棚の奥に置いてあるものを出して拭いていく。
普段はここまでなかなかできない。
そして夕方から少しずつ年賀状を書いていくことにしよう。
昨日も1時前にとりあえずの用事が終わって外出の用事をしようと思っていると、とんでもないことに気がついた。
またその電話を1時半からするがなかなか中身到達に拉致があかない。
あれこれとやりあうが拉致があかない。
向こうのミスなのに----。
ようやく2時過ぎて担当者からの電話でその中身の経過がわかってそれでなんとか物事は解決した。
その内容はここに書きたいが書くと迷惑をかけそうでやはり内容は書かないことにしておきます。
自宅を出たのが3時15分。奈良公園周りの中循環に乗車して近鉄奈良駅に行く。銀行によって年玉の両替をしておく。
そして行きつけの喫茶店にいった。
新聞2紙を読んでいく。
忘年会で会う人に電話をして待ち合わせ場所を聞くが地下鉄の駅の改札口という。幹事は別の人がしているので電話した人も場所が分からない。
5時前に行きつけの喫茶店を出て近鉄奈良駅から電車に乗って上本町に出る。
さてここから谷町線に乗って天満橋に出るが天満橋の駅は京阪電車とつながっていて改札口でも広くてここで待ち合わせするのは大変と考えた。
私はタクシーに乗った。
目的の場所はインターネットから検索した。
タクシーの運転手は目的の場所で会合場所の居酒屋を探してくれるが見当たらない。しょうがない。そこで下ろしてもらった。
そして天満橋駅で待ち合わせしている彼に電話をして待っている場所をいっておいた。
20分ほど寒風の下で待つ。
「また風邪ひきそうや」と独り言を言いながら-----。
そしたら忘年会に参加するあるメデイアの新聞記者が来た。
彼も私と同じアクセスの地図を持ってきて探している。
10分程度、一緒に歩いて探すが見当たらない。
結局、寒風の下で待った建物の中、喫茶店に入って聞くことにした。
喫茶店の男性はとても親切でノートパソコンで検索して店を確認してくれた。
何と店のホームページの住所が間違っていた。
幹事の間違いか、店の間違いか。
まったく反対の方向に来ていた。
それから歩くこと10数分、やっと辿りついた。
来ている人は1人だけ。どうやら皆、道に迷っているらしい。
6時半からなのにまだほとんど来ていない。
7時前になって「道に迷った。迷った」と参加メンバーがやってきた。
集った人は9人、大手新聞社で活躍した新聞記者のOB、書籍店を退職した人、書くことを職業にした人に撮ることを生業にしている人などが集った。
女は私1人だが楽しい会合です。
1人1人、近況報告をしていく中で自分の知っている情報を披露していく。
1人は最近、サハリンに取材に入ったのでロシアの状況を話す。
そして私に「北の金正日について話してほしい」と来た。
私の知っていることはそんなにたいしたことはない。
しかし私の意見をいった。
「テレビで大学教授たちが北に関することをあたかもそれが真実のごとく話しているがあれはそれがそうだと言い切れるものではない。それほど北朝鮮の国は何が起こるかわからないのが現実、分からない国です。息子はひよこで政治ができるわけではない。金正日の妹婿が今後、仕切って行くが本当に身内だけの政治になる。果たしてこれが政治だろうか。そして1つ心配している。1年このままにいったとしても後は有事が起きるのか心配している」と、話すと、誰かが「有事は絶対にない」と言い切った人がいた。
私はなぜといおうと思ったがこれも果たして私が絶対に有事が起きる確証がないので黙った。
また1人は「今年は仕事をやりすぎてもう猛烈に忙しかった、なんとかせなあかん」という。また1人は「連載を書きたいと思っても会社との関係があってできないこともある」と心の中を吐露する。
そしてある年輩の男性は「北朝鮮に憧れたときがあったという日本人、地上の楽園を信じて北朝鮮に行きたかった」という。
そして私はこの話に水を差した。
「地上の楽園といっている帰国運動が活発で北朝鮮がまだ活発な時に私の親父はすでに日本人拉致被害者のことを知っていた。当時、夫の親戚と日本海に泳ぎに行くと『日本海に泳ぎにいったらあかん。拉致される』といったので、私は今時の時代に人攫いなんていないのにといったら親父は『北朝鮮に拉致される』といった。親父が死ぬ前にこの情報をなぜ知っていたのかと聞くと日本の新聞ととぼけたが私は警察の情報と思った。親父は日本植民地時代、協和会の役員をしていたので戦後も密かに会っていたことは子ども心に記憶しているから」と話すと、「そしたら警察はそれ知っていてなんで動かへんかってん」と言葉が入った。この言葉は他の言葉でかき消された。
他に大阪市市長の話なども盛り上がった。
刺身を食べて串焼きを食べてふぐ鍋をして後はおじゃでしめた。
まだ話は尽きないが9時過ぎにお開きになった。
また親しい者どうしで2次会に行った人もいると思うが私はここからタクシーに乗って近鉄上本町駅に出た。9時25分にタクシーに乗って上本町駅に着くと9時43分、急いで改札口に行く。
特急券の窓口の時計は45分、「奈良行き特急券を下さい」というと9時48分、私は「後、3分しかないのに大丈夫ですか」といっているうちに特急券が窓口に出てきた。急いで改札口に入ってホームに行く。
いつもの4号車と違って2号車、ホームの前のほうである。
案内板は奈良行き特急がくる掲示になっていた。
1分ほど待つと特急電車が入ってきた。
店を出るときトイレをしているのにまたしたい。
3号車車両まで行ってトイレを済ませた。
奈良に着くと10時20分、遅いので奈良公園周りの市内循環しかない。
エスカレーターで南口に出た。横断歩道渡ってバス乗場にいくと向こうから市内循環バスが来ていた。自宅に帰ると10時40分、顔を洗って足を拭いて着替えるともう11時過ぎ、ぼんやりテレビを30分見て床についた。
ぐっすりと寝た、歩いた分疲れたのかな。
けれど皆と久しぶりに会って楽しかった。
みんな現場で活躍している人ばかり、話の内容が抱負で話がつきない。
男性たちがまた2次会、3次会と繰り出す気持ちが分かる。
誰かが人恋しいのか「1月3日、このメンバーで新年会」といったら「3日みたいな。誰が来る」といったら「冗談」といったが私はあれは本音だったのかもとしれないと思っている。それほど名残が尽きない忘年会になった。
またお会いしたいものである。
さて今日はこれから掃除していきます。
普段はここまでなかなかできない。
そして夕方から少しずつ年賀状を書いていくことにしよう。
昨日も1時前にとりあえずの用事が終わって外出の用事をしようと思っていると、とんでもないことに気がついた。
またその電話を1時半からするがなかなか中身到達に拉致があかない。
あれこれとやりあうが拉致があかない。
向こうのミスなのに----。
ようやく2時過ぎて担当者からの電話でその中身の経過がわかってそれでなんとか物事は解決した。
その内容はここに書きたいが書くと迷惑をかけそうでやはり内容は書かないことにしておきます。
自宅を出たのが3時15分。奈良公園周りの中循環に乗車して近鉄奈良駅に行く。銀行によって年玉の両替をしておく。
そして行きつけの喫茶店にいった。
新聞2紙を読んでいく。
忘年会で会う人に電話をして待ち合わせ場所を聞くが地下鉄の駅の改札口という。幹事は別の人がしているので電話した人も場所が分からない。
5時前に行きつけの喫茶店を出て近鉄奈良駅から電車に乗って上本町に出る。
さてここから谷町線に乗って天満橋に出るが天満橋の駅は京阪電車とつながっていて改札口でも広くてここで待ち合わせするのは大変と考えた。
私はタクシーに乗った。
目的の場所はインターネットから検索した。
タクシーの運転手は目的の場所で会合場所の居酒屋を探してくれるが見当たらない。しょうがない。そこで下ろしてもらった。
そして天満橋駅で待ち合わせしている彼に電話をして待っている場所をいっておいた。
20分ほど寒風の下で待つ。
「また風邪ひきそうや」と独り言を言いながら-----。
そしたら忘年会に参加するあるメデイアの新聞記者が来た。
彼も私と同じアクセスの地図を持ってきて探している。
10分程度、一緒に歩いて探すが見当たらない。
結局、寒風の下で待った建物の中、喫茶店に入って聞くことにした。
喫茶店の男性はとても親切でノートパソコンで検索して店を確認してくれた。
何と店のホームページの住所が間違っていた。
幹事の間違いか、店の間違いか。
まったく反対の方向に来ていた。
それから歩くこと10数分、やっと辿りついた。
来ている人は1人だけ。どうやら皆、道に迷っているらしい。
6時半からなのにまだほとんど来ていない。
7時前になって「道に迷った。迷った」と参加メンバーがやってきた。
集った人は9人、大手新聞社で活躍した新聞記者のOB、書籍店を退職した人、書くことを職業にした人に撮ることを生業にしている人などが集った。
女は私1人だが楽しい会合です。
1人1人、近況報告をしていく中で自分の知っている情報を披露していく。
1人は最近、サハリンに取材に入ったのでロシアの状況を話す。
そして私に「北の金正日について話してほしい」と来た。
私の知っていることはそんなにたいしたことはない。
しかし私の意見をいった。
「テレビで大学教授たちが北に関することをあたかもそれが真実のごとく話しているがあれはそれがそうだと言い切れるものではない。それほど北朝鮮の国は何が起こるかわからないのが現実、分からない国です。息子はひよこで政治ができるわけではない。金正日の妹婿が今後、仕切って行くが本当に身内だけの政治になる。果たしてこれが政治だろうか。そして1つ心配している。1年このままにいったとしても後は有事が起きるのか心配している」と、話すと、誰かが「有事は絶対にない」と言い切った人がいた。
私はなぜといおうと思ったがこれも果たして私が絶対に有事が起きる確証がないので黙った。
また1人は「今年は仕事をやりすぎてもう猛烈に忙しかった、なんとかせなあかん」という。また1人は「連載を書きたいと思っても会社との関係があってできないこともある」と心の中を吐露する。
そしてある年輩の男性は「北朝鮮に憧れたときがあったという日本人、地上の楽園を信じて北朝鮮に行きたかった」という。
そして私はこの話に水を差した。
「地上の楽園といっている帰国運動が活発で北朝鮮がまだ活発な時に私の親父はすでに日本人拉致被害者のことを知っていた。当時、夫の親戚と日本海に泳ぎに行くと『日本海に泳ぎにいったらあかん。拉致される』といったので、私は今時の時代に人攫いなんていないのにといったら親父は『北朝鮮に拉致される』といった。親父が死ぬ前にこの情報をなぜ知っていたのかと聞くと日本の新聞ととぼけたが私は警察の情報と思った。親父は日本植民地時代、協和会の役員をしていたので戦後も密かに会っていたことは子ども心に記憶しているから」と話すと、「そしたら警察はそれ知っていてなんで動かへんかってん」と言葉が入った。この言葉は他の言葉でかき消された。
他に大阪市市長の話なども盛り上がった。
刺身を食べて串焼きを食べてふぐ鍋をして後はおじゃでしめた。
まだ話は尽きないが9時過ぎにお開きになった。
また親しい者どうしで2次会に行った人もいると思うが私はここからタクシーに乗って近鉄上本町駅に出た。9時25分にタクシーに乗って上本町駅に着くと9時43分、急いで改札口に行く。
特急券の窓口の時計は45分、「奈良行き特急券を下さい」というと9時48分、私は「後、3分しかないのに大丈夫ですか」といっているうちに特急券が窓口に出てきた。急いで改札口に入ってホームに行く。
いつもの4号車と違って2号車、ホームの前のほうである。
案内板は奈良行き特急がくる掲示になっていた。
1分ほど待つと特急電車が入ってきた。
店を出るときトイレをしているのにまたしたい。
3号車車両まで行ってトイレを済ませた。
奈良に着くと10時20分、遅いので奈良公園周りの市内循環しかない。
エスカレーターで南口に出た。横断歩道渡ってバス乗場にいくと向こうから市内循環バスが来ていた。自宅に帰ると10時40分、顔を洗って足を拭いて着替えるともう11時過ぎ、ぼんやりテレビを30分見て床についた。
ぐっすりと寝た、歩いた分疲れたのかな。
けれど皆と久しぶりに会って楽しかった。
みんな現場で活躍している人ばかり、話の内容が抱負で話がつきない。
男性たちがまた2次会、3次会と繰り出す気持ちが分かる。
誰かが人恋しいのか「1月3日、このメンバーで新年会」といったら「3日みたいな。誰が来る」といったら「冗談」といったが私はあれは本音だったのかもとしれないと思っている。それほど名残が尽きない忘年会になった。
またお会いしたいものである。
さて今日はこれから掃除していきます。
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