アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

ラジニカーント新作『Vettaiyan』に滑り込みセーフ!

2024-10-25 | インド映画

昨夜は市川市妙典のイオンシネマまで、午後8時開始のインド映画の上映を見に行ってきました。SPACEBOXさんがやっているインド人向け自主上映ですが、作品はすでに何度か上映されているタミル語映画『Vettaiyan(ハンター)』で、この日が関東最終上映。本年の話題作に入るため、11月4日(月・休)のインド映画セミナーで言及するには見ておかなくちゃ、と久しぶりに自宅から2時間ほどかかって出かけた次第です。さすがに皆さんすでにご覧になったのか、今回はあまりお席が埋まっていず、プレミアム席でゆったりと見させていただきました。午前様で帰宅したので次の日になりましたが、いくつかメモしておきたいことがありますので、簡単にまとめます(ネタバレがありますので、お嫌いな方はこのあたりでストップして下さい)。まずは映画のデータをどうぞ。

 『Vettaiyan(ハンター)』
 2024年/インド/タミル語/163分/英語字幕/原題:வேட்டையன்
 監督:T.G.ニャーナヴェール
 出演:ラジニカーント、アミターブ・バッチャン、ファハド・ファーシル、ラーナー・ダッグバーティ、リティカー・シン、マンジュ・ワーリヤル
 インド公開日:10月10日

Vettaiyan

主人公はタミルナードゥ州南端、カンニャークマーリー地区の警視アティヤン(ラジニカーント)。年の離れた妻ターラー(マンジュ・ワーリヤル)、そして甥っ子と一緒に暮らしており、一見おだやかそうに見えるのですが、その実「ヴェッタイヤン(狩人)」として悪人からは恐れられる存在でした。悪人どもが恐怖するのは、アティヤンが「エンカウンター(遭遇)」と呼ばれる捜査&決着手法を得意とするからで、この「狩人」に遭遇すると、悪人に待っているのは死だけなのでした。アティヤンは警察の部下以外に、あだ名を「バッテリー」と言うパトリック(ファハド・ファーシル)を個人助手にしており、彼のIT知識や調査能力を大いに買っていました。こんなアティヤンに警鐘を鳴らすのは、著名な判事サティヤデーウ(アミターブ・バッチャン)で、「エンカウンター」は法の裁きとして正当化できない、と批判します。

Vettaiyan

そんな時、アティヤンは地方の中学校教師サランヤ(ドゥシャーラー・ヴィジャヤン)から相談を受け、学内に麻薬が保管されているという情報を得ます。アティヤンと彼の部下は、麻薬製造をしていたクマレーサンを逮捕し、エンカウンター処理で殺害します。サティヤデーウ判事はアティヤンを非難しますが、サランヤの訴えもあって世間は彼を支持します。ところが、チェンナイに転勤となったサランヤは、ある日学校で何者かに襲われ、屋上でレイプされたあと、殺されて水槽に投げ入れられた姿で発見されることに。怒りに燃えたアティヤンは、部下の警部ハリーシュ(キショール)と女性の警部補キラン(リティカー・シン)らと共にバッテリーの力を借りて、グナという若者をあぶり出します。グナの妹はサランヤのクラスで学んでおり、またグナが友人の所に預けたのは、まさにサランヤを殺した凶器と思われる物でした。ですが、グナは逮捕後に治療を受けていた病院から逃走し、アティヤンらは彼の行方を追って各所へ。そして、海上の船にいるところを突き止め、一緒にいたギャングの一味の抵抗に遭いながら、アティヤンは「これは正当なエンカウンターだ」と言って、警官をナイフで殺そうとするグナを撃ち殺します。大衆には指示されたアティヤンの処置でしたが、サティヤデーウ判事は反論し、サランヤ殺害事件当時のグナのアリバイを証明して見せます。「私は間違っていたのか」アティヤンは後悔し、再び捜査を進めてサランヤを殺害したハヌ・レディという男をあぶり出しますが、彼は誰かに雇われて凶行に及んでいたのでした。その誰かとは一体....。

Vettaiyan

こんな風に、女性教師レイプ殺害事件は二転三転します。そして現れたラスボスは...というところで、キャスト表を見てもらうとわかってしまいますね、『バーフバリ』(2015&17)のラーナー・ダッグバーティがかなり終盤になってから登場するのです。Netflixの連続ドラマ『ムンバイ・フィクサー(Rana Naidu)』(2023)みたいなカッコいい外見で、惚れ惚れしますが、残念ながら凄みがいまひとつありません。この作品、筋を複雑にしすぎたせいか、キャラクターの掘り下げがどの人も弱いのです。一番のもうけ役は、ファハド・ファーシルが演じる「バッテリー」なのですが、時にはこのキャラも上滑りしていて、もったいないなあ、と思いながら見ていました。アミターブ・バッチャンまで起用しているのに、あまり大ヒットとならず、製作費の30億ルピー回収が危ぶまれる状態なのは、脚本と演出のせい、と言えそうです。

Vettaiyan

ただ、南インド映画、特にタミル語映画にはびこる「エンカウンター礼賛」の風潮に一石を投じているのは、評価できます。「エンカウンター」はこれまで「遭遇作戦」とか訳したりしていたのですが、「悪人の巣窟に踏み込んだところ、思いがけない抵抗に遭遇し、仕方なくこちらも銃を抜いて全員を殲滅した」という言い訳で悪人と思われる者を裁判に掛ける手間を省き、退治していくやり方です。正義の名のもとでも、あるいは口実としても使われることのあるこの「エンカウンター」、司法の存在が危うくなるだけじゃないか、と登場した当初から思っていたので、やっとこういう映画が出て来たか、という感じです(疑問を呈する映画はあったものの、映画界は「エンカウンター」を便利に使い倒して来たと言えるでしょう)。ただ、この『Vettaiyan』のインパクトが今ひとつなので、この後変化があるかどうかはわかりません。「エンカウンター」が最初に映画に登場したのは、2000年代半ば頃だったでしょうか? よく知られるようになったのは、『ヴィクラム・ヴェーダー』(2017年のタミル語版のオリジナルの方)ぐらいからでは、と思いますが、シャー・ルク・カーンの『ライース』(2017)のラストもそうでしたし、映画的に使いやすく絵になる手法だったのか、調べればかなりの映画に出てくると思います。

Vettaiyan

これを機にラジニSirの役も、以前の「悪人を殺さないで制圧するスーパースター」に立ち戻ってもらいたいものです。本作でも颯爽としてアクションやダンスを見せてくれるラジニSirですが、妻役のマンジュ・ワーリヤルと手を重ね合わせたシーンでは、その手がやはり70歳を超える人の手だったことにちょっと胸が痛くなりました。同様にアミターブ・バッチャンも、この10月12日で御年82歳になり、立ち居振る舞いは軽快なものの、しわの深い顔からは年相応のものを感じます。ヒンディー語映画『ピンク』(2016)の時は、まだ「老人を演じている」感じだったのに。そうそう、アミターブ・バッチャンのタミル語のセリフ、本人の声としか思えないそっくりさんぶりで、随所に挟まれる英語のセリフもアミターブ・ジーの声そのもの。誰なんでしょう、吹き替え声優。いつか調べてみたいと思います。最後に予告編を付けておきますが、ソング&ダンスシーンには作曲担当のアニルドがカメオ出演していて心が弾んだので、そのシーン(歌詞ヴァージョン)も付けておきます。アニルド君、見つけて下さいね。

Vettaiyan - Trailer | Rajinikanth | Amitabh Bachchan | T.J. Gnanavel | Anirudh | Subaskaran | Lyca

 

Vettaiyan - Manasilaayo Lyric | Rajinikanth | T.J. Gnanavel | Anirudh | Manju Warrier | Subaskaran

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マヘーシュ・バーブ主演作『... | トップ | 『カッティ 刃物と水道管』は... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

インド映画」カテゴリの最新記事