鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

11月27日(月)晴。

2017-11-27 09:09:25 | 直言!
先ほど書きこんだフエスブックを貼りつけておきます。

11月27日(月)、晴れ。室温は22度の50%、煖房を入れている。先日、ケアハウスから紅葉狩りに行った。隣に座っていた高齢者の婦人が、写真を持ってきてほしいと言われたが、私は歩行困難で写真屋さんで現像はできませんといった。それにしても少しは何枚か、パソコンでプリントして持って行こうと、コピーして貼り付けして縮小してA4版3枚に入れてプリントした。なんとかできた。撮った写真、ほとんど不出来だったので削除してしまった。
今日は朝、9時半にリハビリの先生が来られるので気持ちが忙しい。
昨日、同級生からお便りが届いた。先日のお便りで返信した後のお便り、入院した状況を簡単に書いた。それなのに手紙を読みながら泣いていたという。またこれで私は心が動かされる。早くもっと歩けるようになって同級生に会いたいものだ。

昨日、フエスブックを見ていると、夜間中学の廃止勧告に反対運動をして、大阪市になかった夜間中学創設の運動をした高野雅夫さんのことが紹介されていた。
以前の橋本知事時代に、リバティ大阪が閉館していると思っていたが、開館しているようだ。12月13日まで「高野雅夫展」をしておられるので、時間のある人はぜひ見て貰いたいものだ。
戦後は義務教育を受けることができなかった子供のための夜間中学だったが、時代の変遷で義務教育を受けられる児童・生徒が定着してきた。しかし水面下では識字教育の必要な人がたくさんいた。そして1世の在日の高齢者の婦人たちが学び始めた。一時は大阪市内にはボランテイアで識字教育をする教室がたくさんあったが閉鎖されていった。渡しの母親も無学だが懸命に商いをしていきてきた。父親は教育をうけている。父親と母親は水と油だったと今は思う。

高野雅夫さんの運動で奈良市立春日中学にも夜間中学が出来た。現在は橿原市、天理市にもある。大阪府内にも創設された。私が最初に夜間中学に入って取材したのは統一日報大阪支社時代で京都市立郁文中学校だった。灯りの下で学ぶハルモニ、オモニ(おばあさん、おかあさん)たちの姿に、涙ぐみながら取材していた。私の知らない世界がそこにあった。よくここの現場に訪問した。奈良県は春日中学に天理市立北中学の夜間学級だった。ある程度の年を重ねると夜の取材は大変だった。1世たちは学び心豊かに先生と楽しくしていた。
そして今は時代が変わって、不登校や外国人などの学ぶ校舎になっている。
高野雅夫さんとは2度、お会いしている。何も知識のない私にも優しくお話しをして下さった。韓国に語学留学したときはまた私はその情熱に驚いていた。

私が40歳前後の時、雑誌記者をしている時、奈良新聞社のあるデスクと一緒に喫茶店でコーヒーを飲んだ。そして春日夜間中学創設の運動を話すが聞いている私は無関心だった。そんな私を見て話しをやめた。当時はもういずれ、日本国籍に切り換えると思っていたので在日に関してはさほど関心がなかった。しかし人生とはわからない。いつのまにか在日の中で記者をしていた。
私は健脚だったらリバティ大阪に行きたいが今の歩行では行かれない。残念である。今日の朝、ご飯、味噌汁は麩に薄揚げにわかめ、焼き鯖にほうれん草のおひたし、ウインナー、塩昆布、昨日の夕食はハムとキャベツ入りの焼飯だった。

http://www.liberty.or.jp/guidance/

上記はリバティ大阪の案内、ホームページです。
写真は天理市の布目ダムと奈良公園の飛火野、浮見堂の側です。そんなに上手はありません。
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