で、この先輩は
「BeiMirBistDuSchon」という名前で1933年生まれ
日本語で訳すと「素敵な貴方」という意味だそうだ
言葉の響きからは、ドイツ産かなとかも思ったが
実際はイディッシュ語と呼ばれる(ユダヤ人の言語)で
ミュージカルの為に書かれたもので
アメリカのユダヤ社会以外では本来は知られる事無く、忘れ去られる
そんな境遇を持って産まれたそうなのだ。
「人は生まれながらにして不平等だという点に於いて人は平等だといえる」
まさにそれを地で行った様な出生状況ではあるが
先輩はここから数奇な運命を辿るのだ
まず、それは、何故かイディッシュ語など解り得る筈の無い
アポロシアターの黒人観客の前で演奏され
大受けしている様を、たまたま観覧していたサミーカーンという人物が
えらく気に入り、早速譜面を買い求め、当時の白人ビックバンド
トミードーシーオーケストラに演奏を薦めてみたところから始まる。
当然すんなりと受け入れられる訳は無く
「イディッシュ?それはまずい、今の民衆意識の中では受ける筈が無い」.....
.ということで却下
その譜面はサミーカーンの自宅のピアノの上に
無造作に置いておかれる事になるのだが
ある時、サミーの家に遊びに来たアンドリューシスターズの一人が
「これって、どんな曲?」とサミーに聞いてきたので
サミーはピアノで演奏した処、「この楽譜頂けない?」という話になり
アンドリューシスターズのレパートリーに加えられたそうなんですな
で、そこからアンドリューシスターズのレコード化という段階に話は進んでいきますが
まず、当然、問題はイディッシュ語....
イディッシュはユダヤ人達が使用していた言語で
ドイツ語に似ているけれどヘブライ語にも似ていて
その言語地位は極めて当時の社会に於いては低かったそうなんです
つまりこの言語を使うという事は、ある種のレジスタンス意思表明、
反米イデオロギーを含むとみなされ
当然、30年代当時の白人社会に於いては受け入れられる訳も無く
発売元のワーナーはイディッシュに堪能したカーンに、この曲の英詞を依頼
1937年に英詩版で発売したところ、その反響は意外にも凄まじく
たちまちヒットチャート5週連続1位、
アンドリューシスターズ初のミリオンセラーとなった訳です。
良き曲というものはそれ自体、作者や歌い手の思惑から離れたところで
自らで息をし始めるのは当然の成り行きで
翌年にベニーグットマンの楽団がカーネギーでこの曲を演奏した時は
もう会場が割れんばかりの大喝采
先輩は以後スタンダードとしてその位置を確立して今に到る訳です。