鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

夜が更けていく。夜の8時30分過ぎである。

2008-01-24 21:16:49 | 直言!
それから電話が入って急遽連絡したり打ち合わせしたりとバタバタしていた。
夕食の支度をしてまた電話連絡していると夫が帰ってきた。
夕食をして片付けもの済ませるともう8時まえである。
夫は今日から始まった鞍馬天狗の番組を見ている。
「鞍馬天狗」の言葉に60歳から70代の男性は子どもの頃の鞍馬天狗を思い出しているのだろう。人気があった映画だった。
日本が戦争に負けて食べるものに追われていたが1960年代に入ると映画産業が発達してきた。東映映画全盛期の時代に入った。
あのころの私はおとなしいおとなしい子どもだった。冬は寒かったことを記憶している。私が小学校のとき私の家から数えて4軒目が菓子問屋だった。私はそのときは外で遊んでいたのか記憶はない。
そして家の近くに祇園さんという町の氏神神社があった。ここで近くの子どもたちはかくれんぼしたり缶けりしたり鬼ごっこにドッチボールと遊んだ。広い神社だったので学校が終わると夕方遅くまで子どもたちの歓声がしていた。確か秋の夕暮れだったと思う。菓子問屋の娘さんの話である。
神社でおもいきっり遊んで帰ってきて家の柱にもたれて「おかあさん。しんどい」と言ってそのままそこに倒れた。心臓麻痺だった。そしてそのまま亡くなった。私より1歳か2歳年下だった。そんなことを覚えている。それからしばらく神社から子どもたちの歓声が聞こえなくなったがまた春先になると子どもたちは思い思いにここで遊んだ。
「鞍馬天狗」のドラマにふと子どものころのことを思い出した。
菓子問屋の家族は戦後早く満州から引き上げてきて裸一貫で「あんぱん」屋さんを始めてそして小金をためて菓子問屋を築かれた。
何もゲームもなかった。自分たちで遊び道具を作り自分たちで遊びを考えて遊んでいた。神社は子どもたちでいっぱいだったが大人は黙って見ていた。
それでも私はおとなしい子どもでどこにいるかわからない子どもだった。
こんな話をすると想像もつかないというが本当にそうだった。
「昭和回顧」と日本で言われている。私も日本の戦後と一緒に生きてきた世代である。当時の教師は怖かった。厳しかった。
戦争から帰ってきた教師は軍靴を切ってスリッパにしている教師がいた。木の廊下を歩いてくるとその音は独特だった。
その音にやんちゃな男の子は一目散に席についた。
掃除の時間は廊下の雑巾がけもしたし窓ガラスもふいた。冷たい水でふいていた。皆そんな時代だった。学校に向かって抗議する母親は誰もいなかった。これも教育の一環でしつけであると思っていた。
私の母親の作るスカートは輪になったスカートに片方にゴムを入れた。少しおしゃれにしてくれればたすきをつけてくれた。裁縫の上手なお母さんの子どもは胸当てのついたスカートをはいていいた。私は胸当てのあるスカートに憧れた。
セーターも母親の手編みだった。何度も何度も解いて編み返すので毛糸がよわってくると糸と一緒に編んだセーターをよく着ていた。
おしゃれなお母さんの子どもはセーターの胸に飾りをつけていた。これもお母さんの手作りで胸元をおしゃれにかざった。今もそのセーターを着ている子どもが写真のアルバムの中に入っている。
子どもたちは世間のことは何もしらなかったが在日コリアンの間では南北分断の中でイデオロギーの対立に苦しみこの摩擦は全国に広がっていた。
北朝鮮の帰国運動もころころからである。
ずいぶん長い年月の間に帰国したまま帰ってこない。往来できると信じて帰国したのにできない。どんな思い出過ごし亡くなっていったのか。日本のどこかで今も人知れず北に帰った身内のことを思って涙している人もいるだろう。
日本の昭和の戦後、在日コリアンにとっても試練、試練の中で生きてきた。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝から取材メモを作って編集... | トップ | こんな寒い日が続くときは外... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人生の試練と孤独。 (George)
2008-01-28 21:43:31
はじめまして。
突然のコメントで失礼します。

私たちの人生は多くの苦しみ、悲しみ、逆境と試練に満ちています。
今も、世界中でどれだけ多くの人々が苦しみや悲しみを経験し、涙を流しておられることでしょうか・・・。
私たちは、「人生にどうして、こんなに辛いことが多くあるのだろか・・・」との疑問を持ち、また嘆くことがあります。
しかし・・・・・・、
「寒さに震えた者ほど、太陽の暖かさを知る。人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る。」とは、ホイットマン(アメリカの詩人)のことばです。
病床に伏している時は、人生のすべてが暗く思われ、悲観的になりやすいものですね。しかし、朝の来ない夜はなく、春の来ない冬もありません。
また、止まない雨もありませんし、出口のないトンネルもないのです。
暗いトンネルの中を車で普通に走ることができるのは、必ず出口があると信じているからではないでしょうか。
神が与える試練には、必ず意味があることを聖書は教えています。

私が3年間ほど、聖書に基づいて書き綴ったブログがあります(↓)。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

私のブログから:カテゴリー「人生の試練と逆境」
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/c/a907d36d90351cd1de2bc73773a93709

   
返信する

コメントを投稿

直言!」カテゴリの最新記事