就職や結婚、競争の中でいつも篩いにかけられて篩から落ちてもまた這い上がるバイタイリテイーを持ってきた。だから競争社会を生き抜いてきた。
そして当時の文部省は「昭和38年教科書改訂」されたばかりの新教科書と新カリキュラム編成の中で新しい教育を試された世代でもあった。
民主主義の教育をモロに試された世代だった。権利の主張、男女平等も習った。マナーと言う道徳教育は少しずつ河岸に流されようとしている世代だった。
そして大学の進学率も高くなった世代でもあった。いっぱしの権利と平等、自己主張も覚えた。
そうした中でも男性は保守的だった。外で働く。家事を助ける世代ではなかった。男は外、女は家庭という考えが普通だった。
専業主婦をしながら子育てが一段落すると地域のカルチャー教室やボランテイアに参加して社会参加をした。主婦でも外で活動する世代だった。男性はいつのまにか働き蜂になり女性は夫の留守の間に自分探しに自分磨きをしてきた。その温度差が「熟年離婚」ということになってきた。
しかし年金暮らしはけっして楽ではありません。
現職時代から比べると収入は減少し工夫して節約しなければ生活ができない。だが自治体からは固定資産・所得税や国民保険と年金生活になっても会社人間のときと同じだけ自治体に支払う税金がくる。これは減少した収入から支払うのは大変である。何かを節約しなければならない。いつのまにか食材の節約、衣服の節約となっている。
けれどもう1度、考えてみて下さい。
たしかに男性は働き蜂できたから家事は何もしません。あいかわらず妻をこき使います。私も心の中でもう----と怒っている。
でもちょっと考えてみると夫が1番身近な友人である。双方我儘をいえるのは夫婦だけである。いびきをかいて寝ていようが化粧しないで家の中をバジャマでウロウロできるのも夫だからできる。これまでいろんなことを夫婦で乗り越えてきた。この苦労は夫婦しかわからない。夫婦だから許せないことも許せることもある。
先日、あるラジオの放送だったと思う。公開会場で司会者が会場の参加者に「どんな夫婦が素晴らしいですか」と問いかけていた。そしたら会場の中のある年輩の女性が「離婚したいけれど離婚しないのが素晴らしい夫婦です」と答えられた。この答えに司会者も驚いていたが「そうです。これまで夫婦はいろんなことがありました。離婚したいと思うときもありました。それでも離婚しないで一緒に暮している夫婦が素晴らしい夫婦です」と話されると会場から大きい拍手がわいていた。
またある週刊誌に川柳で紹介されていた。
川柳の内容は忘れたが「離婚しない夫婦、才能がある」というなことだった。
そうだ。夫婦はキツネとタヌキの駆け引きかもしれない。言いたいことがあっても胃のあたりで飲み込んでいる。それが女性ばかりと思い込んでいたら年齢の積み重ねで夫も胃のあたりでいいたいことを飲み込んでいたことがわかってくる。思いやりの積み重ねである。夫婦もテクニックがいるのである。やっぱりこれも才能です。
定年退職した後、夫が自宅にいるようになるとストレスで病気になったと私の周りの女友達からよく聞くようになった。これまで自由気ままに昼間は自分の時間、自分の好きなような時間割を作ってきた。ときどきその時間割も崩れることがあって夫のいない間に昼寝ばかり、読書三昧ばかり、女友達とおしゃべり三昧をしてきた。その時間が作れなくなるわずらわしさにしどろもどろになってしまう。
男性たちは定年退職すると家事を何か1つや2つを手伝う。買い物も重いものを持つのも苦痛になるので助ける。そして女友達とおしゃべりをする時間も少々長くなっても目くじらをたてて怒らないこと。女も1人の人間です。話したいし自分を話したい。女も自分磨きをしている。このことをよく知って妻の気持をくむ事に努力して下さい。会社で上や下にご機嫌とりしたときよりずっとずっと楽です。それで夫婦円満だったもっと会社のときより楽です。定年退職された夫が妻と過ごす年月は今まで暮した半分、それとももっと短くなるかもしれない。子育てを終えた後のゆったりした時間です。お互いに加齢になりいたわりあいながら暮していかなければなりません。双方気が許せて話し合えるのは夫婦という友だちです。
たしかに毎日のことですから穏やかな日々ではありません。若い時より喧嘩も多くするようなります。しかし口いっぱい喧嘩できるのは夫婦だからです。
私は戦前の1944年生まれです。
ちなみに私も「離婚」と言う文字が何ども何ども頭に浮かびました。
しかし夜になると思いとどまるのです。
夫がいないと灯りを消して寝ることができません。夫がいないときは全部灯りをともして寝るのです。お化けがでそうで恐くて寝ることができません。それに居間の蛍光灯が切れた時、あんな大きな蛍光灯を椅子にのぼって付け替えることができない。
だからこれは割りにあわないと考えてそれから「離婚」と言う言葉が頭に浮かばなくなってかれこれ10年と少したちました。
マスコミもあおらないための記事を多くして下さい。あおることで日本社会がよくなるのですか。みんなその付けは子どもにかえってくるのです。
定年退職した「熟年」の過ごし方を記事にして下さい。
2007年になると夫の年金、半分は妻にももらえる制度に変わるという。それを待って離婚するという団塊の世代、1947年(昭和22年)~1950年(25年)生まれを団塊の世代という。
その世代の男性たちが定年退職を迎える。そしてこの世代は戦後のベビーブームといわれる世代で1番多い世代で何でも競争の中で育った。
小学校・中学校からずっと学生時代そして就職や結婚、競争の中でいつも篩いにかけられて篩から落ちてもまた這い上がるバイタイリテイーを持ってきた。だから競争社会を生き抜いてきた。
そして当時の文部省は「昭和38年教科書改訂」されたばかりの新教科書と新カリキュラム編成の中で新しい教育を試された世代でもあった。
民主主義の教育をモロに試された世代だった。権利の主張、男女平等も習った。マナーと言う道徳教育は少しずつ河岸に流されようとしている世代だった。
そして大学の進学率も高くなった世代でもあった。いっぱしの権利と平等、自己主張も覚えた。
そうした中でも男性は保守的だった。外で働く。家事を助ける世代ではなかった。男は外、女は家庭という考えが普通だった。
専業主婦をしながら子育てが一段落すると地域のカルチャー教室やボランテイアに参加して社会参加をした。主婦でも外で活動する世代だった。男性はいつのまにか働き蜂になり女性は夫の留守の間に自分探しに自分磨きをしてきた。その温度差が「熟年離婚」ということになってきた。
しかし年金暮らしはけっして楽ではありません。
現職時代から比べると収入は減少し工夫して節約しなければ生活ができない。だが自治体からは固定資産・所得税や国民保険と年金生活になっても会社人間のときと同じだけ自治体に支払う税金がくる。これは減少した収入から支払うのは大変である。何かを節約しなければならない。いつのまにか食材の節約、衣服の節約となっている。
けれどもう1度、考えてみて下さい。
たしかに男性は働き蜂できたから家事は何もしません。あいかわらず妻をこき使います。私も心の中でもう----と怒っている。
でもちょっと考えてみると夫が1番身近な友人である。双方我儘をいえるのは夫婦だけである。いびきをかいて寝ていようが化粧しないで家の中をバジャマでウロウロできるのも夫だからできる。これまでいろんなことを夫婦で乗り越えてきた。この苦労は夫婦しかわからない。夫婦だから許せないことも許せることもある。
先日、あるラジオの放送だったと思う。公開会場で司会者が会場の参加者に「どんな夫婦が素晴らしいですか」と問いかけていた。そしたら会場の中のある年輩の女性が「離婚したいけれど離婚しないのが素晴らしい夫婦です」と答えられた。この答えに司会者も驚いていたが「そうです。これまで夫婦はいろんなことがありました。離婚したいと思うときもありました。それでも離婚しないで一緒に暮している夫婦が素晴らしい夫婦です」と話されると会場から大きい拍手がわいていた。
またある週刊誌に川柳で紹介されていた。
川柳の内容は忘れたが「離婚しない夫婦、才能がある」というなことだった。
そうだ。夫婦はキツネとタヌキの駆け引きかもしれない。言いたいことがあっても胃のあたりで飲み込んでいる。それが女性ばかりと思い込んでいたら年齢の積み重ねで夫も胃のあたりでいいたいことを飲み込んでいたことがわかってくる。思いやりの積み重ねである。夫婦もテクニックがいるのである。やっぱりこれも才能です。
定年退職した後、夫が自宅にいるようになるとストレスで病気になったと私の周りの女友達からよく聞くようになった。これまで自由気ままに昼間は自分の時間、自分の好きなような時間割を作ってきた。ときどきその時間割も崩れることがあって夫のいない間に昼寝ばかり、読書三昧ばかり、女友達とおしゃべり三昧をしてきた。その時間が作れなくなるわずらわしさにしどろもどろになってしまう。
男性たちは定年退職すると家事を何か1つや2つを手伝う。買い物も重いものを持つのも苦痛になるので助ける。そして女友達とおしゃべりをする時間も少々長くなっても目くじらをたてて怒らないこと。女も1人の人間です。話したいし自分を話したい。女も自分磨きをしている。このことをよく知って妻の気持をくむ事に努力して下さい。会社で上や下にご機嫌とりしたときよりずっとずっと楽です。それで夫婦円満だったもっと会社のときより楽です。定年退職された夫が妻と過ごす年月は今まで暮した半分、それとももっと短くなるかもしれない。子育てを終えた後のゆったりした時間です。お互いに加齢になりいたわりあいながら暮していかなければなりません。双方気が許せて話し合えるのは夫婦という友だちです。
たしかに毎日のことですから穏やかな日々ではありません。若い時より喧嘩も多くするようなります。しかし口いっぱい喧嘩できるのは夫婦だからです。
私は戦前の1944年生まれです。
ちなみに私も「離婚」と言う文字が何ども何ども頭に浮かびました。
しかし夜になると思いとどまるのです。
夫がいないと灯りを消して寝ることができません。夫がいないときは全部灯りをともして寝るのです。お化けがでそうで恐くて寝ることができません。それに居間の蛍光灯が切れた時、あんな大きな蛍光灯を椅子にのぼって付け替えることができない。
だからこれは割りにあわないと考えてそれから「離婚」と言う言葉が頭に浮かばなくなってかれこれ10年と少したちました。
マスコミもあおらないための記事を多くして下さい。あおることで日本社会がよくなるのですか。みんなその付けは子どもにかえってくるのです。
定年退職した「熟年」の過ごし方を記事にして下さい。
おっしゃる通り、マスコミはすぐ煽りたがります。人それぞれいろいろ生き方があります。夫婦中良くが一番良いと思いますよ。頑張ってくださいませ。