鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

12月26日(月)冬の季節だが青空に雲が浮かんでいる。

2011-12-26 09:14:02 | 直言!
家の事は少しずつしていたが途中で風邪をひいて中断した。
そのうちに新年特集原稿の作業の追い込みに追われていく。
そんな時は仕事に集中、夕方になってくると脳の中は真っ白で何もする気がなくなる。ぼんやりとテレビを見て脳を休めている。
2・3時間経つと普段の自分になっているがそんな頃は夫が家にいて、テレビを見ている側でガサゴソと掃除もできない。
夫が布団に入って寝たとしても音がやかましいといわれるのでそんなこともできない。そうしているうちに日程が過ぎていく。
それでも年賀状を書くことはすっかりと忘れていた。
年賀状は購入して印刷も済んで後は宛名書きをするだけになっている。

そんな私を見て夫は見えるところだけ掃除すればいいというが----。
きれい好きの夫はまた後で思い出しように「○○のところ掃除してない」とポツリというだろう。そして私もやはり普段できないところをそのままにして年を越すのもなんとなく気分がよくない。

昨日はライフワークのための取材で例会の会場に入った。
「五行会の歌の会」である。
五行で詩を作る。最初、見たときは面白いと思ったが関係者の話を聞くとなかなか難しいらしい。私もやってみたいなという気持ちになったが----。
どこからかすごい罵声がとんでくる。
「そんな長い文書、だらだら書くのになんで五行で詩が作れるのか」と。
しかし五行で詩を作ることに興味がわいてきそうだ。
言葉を選り好んで作る詩、そのすっきりした5行の中に作者の感性が出ている。
会合に参加している人たちは電車の中や町の中でお見かけする男性や女性たち、しかし感性豊な視点を持ち合わせているから素晴らしい5行詩を作成して発表しておられる。新鮮な空気に触れた私だった。
このライフワークの原稿は1月の第4週の火・木・土に画面構築します。

今日は夫が6時半に出かけた。
私は夫が出かけると何も食べないでパソコンに向かった。
新年特集の原稿のゲラ、パソコンで送信してまたプリントして今日から新聞作業に入る工場にFAX送信をした。

そして今日、夕方から大阪で行う忘年会の場所をインターネットで検索してプリントしてカバンに入れた。
今日の忘年会はライフワークの仲間、ジャーナリスト・ネットの仲間たち、それぞれ個性豊な人たちばかりで楽しい会合です。
私よりずっと先輩の新聞記者だったOBたち、カメラマンに元大学教授やフリーライターに現役の記者たち。年は私より2・3歳若い人がほとんだ。中にはもっと若い人もいる。しかしジャーナリストとしては皆、先輩です。
私は23歳で結婚して専業主婦15年してからの社会参加、雑誌記者になったのは38歳からです。皆さんたちのほとんどが大学卒業して新聞社などに就職して記者活動をしてこられたので皆、先輩格です。

主婦も大切な仕事、子育ても人間を作るので大事な主婦の役割と思っているので私の15年間の専業主婦には悔いがない。
この間、PTAの役員もして子どもを通して社会参加をしてきた。
友人・知人が多くできた。
これがきっかけで奈良新聞社との出会いがあった。
出会いを作ってくれたPTAの友人、その恩は忘れていないがペングループを一緒に創設した。しかしこのペングループで身を切られるほどのいじめがあった。ずっと私より年輩の女性だったが国籍差別の上に嫉妬心の強い人は何かと私を苛めの対象にした。
ペングループから私1人が雑誌記者に引っ張られてまたまたその苛めは加速した。PTAの中で知り合ってもそんな恩はふっとんで壮絶ないじめしか私の記憶に残らなかった。
しかし周りは見ていた
何も私はいわないで黙りとおしてきたが周りは口には出さないがそんな事情を知っておられた。今もペングループのかかわりを温かく見守って下さっている。
しかしもう昔みたいに役員になって先頭を切って会を切り回す気力はなくなってしまった。そっと影から見守るのが私の性分にあっていることがわかった。

いつの時代も誰かが支えてくれる人がいた。
今はまたもう1つの楽しみは小学校の同級生たちと会うのが楽しみです。
飾らない私がそこにいるのです。
みんなどの人も小さな町で育ったのでいろんな家庭のことも知っている。
そんな気安さもある。
なんといっても京都府相楽郡木津町で育った田舎っ子が一番好きです。
1950年から1960年代、まだまだ田園風景がたくさんあった。
春になると麦畑と菜の花の田園がコントラストになって美しい田舎の風景を見て育った。そんなころを知っている木津町の同級生です。
奈良や京都と私立の中学・高校に行った人もいるがほとんどが京都府立木津高校にいった。クラスは成績の偏差値で違った(当時は偏差値という言葉はなかったが)。しかし内田山の上に建つ高校の門を皆がくぐった。
地獄坂の坂道を上って校門をくぐった。
中庭では当時、流行した歌謡曲やロシア、ドイツなどの民謡を歌った。
クローバの上に座って歌った。男子生徒が当時は珍しかったカメラを持ってきてお目当ての女子学生を撮っていたことも懐かしい。
鏡を教室から照らしてお目当ての女性を見ていた人もいた。
こんな教室の窓からサバンナ八木さんのお父さんの顔も思い出してくる。
何もなかった時代だったが工夫して生活をしていた心豊な時代だった。
そんなことをたくさんたくさん思い出す木津の町、生まれた所は山城町、上狛小学校の前の家で生まれている。ここも懐かしいが6歳から育った木津の町は私の故郷です。
韓国慶尚南道晋州市(昔は慶尚南道晋陽郡智水面)は親や祖父母の故郷です。私にすればルーツのある故郷ですが木津町が私の故郷です。

今夜は6時半から忘年会。朝、早く起きたので夜遅くなると眠くなる。
これから朝食して少し休憩をします。
夜が遅くなるので書けないでしょう。
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