先日香港に行ったことはブログでも書きましたが、実はあの中に書いた「密命」がこれでした。昨秋からマイレージ消化で香港に行くことにしていた時に、ウェブの「講談社現代ビジネス」の方からお話をいただいたのです。その編集者さんも香港と香港映画をこよなく愛する方で、以前「レスリー・チャンの香港」(2008、平凡社)を読んで下さっていて、私にお話が来たのでした。返還から20年経って、香港の文化、社会、経済などがどう変わったのか、ということを書いてほしいというご依頼で、それで2月半ばに香港大学等で調べ物をしてきた、というわけです。写真も使っていただいて(映画祭の時のアンディ・ラウやルイス・クーの写真もアップされています)、キャッチーなタイトルも付けていただいて、下のような記事になりました。
講談社現代ビジネス:ルポ「香港返還から20年」
前編「平均寿命世界一に躍進した香港の秘策~至れり尽くせりのシニアケア」
後編「黄金時代も今は昔・・・・死に体の『香港映画』に復活の道はあるのか?」
数字等はよく調べて書いたのですが、もし間違いがあったりしましたらご指摘下さい。それと、記事に対するご意見、コメントなどもぜひお寄せ下さい。記事の中には、編集者さんが提供して下さった、『Mr. Boo! ギャンブル大将(原題:鬼馬雙星)』の珍しい現地版ポスターもあります。香港映画好きの方は、特に「後編」を覗いて見て下さいね。
香港は大好きな街で、ことに1993年に広東語留学で4ヶ月滞在したこと、2008年には腸閉塞でカノッサ医院に入院し、傷痕が化膿したりして4週間病院のベッドで暮らすことになったことなど、いろんな思い出があります。2003年春にSARSが蔓延し、張國榮(レスリー・チャン)が自殺してしまったことも、いまだに心の古傷として残っています。ここ20年余り、毎年2回は立ち寄って変わる姿を見つめてきた香港ですが、やはり残念な変わり方をしている部分も多く、最初に足を踏み入れた時からは40年だものなあ(一番最初の香港は、初のインド旅行からの帰途、フライト変更で降ろされた1976年)、としみじみ思うこともあります。拙ブログを読んで下さっている皆さんの中にも、私と同じように1980・90代はよく香港にいらした方も多いことでしょう。レスリー始め、梅艶芳(アニタ・ムイ)、張學友(ジャッキー・チョン)や黎明(レオン・ライ)、そしてアンディ・ラウらのコンサート....紅館の傾斜席の眺めと、華やかな舞台演出を思い出しますね~。
記事に使われなかったアンディ・ラウの写真を付けておきます。2013年の、第7回アジアン・フィルム・アワードの時の写真です。みんな今では「男人四十、男人五十」ですね。若い才能がもっと現れて、香港映画と香港芸能界が活性化することを願っています。
いきなりのコメント、すみませんでした。
実は私は台湾出身日本在住の翻訳者ですが、
インド映画の虜になったのは、去年からということで、まだ日が浅いため、インドについて、いろいろと勉強が必要です。
去年のIJJFを観てから、インド映画の作品を日本でもっと広まればいいと思い、私のできることから、いろいろと動いてみました。そんな感じで協力していくうちに、今年日本で初の南インド映画祭を開催することと知り、その後、1作品を翻訳することになりました。目玉作品と伺ったことで、より慎重にやらないと、プレッシャーを感じながら、しっかりと仕上げておこうと決めました。
作業の流れとしては、英日翻訳作業の後、インドの方と原語(タミル語)のニュアンスチェックをしてから、その後、監修の方を松岡先生のほうでお願いできないかと、思いましたが。水野衛子先生のお薦めで、インド映画の第一人者は松岡先生と教えていただいたことで、無礼を承知で一方的な連絡となりますが、すみませんでした。
今はまた準備中ですが、もし監修をお願いできるでしたら、3月下旬に翻訳したデータを先生に渡せるよう目指しています。また言いにくいですが、ボランティアのようなお値段になりますが、もしご連絡をいただけるでしたら、詳しいお話をまたさせていただきます。
どうか、よろしくお願いします。
蘇 雅如 (そ がじょ)
コメント内にご自身のメールアドレスを書いておいて下さったら、このコメントをアップしないで、個人的なメールのやり取りができたのに、と残念です。
お手数ですがもう一度、ご自身のメールアドレスをお書き下さったコメントをいただけますでしょうか。
私の方からメールを差し上げた後、そのコメントはアップせずに削除致しますので。
蘇さんというご本名も出してしまい、私としてもとても不本意なのですが、ほかに方法がなかったのでお許しいただければ幸いです。
最初からこのブログを読んで下さっている方はご存じのように、私がブログでは本名を使わず、また「cinetama」で呼んで下さるようお願いしているのは下のような危険があるためです。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/69277a4c5c0c2d0d9f50c3400f0d72dd
こういう裏に脅しを秘めたような葉書は、今も年に1、2通届きます。
そんなわけですので、個人的に連絡したいがどうしても連絡先がわからない、という場合は、ご自身のご連絡先を書いたコメントを下されば、前述のようなやり方でお返事致します
過去にも数例ありましたが、みんなそれでスムーズに処理できています。
先日も本名を書いて下さった方がいらした(でも、姓だけだったのでまあ大丈夫かと...)のですが、どうぞブログでは「cinetama」でお呼び下さいね。
ありがとうございました。
私は1990年6月に大阪でユンファ作品の特集上映ですっかり香港映画にはまり、10年くらいは毎年1度くらい香港に通っておりました。香港映画の楽しい時代でしたね。スターも沢山居ましたし(涙)
ずっと続くと思われてましたが、若手スターも出て来なくなり、日本での上映も少なくなり淋しくなって行きました。
最近、クレイジーナインと言う香港映画を見ました。
まだまだ元気な印象を受けました。
もっと日本で上映される機会があればと願います。
「現代ビジネス」の記事も読んで下さったそうで、ありがとうございます。
1990年からですかー。
あの頃は、皆さんよく香港に通っていらっしゃいましたね。
すご技の友人が、金曜日の夜に香港に飛んで、日曜日の夜行便で戻り、そのまま出勤、というのをやっていたような記憶があります。
それだけの魅力が、香港にも、香港映画にもあった時代ですね。
『クレイジー・ナイン(老笠/Robbery)』は見逃してしまいましたが、この作品を配給したマクザムさんや大作まとめ買い(?)のツインさんのように、結構各社紹介して下さってDVD化されているものの、なかなか香港映画ブーム再び、とまでは行かないですね。
でも、当時夢中になった皆さんの心には、まだ香港映画愛が溢れていると思うので、地道に支持していきましょう!
『クレイジー・ナイン』の現地版予告編はこちら。
あ!林雪叔叔だ~。
https://www.youtube.com/watch?v=TkR6oXcwHNM
今は、インドですか?
風邪がぶり返しそうと書かれていたので、お体気を付けてくださいね。
記事、拝読いたしました。
私は香港に行ったことがないので、知らないことばかりで、とても興味深い内容ばかりでした。
子供のころ、ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ユン・ピョウの出ている映画が好きで観ていましたが、「Mr.Boo」も好きで観ていました。
とても懐かしいです♪
TVから映画になっていたとは、知りませんでした。
cintamaさんを知ったきっかけはインド映画ですが、他の国の映画や文化などの情報も知ることができ、とても楽しいです♪
お忙しいのに、こうしていろいろ情報を提供して下さり、感謝です。
いつも風邪っぴきでご心配かけてすみません。
(以前にも、効くお茶をいただいたり...)
香港は、ホントに私の母港という感じで、行くとホッとします。
90年代の香港映画ファンは、映画のロケ地めぐりをしたりして、皆さん香港という街にもずいぶん愛着を持っていたんですよね。
だからこそ、残念な変化につい愚痴を言いたくなる、というのが本音です。
香港が母港ならインドは何なの? と言われそうですが、インドはわが家ですかねー。
特にムンバイは、私にとって故郷という感じが強くする街です。
間もなくムンバイに移動しますが、その前にチェンナイで見た映画を記事にしなくちゃ。
しばらくお待ち下さいね~。
予告映像ありがとうございます。
主演のデレク・ツァンが気になるので調べたら・・・。
エリック・ツァンの息子さんなんですね。監督としても有望だとか。
知りませんでした。彼の監督作品もいつか見てみたいです。