神が退位したいと思う時、何が起きるのか? 日本の天皇はもう長らく現人神ではないけれども、それほど昔ではない時代、国の皇統の統治者が地上のことも天上もことも統べるのだと信じられている時代があった。
今の天皇、明仁さんは、大変人間的な方で、神になる意思は、全く持っていない。安倍晋三首相がリーダーである日本の与党の自民党が、日本の戦前の憲法を取り戻し、天皇を神のような位置に戻そうとしているが。
それは82歳の天皇が彼自身とその後継者のために望むものではない。天皇の高い身分からの国民へ向けての異例なスピーチで、間接的に皇位を生前に譲渡したいという希望を表明し、天皇自身を「国の象徴」と7回も言及した。
戦前の軍国主義の国家への回帰に反対している平和主義者の明仁さんは、1989年に皇位についたが、1949年に連合国に負わされた戦争放棄の憲法を固く信じており、愛する妻の皇后、美智子妃も同様だ。
天皇の2013年の誕生日の記者会見でもそれははっきりと示されている。
「戦後、日本は連合国に占領されました。そして是認するべき価値としての平和と民主主義に基づいた日本国憲法が作られました。さまざまな改革を受け入れ、今日、私たちが知っているような日本の基礎を作りました。
私は、戦争で荒れ果てた国を再建し、改良することを尽力した当時の日本の人々もよる努力に深い感謝を覚えます。また、私は日本と日本の文化に理解を持つアメリカ人によってその時に私たちに差し伸べられた協力を忘れてはいけないと感じております。」
これは優勢になっている日本の右翼が不愉快に思うメッセージだった。
明仁さんは、神道国家への復帰を明確に軽蔑しています。1945年までの公式な宗教は日本政府によって天皇の神格を信じさせるための宣伝に使われ、1930年代の日本の帝国主義の拡張を遂行することを正当化することになった。天皇の言葉は絶対に正しく、日本民族は優秀とされた。第二次世界大戦の間に何百万人という日本の兵隊が天皇、裕仁の名において死に、殺された。
しかし、裕仁さんの子息は、軍事的な愛国主義とはなんの関係もない。
マーク・オースティン、スコットランドの東京在住のジャーナリストは、右翼の新聞で日本で最大手の読売新聞に雇われていたが、ソーシャルメディアへの投稿で次のように書いている。「2001年の68歳の誕生日の記者会見で、[明仁さんは] 彼の韓国の先祖に言及し、それは長い間タブーであったが、それから3年後の春の園遊会で東京都教育委員会の役員が全ての教師に国歌を起立して歌うことを確実にさせるために学校をめぐったことを天皇に報告したところ、おごそかに忠告したことは穏やかではあるが、困惑させる効果があった。
「もし、それが強制であるならいけないことです。」と天皇はおっしゃった。
おべっか使いの役員は深くお辞儀をして遭遇は混乱をもたらした。」
天皇の社会的な原因への思いやりのある活動と災害の被害者をいやす現場で接する間に天皇は人々に慕われるようになった。2011年の地震と原子力災害の後、天皇は、体育館の仮設避難所に身を寄せる被災者を見舞った。天皇は体育館の床に膝をつき、被災者と対等に話をした。その後で天皇は日本への公式な声明を出し、この悲劇を乗り越えるべくともに手を携えるように呼びかけた。
この他に天皇が国に対して公式声明を出したのは、1945年の8月15日、天皇、裕仁が日本が降伏するという趣旨を発表したことだけである。
天皇と彼の妻は、また経済的に困難を抱える人たちや障害を持つ人や「在日」と称される日本在住の韓国、朝鮮人の人々―彼らの多くは日本に強制労働で日本に連れてこられ、いつも経済的な苦痛(特権を受けているというデマで)非難され、面と向かって嫌がらせを受けている―の世話をするように努力をしてきた。
新しい都知事の小池百合子氏は安倍氏によって選ばれた他の閣僚とともに「在特会」という全ての外国人への敵意、とりわけ在日韓国、朝鮮人へのそれを煽ることで非難されている政治的なグループに加わっている。
明仁さんの思いやりと謙虚さは対照的に、人々に大変、ありがたいこととして受け止められ、ほとんどの世論調査でも80%以上が示すように皇位を退くことを認めるべきだと考えている。
天皇の退位の願いをかなえる公共の援助はおそらく、カーネギー委員会の近代日本の専門家であるデヴィン・スチュワートによればより広範な社会的な変化を反映したものになると特筆している。「日本は、だんだんにより、柔軟性を持ち個人主義的で、伝統から離れた社会になっていくだろう。逆説的だが、さらに人々が休んで健康になったり、趣味を追求するのと同じぐらいにもっと家族(伝統的価値の)とともに過ごす時間を持つべきだと感じるだろう。」
現行の法律のもとでは、明仁さんは、亡くなるまで勤めを続けなければならない。憲法の制約は、法律の変更を直接依頼することはできず、示唆を与えることしかできない。
個人というもののない奉仕と病気と衰弱との闘いの人生を送ってきて、天皇は実際には彼自身と彼の家族への幾分かの慈悲と思いやりを求めているのである。
残酷な独裁者が天皇が当然受け取れる休息と退位を可能性として拒めるとしたらそれは何か?現在の首相ならするかもしれない。
退位と議論と法的な見直しは安倍氏の憲法を変えたい、市民の自由を制限して、再び神道を市民社会の重要なものに位置付けたいという、燃えるような希望を邪魔するものになるだろう。
明仁さんの良い天皇でありたいという義務についてのお言葉は、私の意見では、日本のリーダーたちに自分自身のことを少し考えの外に置くということ、そしてもっと人々の幸福について考えることを思い出させた。それは総理大臣が確かに勉強すべき授業なのだ。
「私は皇位を約28年前に受け継ぎました。」と明仁さんは、感情豊かに説明した。「この年月の間、私は日本の人々とともに時間を過ごしてきました。この国に起きた喜びも悲しみも同じように分かち合ってきました。私は天皇の第一の主要な義務は全ての人々の平和と幸せを祈ることだと思っております。と同時に私は、また場合により、人々に寄り添い、彼らの声に耳を傾け、彼らの考えに近づくことが基本だと信じております。」
もし総理大臣の安倍氏が日本国民の平和と幸福を本当に気にかけるなら、国民の意思と神として安倍氏が崇める男性の望みに実際に耳を傾けるべきなのだ。
「残酷な独裁者だけが日本の天皇の退位を阻もうとしている」
ジェイク アデルスタイン記者
今日もお盆行ってきました。でも袴り俺はイケなかった。軽トラの人数制限のおかげで。おじいちゃんの世話してました。元気に話せてたと思う。