アジア映画巡礼

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インド映画に当たらない...『Anek』(ヒンディー語)もがっかり(泣)

2022-05-29 | インド映画

インド映画の自主上映会でいろいろな映画が見られるようになった昨今。SKIP CITYは遠いから敬遠しているものの、他の場所の上映は時間が許せば見に行くようにしているのですが、今年はどうも「当たり年」ではないようでして。本日はヒンディー語映画『Anek(たくさんの)』(2021)を大いに期待して見に行ったのに、「え~ん」でした。

『Anek』
 2022/ヒンディー語/147分/英語字幕
 監督:アヌバウ・シンハー
 出演:アーユシュマーン・クラーナー、J・D・チャクラヴァルティ、アンドレア・ケヴィチューサ、マノージ・パーフワー

Anek poster.jpg

主人公のアマン(アーユシュマーン・クラーナー)は、内務大臣?(クムド・ミシュラー)の側近(マノージ・パーフワー)の命を受け、紛争地などに潜入する捜査官として活躍していました。今回の目的地は「ノース・イースト」と呼ばれる北東諸州。そこは60年前から存在する反政府組織の大物タイガー・サンガがいましたが、現在勢力を拡大しているのが「ジョンソン」と呼ばれる組織でした。果たしてジョンソンというリーダーが存在するのかどうかも不明ですが、アマンは「ジョシュア」というキリスト教徒名を名乗って、キリスト教徒の多い北東諸州に潜入しました。そこで彼が知り合ったのが、女子ボクシング選手のアイド(アンドレア・ケヴィチューサ)。代表選手選考会で北東諸州出身だとして差別されたアイドは、たまたま親戚のパーティーが行われたクラブでは警察の摘発に遭い、女性警官から「ネパール人め」と言われて痛めつけられるなど、北東諸州の人間として腹に据えかねる経験を重ねていました。アイドの父ワンナオは小学校の教師でしたが、どうやら「ジョンソン」の中心人物のようです。アイドが自分に恋心を抱いたのを利用して、アマンは「ジョンソン」中の人物と武器取引をしたりして核心に迫っていきますが...。

Anek | Official Trailer | Anubhav Sinha, Ayushmann Khurrana | 27th May 2022 | Bhushan Kumar

 

最初にがっかりしたのが、冒頭アマンがナレーションでいろいろ語ってしまうこと。えー、サスペンス映画じゃないの、これ? 最初にカードを並べてしまうとは、何という脚本なのかしらん、と早くも暗雲が。続いてのがっかりは、女子ボクシング選手選考会での俳優たちの演技。東北諸州の俳優たちを起用しているのはいいんですが、下手すぎる! 監督が演出をきちんとやっていません。ヒロイン役のアンドレア・ケヴィチューサは新人だからしょうがないんですが、そのコーチ役も演技が幼くて白けます。さらに、脚本はきちんと東北諸州の現状を把握したりしないまま書かれたようで、リアリティが全然感じられない描写が続きます。あー、何とかしてくれ~。脚本も担当しているアヌバウ・シンハー監督(下写真右)、とても『Article 15(憲法第15条)』(2019)の監督とは思えません。

特に雑だったのが、アマンが親しくしている食堂の女将の息子ニコのシーンでした。まだ十代なのに「ジョンソン」の一員として加わり、地雷を設置して警官隊を阻む作戦に見張りとして加わるのはまあいいとして、その後山中を移動していて敵と遭遇し、全員が命を落とすシーンでは、敵はまったく登場させず(誰にしていいのかわからなかったのかも)、ただただ弾が飛んできて撃たれて死ぬ、という変な展開に。さらにその後、教会でみんなと共に亡くなった息子らを追悼していた女将が、やってきたアマンを非難するシーンがあるのですが、グッと感情が盛り上がるシーンになるはずが、感情が上滑りするばかり。手抜き過ぎます、アヌバウ・シンハー監督。

失望のあまり、アーユシュマーン・クラーナーにも、それから久しぶりなので期待した『サティヤ』(1998)の名優J・D・チャクラヴァルティにも怒りの矛先は向いて、あまりにも体にしまりがないことに嫌悪感が。コロナ禍で、体をしぼる余裕がなかったんでしょうか。J・D・チャクラヴァルティはアマンの先輩である警官役で、現場に追加配備されてくる人物なのですが、あるシーンで2人が交わす会話「何をもってして”南インド”というのか」をさせるためだけに起用したのでは、と思います。もったいない使い方ですね。北東諸州を正面から取り上げたというのは評価できますが、かえってボリウッド映画人のいいかげんな映画作りを露呈してしまったのでは、と危惧します。

(SPACE BOXのチケットはコレクターズアイテム)

実は前回見た『K.G.F: Chapter 2(コーラール金鉱 第二章)』(2022)にも、がっかりしたのでした。『K.G.F: Chapter 1(コーラール金鉱 第一章)』(2018)は、発端が、政府の発禁処分により焼かれた記録本のうち、ただ1冊焼け残ったものを元に、事情を知る老ジャーナリストが語る、という設定なので、要所要所でアナント・ナーグ扮する老ジャーナリストのナレーションが入っていてもそれほど気にならなかったのですが、『2』でも同じようにナレーション(今度は老ジャーナリストの息子が語るのですが、「息子なんておったんかい!」という感じ)で物語がずっと進行するのには、「これじゃまるで紙芝居じゃないか」とあきれてしまったのでした。映像に語らせず、映像はキメのシーンを描くだけ。どうしてこんな作り方で、あれだけヒットしてしまうのか、ひょっとして、グラフィックノベルの浸透とかで、観客がナレーション+絵、という語られ方に慣れてしまったのか、とかいろいろ考えてしまいました。あれはもう、映画とは別物で、動くヤシュのグラフィックノベル、という感じですね。

グラフィックノベルというのはこんな感じの本です。劇画というより、絵画マンガという感じで、全編カラーのそれはそれは美しい読み物です。インドでは21世紀になってからだと思うのですが、人気になって神話ものを中心にいろいろ出ています。絵のタイプはいろいろのようで、こちらでいろんな例が挙がっていますので、気になる方はご覧になってみて下さい。ああ、面白いインド映画が見たいなあ、とため息をつく私でした。

 


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